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江戸時代の戸籍法
オランダ商館シーボルトの娘は、楠本イネという方で、 日本最初の女医さんだそうです。 が、何故「楠本」と称したのか、わかりません。 母である丸山町引田屋の遊女其扇(そのぎ・本名楠本たき) の姓を名乗ったとのWEB記事を見たことがあります。 しかし、当時、町人や遊女には姓がなく、ファミリーネーム として屋号が普通であったと、昔、学校で習いました。 当時の戸籍法なり、住民票制度に詳しい方、教えてください。
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明治時代以前、町民・農民などの庶民は、公では苗字を使用できなかった(苗字帯刀の制限)のは学校で習ったと思いますが、しかし庶民は私称として苗字を使用していました。 貴族の苗字は平安時代中期頃、武士の苗字は鎌倉時代、庶民は室町時代頃から苗字を持っていました。 室町時代に各地で農村が惣村(そうそん)という組織をつくり、団結して領主である武士と争うようになり、こういった惣村では、地主層の苗字が中下層の農民にも与えられました。 ただ、地主層から苗字を与えられない農民は、適当に苗字を私称しました。 有力な商工民は、武士や公家から苗字を与えられ、中下層の商工民は、屋語(やご)を苗字のような形で相続していきまいた。 戸籍については、キリスタン弾圧によって出来たともいえる[寺請制度:てらうけせいど]からといえます。 豊臣秀吉から受け継がれたキリスト教弾圧は、徳川三代将軍・家光にも引き継がれ、寛永11年(1634年)幕府は[寺請け制度」を定めました。 これにより国民はすべて一つの菩提寺の檀家とならなければならなくなりました。 寛永12年(1635年)には[寺社奉行]が設置され、僧侶や神官がその管理下に置かれました。 各宗派は江戸に触頭寺院(しょくとうじいん)という出先機関を設置させ、寺社奉行がこれを管理して各宗派を抑えました。 すべての宗教が幕府の統制に治められました。 寛永14年(1637年)には、キリスタンである天草四郎時貞を中心とする島原の乱が起き、これをきっかけに幕府は[隠れキリスタン]を取り締まるためとして[[宗門改役:しゅうもんあらためやく]を設置し、[宗旨人別帳]を作りました。 これにより、国民ひとりひとりが寺を通じて、幕府が管理できる体制となり、今で言う[戸籍]が出来ました。 個人の証明として、[寺請証文]が寺から発行され、旅をする時などは、これを携帯しなけらばなりませんでした。 つまりは寺請証文は、海外へ行くパスポートみたいなもです。
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- PENPENMAKKY
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江戸時代は宗門分別帳という戸籍に似たものがありました。 XX村の名主は誰 武家・百姓・町人・それ以外(諸事情によりここには記載しません)の戸数は何件 XX家(小作農やそれ以外を除いてまず苗字はあります)では誰が生まれ、誰が死んだ XX家が転入・転出した XX家の何某がお城勤めに取り立てられた XX家は何宗である など丁寧に書かれています。 これはキリシタン取締の基本台帳になったのです。
お礼
お礼が送れて申し訳ありません。 戸籍に似たものとしてとして宗門分別帳があったわけですね。 切支丹取締りは、中南米でのキリスト教国の マヤやインカへの所業が情報として入ってきたから と聞いた事があります。
- elizabeth
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住民票はちょっとわかりませんが、 戸籍は明治の初めのころにできた制度です。 ただ、当時のは士族とか平民とか、いまはない『身分』が記載されているので、 もう役所で発行することはできません。 江戸期までは、お寺に檀家の名簿(人別張)や過去帳があり、それで家系を確認できました。 公式に苗字を許された人以外でも、戦国時代までは武士だったとか、 江戸時代の途中に没落したとか、 半士半農だったのが農業メインになっちゃったとか、いろいろな理由で、実は苗字のある人がけっこういました。
お礼
有難うございます。 苗字or名字のある人は結構居たのですね。 婚姻や、就職で村を離れるとき、行き先の名主宛に 現住所の名主が発行した、よろしく願うとの一札を 持って行った。それが現在の住人票異動の役割を 果たしていたと聞いていました。 寺の坊主と、名主との職能分担はどのようになっていたのか 新たな興味が湧いてきます。
- outerlimit
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誤解されている方が 多いのですが 江戸時代、百姓町人は苗字を名乗れませんでした(苗字を許されたもの以外) しかし これは 苗字を持たないと同じことではありません 大部分が 先祖代々受け継がれた苗字を持っていました 明治になって 苗字を許されたので 慌てて付けたなどと学校で習ったかもしれませんが、大部分は嘘です(中国等と同じで前政権時代は如何にひどかったかの宣伝のためです) 苗字を付ける際に、先祖伝来の苗字と異なる苗字を付けたり、先祖伝来の苗字がはっきりしなくて、良さそうな苗字をつけた例もあるでしょうが・・・
お礼
有難うございます。 疑問が解けて、すっきりしました。 私の先祖は、町人で馬の骨でしたから、 採って付けたような苗字です。 なので、【慌てて付けたと学校で習った】 ことに、妙に納得いたしておりました。 学校で教えることには、随分嘘が多いことに 改めて驚きます。 識者の中に、言上げをハシタナイと考え沈黙 されている方が多いので、嘘を信じてしまう 庶民ができてくるのではないでしょうか?
お礼
有難うございます。 大変よくわかりました。 [宗門人別帳]でなく、[宗旨人別帳]だったのですね。