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異質な自己
わたしは、周りの人と何かが異質な気がします。 自分は、普通の人間のつもりなのに、周りの人と対等につきあう自信がないんです。 劣等感と優越感を同時に持っていて、それらが、程よくあればよいのに、両方強いような気がします。 なんとなく、合わないという感じ。 そして、内気になる。 最後は孤立する。 私は、一生孤独で過ごさなければならないのかもしれないと思うと恐ろしくなる。 医者だって、私の人格にメスを入れることはできない。 不登校の子どもも似たような疎外感を感じているのかもしれない。 この悩みは解消するでしょうか。
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細かい事は面倒なので省略しますがalessandraさんは芸術活動などすると凄い才能が開花しそうな気がします。異質な自分・・・と書かれているように異質さを感じて孤独になるのはわかりますが、その異質さを形に残す場合、あなたと違う人からはその形がとても新鮮に思え、そしてあなたを理解する材料にもなります。
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- sirayukihime
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初めまして。 私も絵とか芸術作品に興味が強いです。 若い頃は「みんなと同じになりたい!」って、いつも思い詰めてて息苦しかったです。どこにいても良くも悪くも目立つタイプらしかったので。自分では分かりにくいものですね。でも「みんなと同じではイヤだ!」って思う人もいますよね。 劣等感と優越感が同時にあるのは普通ではないかと思います。特に劣等感が深くなればなるほど優越感も強くなる。これも自分を生き延びさせようという本能のうちかも知れないし或る意味バランスをとろうとしているのかも知れないですね。 けど逆に優越感が強くなればなるほど劣等感が深くなるということはあるかなあ? 劣等感がなければ優越感は必要ないように思いますし、とすると優越感は劣等感が呼んだお友だちなんじゃないでしょうか。 優越感を弱めれば劣等感が軽くなるでしょうか?ちょっと違うような気がします。 むしろ劣等感を軽くすることによって余計な優越感は不要になりますよね。 結局、御質問者様の、ここでの御悩みに対するカギは劣等感を、いかにして軽くするか、ということにかかっているように思います。 また、そうすることができれば何故か日常生活のなかで他者と合わないということに過度に思い悩むことも軽減されてきます。 孤立することを徒に怖れないでください。多分それは自分で自分を守ることができないという不安感から出ているんじゃないかと思います。それでいて自分よりも強いものに守ってもらおうとしたら自分が食われてしまいそうだし第一そうして、と要求できるほどのものが自分にあるのか?と複雑な御心境なのでしょうね。 御好きなことが確かにあるなら、それは良いこと幸いなことだと思います。ラッキーですね。それだけは精進なさったらいいんじゃないかと思います。本当に自分を向上させて劣等感を軽くさせたいと思うなら自分を導いてくれる人から、多くのことを吸収させてもらいたいですね。 実は私も深い孤独のなかで、もう人を信じることは無理だろう、それでもいいや、と思っていましたが、そんな私の不信感を少し揺さぶってくる人に巡り会えました。(色っぽいことは抜きに、ね)有り難い事だと思っています。 人が好き、な人に多く、いや一人でもいいから巡り会っていただきたいなあと思います。 いまの悩みが解消するかどうか、答えをスグにもらえなくても自分の好きなことを大切にしながら向上心を途切れさせないようにしながらボチボチ歩いていくうち、ヒョンなところでヒョンとお声がかかったりすると思います。 なお、絵を御勉強するのにカルチャーセンターに通っていらっしゃるそうですが私がコピーライティングの勉強のために通ってたスクールは美術関係、音響関係、ダンス関係、語学関係・・・と、いろんな分野の教室を学校内で開催していましたが圧倒的に二十代の生徒が多くスクール内では金髪の英語教師から爆発ヘアのヘビメタ兄ちゃんまで入り乱れてて賑やかだったです。こういうとこなら世代の近い仲間を見つけられるかも。 スクール情報も、いろいろ当たってみてください。
お礼
こんなに長いお手紙(と、あえて言わせていただく)を私のために、親身になって書いてくださって、本当にありがとうございます。おっしゃっていることの内容も的を得ています。 劣等感、それです。その補償に優越感をつれてきているのかもしれません。そして、劣等感があるから、人と異質と感じるのだと思う。 健全な自己愛、自己肯定感を獲得していないと言い換えることもできると思います。 私も、自分の可能性を伸ばすために、ぜひスクールに通いたい。爆発ヘアのお兄さんたちほど若くはない私ですが、、、 そうするうちに、私と違和感なくつきあえる友達に出会えるかもしれない。 希望が見えてきたような気がします。 アドバイス、本当にありがとうございました。
- corpus
- ベストアンサー率12% (25/200)
私はひきこもっていたとき、自分はコギツネだと思い、他の人間とは違うものだと思っていました。人と会話することもありませんでした。 今は生活支援センターに通い、人と会話しています。なぜ、人と会話することが可能なのか私にはよくわかりませんが、人と会話することが、孤独を忘れさせてくれるような気がします。それと、いろいろ考えることもしています。これもいいことだと思います。 しかし、なぜ人とこれほどまでに違うのにもかかわらず、自分のことを人と考えてしまうのでしょうか?これは自明なことかもしれませんが、私にはよくわかりません。どうして、私がコギツネでなく、人なのか?
お礼
私も人と違和感なく会話をしたい。 そうすれば、きっと今日のような質問をしなくてもすむと思う。 私、ずっと家族以外とはほとんど接していないんです。 おしゃれした、若くて可愛い女の子同士が、街でおしゃべりしていた。 羨ましい。私も、そんな普通の女の子のしているようなことがしたい。 アドバイス、ありがとうございます。 とても参考になりました。
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
私は、人間は元来、孤独なのだと思っています。これは楽園追放の神話でもありますが、自我意識を持ったと同時に孤独になってしまったのだと思います。つまり頭の中の世界で生きているのは自分だけなわけです。脳死状態になっても生きていけるならば、人間も孤独ではないでしょうが、それは不可能です。他の人と違うように見えるのは、他の人は孤独であることを何かの手段でごまかすことができているからです。ごまかせなかったらそれを見とめてしまった方がよいのではないかと思っています。そこから他の人との共感が得られるかもしれないと思っています。
お礼
ごまかしているのでしょうか、みなさんは。 でも、人のいない森林の中に一人でいるなら孤独を感じなくてすむけれど、大勢の、社会の中に暮らすときに孤立しているとき、それを認めるのは容易いことではないと思うのです。 回答ありがとうございます。
- Ulu_lun
- ベストアンサー率26% (269/1019)
私も同じように優越感と劣等感を同時に持っていますよ。 人は誰しも孤独なんです。自分と同じ価値観の人なんているわけないんです。 「我思う故に我あり」と言うように自分の事は自分しか考える事が出来ない、自分の事は他人の誰かに純粋な状態で理解されたり共感されたりする事なんかあり得ないんです。 要するに誰でも優越感と劣等感は共存しているけれど、その違和感を口にする事はないんです。あなたの回りの家族、友達、電車に乗っている人、みんなそうです。 誰かがあなたの心を覗く事が出来ないように、あなたも誰かの心の中を知ってはいないのです。ただそれだけの事なんです。 だから大丈夫。みんな異質でみんな異なる。 みんな違って、みんな良い。
お礼
私は、みんなと同じなのでしょうか? アドバイス、ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。そんな風に賞賛してくださって。偶然にも、今日絵画教室(カルチャースクール)からの帰り道にこのような思惑が湧いて、家で泣いてしまった。 カルチャー教室は、今日が3度目。静物デッサンをしていると、私の絵を見にきて「相当長くやっているでしょう?」と何人も言ってくるのです。 私は、3箇所ほど絵画教室に通い、それぞれ、1年とか半年程油絵だとか、水彩だとかとぎれとぎれにやっていて、そんな相当やっている、という年数やっているつもりはないのに、そういう風に決め付けて言われたのが嫌でした。まわりの方は皆私の倍くらいの年齢の人たちです。11年もやっている人もいるというのに、、、私は、確かに鉛筆の持ち方などが違います。そう教わったからです。鉛筆というより、木炭の持ち方と同じ。木炭が基本でしたから。まわり人の絵は、確かに平凡な感じです。でも、私の絵だって、感覚的だけれど、稚拙です。完成度は高くないと思います。テクニックも知りません。先生は長くやっているね、とは言いません。それに、特別褒めたりしないし、良いときだけは、良いと言ってくれる。 カルチャーがみな、60、70代ばかりで全然話題も違って、それで、こんな風に思ってしまったのかな。でも、ふだん同世代の友達関係もほとんどないから、、、 アドバイス、本当にありがとうございます。 自慢げに聞こえたら、申し訳ありません。