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この世の合理的な便利さ
初哲学投稿です。 いま、PCのとある違法ファイル交換ソフトから身を引こうと思っています。良心からではなく、ウィルスに襲われたからですが。 音楽のプロモや曲など、あれほど便利なツールはなく、創造の世界に特に害がないのではと思ってるので、問題なければ使い続けていました。ところで著作権というのはなくなったらいけないのでしょうか?私としては真似されて価値が下がるものはそれまでのものとみていいと思うので、法律で擁護するほどのものではないかと。芸術とお金の関係にいまいちよき潤滑油として著作権が存在していると思えないのです。今どこの世界のエンタメ界もド停滞してると見ます。なにも面白さを感じない。個々ではあります。でも運動会と同じで、やってる空間が面白くないと満足感は乏しいものだと思います。 PCの情報交換の便利さには私は感服してます。それをどうしてもっと有効活用できないのか。便利の究極を人は一つの目標として持っていると思いますが、その辺と兼ねてご意見願います。
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- noone
- ベストアンサー率42% (3/7)
この音は誰のもの?ってやつですね。 音楽に関して言えば、著作権が無いと困るのは、 多くは、レコード会社です。PCの情報交換という 観点から見れば、ほぼそうだと思います。 そして、停滞した今の状況を破るのも、他ならぬ PC、ネットにあるのではないでしょうか。 法律というのは、困ってる人を守るのと同時に、 専門の知識に対する占有権を保障し、時に貧富の差 まで生み出します。階級をつくる道具でもあったわけです。 資本主義の形態からいって、保守文化は外からの圧力 が最大になったところでその圧力自身を飲み込んで 発展していくものです。 停滞し腐っていく部分への圧力は高まってきています。 著作権についてもそうした圧力を取り込むべく変化 していくはずです。腐った部分にいる人たちが、 いまだにそうした変化をわきまえず、論点をずらして 自分達の保護を訴えるのです。 確かに最低限守られるべき要素はあろうかと思います。 ですが、世界の先端で行われていることは、全くの別物 だと思います。 ネットに関して言えば、もう次の段階に入っていると 思います。知識や、文化、音楽の共有の世代です。 金は気に入ったら本人に直接チップを払えばよいのです。 レコード会社は躍起になって著作権の保護でも論議してれば いいんではないでしょうか。
- 0shiete
- ベストアンサー率30% (148/492)
コンピュータの世界にはオープンソースやフリーウェアといったものが ありますが、この作者たちは皆が自分の作品を認めてくれればそれで満足という人たちだと思います。 一方、ソフト会社などのように、ソフト制作によってお金を得、そして従業員が生活しているという場合があり、この場合には勝手にコピーされ、利益を奪われては困ります。 製作者の意思や状況の問題であって、どちらでもいいと思います。 ご質問の内容からずれているとお思いでしたらすみません。
お礼
ありがとうございました。 大変お礼遅くなりまして申し訳ありません。 失礼ながら最後の方へ自分の考えをお礼と共に まとめさせていただきます。
- netcatme
- ベストアンサー率20% (76/371)
単純に、もっとよい芸術を発表してもらうために著作権は存在すると考えてはどうでしょうか。権利がないと創作は趣味で行ったとしても、面倒で金のかかる発表は行わないでしょう。 もともとは、最新技術を秘密にしないで公表させるためにできたものですから、特許とかは。
お礼
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- north073
- ベストアンサー率51% (536/1045)
>真似されて価値が下がるものはそれまでのものとみていい というのは、違うと思います。 著作物は真似をされること、あるいは複製されることによって、価値が生まれるのです。 原稿が一束あったとすると、それを読むことができるのは数人に限られます。それを印刷して配ることで、多くの人に読んでもらうことができます。 そのことによって生まれる価値をだれが取るかというのが、著作権(財産権)の意義です。 著作権がない場合においては、真似をした人、複製した人が、その場でその価値を取得します。 間に介在するメディアがある現行システムでは出版社やテレビ局がまるもうけすることになり、P2Pではユーザーがまるもうけすることになるわけです。 人間を合理的な経済主体と想定した場合、価値が得られない行為よりも価値が得られる行為に従事する方が有利ですから、創作する人よりも、複製する人の方が圧倒的に多くなることになり、新しい著作物の創造が阻害されます。 これが、著作権の基本的な考え方です。 しかし、人間は必ずしも財産的な価値ばかりを求めるものではない、という考え方があります。 たとえば、名誉であったり、社会的な貢献であったり、あるいは自発的な動機であったりということによっても十分に著作物は創作されうるという考え方です。 そのような世界では専業の創作者はいなくなります。創作者であると同時にプレイヤーであったり、あるいはまったく違う仕事で生活していたりするわけです。 この世界で、どのような創作行為が生まれるのかということは興味深くはありますね。
お礼
ありがとうございました。 大変お礼遅くなりまして申し訳ありません。 失礼ながら最後の方へ自分の考えをお礼と共に まとめさせていただきます。
- ssiinn
- ベストアンサー率31% (22/70)
私も質問者さんの考えに共感する所があります。 そこで持論を述べさせていただきます。 まず、ここで言う、著作権の問題を限定的に定義すると、芸術性を帯びた「著作物」に関して言及できると思うのです。 (#2の方の言われるような、「知的遺産」と言う観点からだけだとこの問題は解せないので。) 本来、公共の利益として、栄達の為に「著作権」を超えて人類は発展すべきだとするのは、総論、概論としては、頷ける事です。 問題は、現在の世の中が、経済活動を主体にし「商業主義」になり、(人類史上未だかつてない程の)「金権主義」になっているからだと思われます。 ですから(衣食足りた)発展国においては、エンターテーメントか金権化の代表的な地位まで押し上げられ、人類の利益をむさっぼているのです。 現在の社会を動かしている{大企業もマスコミも、政界までも}エンタメ界と共存して、依存して、また寄生して、何らかの形で強い結び付きがあります。 そのような社会を牛耳る輩の中で、エンタメ界の利権となる「著作権」に否と唱える者が如何ほど現れましょうか? 結局、人間というものは、 個人(団体)は自己の利益追求が一番であり、公共の利益などは二の次なのですね。 ですから、概存の強者の為にある、強者が利益を貪る為の「著作権」だといえます。 本来、人間社会における、娯楽というものは余暇で楽しむものです。 しかし現在は人間の生産活動の根源となる「農業」や「漁業」が軽んじられており、キラビヤカな芸能界やスポーツ界が脚光を浴び、多分子供達も憧れている人は多いと思います。しかし本来の社会には、そんなものあっても無くてもいいものであるはずではないでしょうか? しかし、時代と共に(豊かさと共に)人々の価値観は変わり、そのようなものが社会の主体かとも思われる今日となり、資本主義社会の下に、莫大な利権を有し世の中を支配するかの如くに肥大化しってしまっているのです。 一つの例として、(特に)米国では、映画に莫大な予算がつぎ込まれ、莫大な金が動いています。 映画に価値を見出せない人からすれば、何でそんな巨額の金を使うのかとも思います。 世界では一方では、食うに食われない人々がいるのに、一方で大金を使って、派手な叡智の無いようなものを作ってたりするわけです。(勿論全ての映画とまでは言いませんが) また、映画に大量の(工業物やエネルギー)資源が投資されているのです。 何も、それに限った事ではなく、人類は自己の楽しみの為に、あらゆる興行の下であらゆる資源を浪費してるともいえます。 そのような、(よくよく考えると)異常な社会なのです、 全ての人間は、栄華するものは、欲望の為に「個人の権利」の下に公共の利益をかえりみないのです。 ですから「著者権」においても、自己の権利(利権)のために公共の幸せなんて考えられないのです。 自己が富む(利益になる)限りにおいて、興行者は他者に楽しみ(幸福)を与えるものだと思います。 この権益が「法」により守られている限り、エンタメ界が社会に幅を利かせ、影響力を与えるでしょうから、「著作権」が放棄される世の中は今の社会の段階では構造上では無理という事になります。
お礼
ありがとうございました。 大変お礼遅くなりまして申し訳ありません。 失礼ながら最後の方へ自分の考えをお礼と共に まとめさせていただきます。
- koshinuke
- ベストアンサー率40% (6/15)
これはパブリックドメイン(知的財産の共有)の話ですね。 インターネットが普及したことで今、著作権がどうあるべきかすごく問いただされています。 人類はインターネットという地域や人種を超えた地球単位のインフラを手に入れました。 将来的により良い書籍や思想を共有していくのは自然の流れでしょう。 そしてそれらを共有することで地域や人種にとらわれない新たな思想を生み出し、進化するものと考えます。 あ、話がそれました? 著作権ですが、私もエンタメ界が停滞してるというのは同感ですね。 著作権の商業主義によって既存の作品の再利用を繰り返しているだけのように思います。 でも現状は著作権を用いてエンタメを商品化し経済的な物質量を上げているわけですから、 それを無くすというのは難しいのでしょう。
お礼
もしかしたらそもそもこのネットの高速情報伝達は 当然のものかもしれないと思えてきました。このスピードについていけるから皆ネットを見ている。 いくらでも情報を出すから、面白くしようとしている(本能的に)だけなのかなと。でもネットだけだったらやっぱりだめかな・・。臨場感に欠ける。この世がデザインだけでいいという人が多かったらそれで成り立つ(それがどうやら今)のでしょうけど。 著作権をなくすのが難しいのはそう言われればそうなんだろうなと思いますが、なにかいいアイデアはないものかと思いますね。 お礼文大変遅くなりました。 どうもありがとうございました。
これは、典型的な「創作する側の立場に立ったことがない」人の意見ですね。 あなたも何か著作物を作ってみればいいんです。 曲を1つ作成するのにどれだけの手間、暇がかかるか。 それをボタン1つでポンと真似されて、「私が作ったんだ」と言われてしまう。または、せっかくの食い扶持を奪われてしまう。 この悔しさは、自分で物を作る人間じゃないと分かりません。 価値が下がるとか、お金儲けとか、そういう問題じゃないんです。 著作権法は、「言うまでもなくあって当然の権利」を、わざわざ明文化したにすぎないものです。お金儲けの道具じゃありません。 他人の権利をもう少し尊重してください。
お礼
回答ありがとうございます。 もっともな意見だと思います。でもそれが私には面白くない。 音楽において。「私が作ったんだ」とたとえばCDを発売するにあたって言う人がいて、それを訴える人がいるとしますよね?それならば、実際演奏してみればいいので、すごい方に一票、ということにすればいい。もちろんそこで好みは分かれて当然で、それで食えないようなアーティストならいなくていいんです。ほんとにいいものを少量作ってだけで満足してるのなら努力が足りないということで。 ま、そのくらい今私はつまらなさを感じてるのですが、一応音楽でなんとかやってこうと思ってる者です。こんなところでぐちってる場合じゃないのかもしれないですけど。 ただ、いいものが生まれるためにより効率よくするために、著作権はいらないと思うんです。絵だってそうじゃないですか?本当にいいものはそのもの一つで。模写されてもいいではないですか。アーティストはそれならこれはどうよ?とあきらめない強さも必要だと思いますが。
お礼
まことにみなさんのご意見参考になること 感謝しきれない思いです。 自分がこの質問をあげたのも作品つくりの間に どうして無駄なことでいらいらしてるんだ自分は という妙な葛藤から始まったように思います。 自分の中でまだ解決していませんが、ネットの世界 がどのように進化していくのかわかりませんが 人の五感に係わる欲求は限りなく満たされつつあるんだ と思います。もう情報はとても一人では対処しきれないので、道具を使って処理する。昔の農業の発展と同じような ことかなと思います。自分はこんな世界が気に入らないと いっても急に自給自足の生活には入れない。(入ろうとする勇気があるかどうかが問題ですけど) とりあえず、悩みに悩んでも、どうせ、目が、もたないのです。やりたいことをやりぬくことを許されていた子ども 時代、(自分は普通の家庭で育ったため)ファミコンの世界に没頭して視力を失ってそれから健康を気にするようになり、モットも健全な遊びとはなにかを考えているように思います。誰もが認めて楽しめる世界はなんでしょう、と。時間がどんどん過ぎていくうちに世界は変わっていき、そのスピードと自分の寿命を比べつつ、全力でぶつかることで人生を活かそうと思います。 なにものの言うことも関係ない、ただ、自分に係わるものが真実でという考えの元で面白いかどうかを判断していきたいです。およそ面白いことはこの世に見えることばかりではないので。 さて全く行き先の見えない自分の話はこの辺でやめます。 まず自分の納得のいく作品を作れるようにがんばります。 著作権うんぬんなどカンケー無いくらいのものをつくればよいので。質と量で圧倒したいですね。世界を。最近のボブサップが最高に面白かったように。 最後にどうもありがとうございました。またどっかで質問して出会ったらよろしくお願いします。