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欲望の充足と快楽の追求はどういう関係に立つのですか?
欲望を充足することにより、人間を間に挟んである種の快楽を達成できることから、人間は欲望を充足しようとするわけですよね。 人間を間に挟まないで追求できる快楽もあるわけですよね。 人間を間に挟まない快楽だけを追求すれば、社会的には劣位に位置づけられることになるわけですし・・・。 御回答よろしくお願いします。
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こんにちは。 欲求とは目的を達成するためにあります。 動物の脳内では「欲望(動機)」は「快楽(報酬)」に対して発生するように定められています。そして、「追求」とはその動機に基づく行動選択であり、「充足」によって行動は終了されます。これにより、欲求に対応した目的が必然的に達成されることになります。 我々動物にとって「欲求」とは、一次・二次欲求も含め、その全てが「生物学的目的の達成」のためにあります。 動物といいますのは個体それぞれがこの欲求に従って行動を選択することによって種の目的が達成され、社会が構成されています。ですから、欲求の充足だけが行なわれても本来の目的が達成されないということになりますと、それは種にとって大きな損失となり、やがては絶滅することになります。 その欲求は人間を間に挟むことによって満たされるのではなく、人間を間に挟むという目的を達成するために存在するものです。
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- my3027
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#1です。 >たとえば、親の遺産か何かで暮らしていて孤独に家の中に一人でいて物理学や数学を勉強したいという意欲が湧いてくるでしょうか? 答えはYESだと思います。数学者や物理学者は、考え出すと自分の世界に入り他の人を遮断します。実例として (1)ニュートンはコレラ流行で田舎に帰り、数年一人で研究に明け暮れ微積分を形式化した。ニュートンは生涯独身でした。 (2)ラマヌジャンというインドの数学者は、学校卒業後殆どを他人の善意(カースト制で上部であったのと、友人の家で居候等)で生活し、ずっと一人で自然の中で石版に数式を書き続けました。彼はその時独身でした。家族とも居候生活で離れていました。
- my3027
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>人間を間に挟まない快楽だけを追求すれば、社会的には劣位に位置づけられることになるわけですし・・・。 なぜですか?個人的には、探究心も欲望だと思います。食欲や性欲とかわりません。例として自然の摂理を知りたいというのも欲望です。物理学者や数学者もその欲望を追求していますが、その世界には人間が存在しません(唯物論的思想)。彼らは社会的に劣位ですか?ニュートンやガウス、オイラーは社会的に劣位だったんでしょうか?そうではないと思います。 欲望は快楽の追求ではあると思いますが、その快楽は様々なものがあると思います。
補足
御回答ありがとうございます。 たとえば、親の遺産か何かで暮らしていて孤独に家の中に一人でいて物理学や数学を勉強したいという意欲が湧いてくるでしょうか? 欲望はどうしても「他者性」を必要とするものではないでしょうか。