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混沌を認識する方法
存在を分類することにより、知覚できる範囲内で存在に対する共通認識が得られるようになった。 これにより、すべてユニークであるものを一定の特徴でグループ化してとらえ、今までの経験で得たそのグループについてのメタファを活用できるようになった。 存在を数値化することにより、知覚できる範囲はもちろん知覚できない範囲も含めて、存在に対する共通認識が得られるようになった。 これにより、数学を用いて予測することができ、論理的な認識が可能となった。 では、分類も数値化もできない純粋に混沌としている存在を認識する方法はあるのでしょうか?
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宇宙人とのコンタクト、という目的をもっている場合は、おっしゃる通り、数学、又は持ちつ持たれつの関係である物理、その辺が最も適していると思います。 哲学としてのアプローチとなると、その目的を追求する以前に、宇宙人とは、コンタクトとは、という所から入り込んでちっとも目的に到達できない、という事態に陥りそうですね。切り口としては、哲学的な切り口から、以外な発見が無いとも限りませんが。 知覚も計測も出来ない存在でも、思考実験などの手法があると思いますが、これも物理、数学の範疇ですね。
その他の回答 (1)
はじめに"存在を分類することにより、知覚できる範囲内で存在に対する共通認識が得られるようになった。 " という時点で"純粋に混沌としている存在を認識"した事になるのではないでしょうか。純粋に混沌としている存在は、"純粋に混沌としている"カテゴリーに分類されたと思います。 (しかしながら、はじめに存在を分類したにも関わらず、最後に分類も数値化もできない存在として、純粋な混沌を表現したことで、純粋な混沌はそのどちらも満さなければならなくなって、ご質問が破綻してしまっていると思います。)
補足
ご回答ありがとうございます。 その他とか不明という分類をつくれば何でも分類できますね。質問が悪いですね。 知覚できるものは分類で共通理解できる 計測できるものは数学で共通理解できる では知覚も計測もできないものを理解するアプローチはあるのだろうか? という感じの主旨だと思ってください。 哲学は本をナナメ読みするぐらいしかしたことありませんが哲学は学問として数学に束縛されていない印象を受けました。 数学で宇宙人とコンタクトしようしていますが、それ以外のアプローチを哲学は提供できないのだろうかと漠然と思っていました。 哲学は存在や認識に対して長い年月議論されているのに、なんだか哲学が数学に負けているような気がして・・・
お礼
ご回答ありがとうございます。 とても参考になりました。 「思考実験」というものを調べることにしました。 なかなか面白そうです。 ありがとうございました。