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信長の死生観について
勉強不足で恐れ入ります。 織田信長の死生観について皆さんにご意見、お考えををお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか? ふと気になり、ネットで検索してみたのですが、信長ほどの重要歴史人物にもかかわらず、 「信長の死生観」についてはそれほど言及されたもを見つけることが出来ませんでした。 どんなものでもいいのでお聞かせください。
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うろおぼえですが、仏教Vsカソリックの宗門論争会を開き、 双方の論争を聞いた挙げ句、 「輪廻、転生」を主張する仏僧の顔をのぞきこみ、 不思議そうに「そちは、馬鹿か?死ねば何もないのだぞ」と言った逸話です。 「そちは馬鹿か?」で笑ってしまいました。 ある意味秦の始皇帝より凄いですね。
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- komes
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信長の生きた時代は弱肉強食の時代で文字どうり生き残る事が大切でした。 従って天下布武の見通しがつくまでは生死を考える余裕はなかったとおもいます。 しかし安土城を建造する頃には彼は自分を神にみなす様に成っていました。 城内の岩石を自分の分身とみなし家臣に礼拝を強要する位でした。 それまでの一応皇室を尊重する姿勢から、天皇を越える位置に自分を置く態度に転じています。 自分を生死を超越した存在と観じ始めたのではないかと思います。 下克上の最たる思い上がりと評され、「高転びに転ばれるだろう」と安国寺恵慶に予言される程でした。
- santoshi
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信長が好んでいた能の敦盛「人間五十年、下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり。ひとたび生を受け滅せぬもののあるべきか」 これにつきると思います。 当時人生50年といわれていた戦国時代。信長はどうせ生まれて きた人間は必ず死ぬのだから悔いのないよう50年を生きようと していたのではないのでしょうか。 あと忘れてしまいましたが、「死のうは一生・・・」の詩?のくだり も好んでいたと信長に書かれている歴史の本に出ていました。