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生活する上で、”人間の欲望は、際限無きものですか。

一度、生を受けて亡く成るまで”人間世界、”果たして”欲望に限り有るものか。? 古来、人が”五大欲望と言われますが、現代社会:複雑緻密に成れば成る程に、 (1)財欲(2)色欲(3)飲食欲(4)名誉欲(5)睡眠欲(6)その他 その他事項では、人として”後、知識欲・健康長寿欲・性不満欲(バイセクシャル)・・等々、無数に存在するものでしょうか。? ご見識を賜れば、誠に、幸甚に存じます。 以上

質問者が選んだベストアンサー

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  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.2

随分前に「清貧の思想」という本を読んだことがあります。 登場人物は、いずれもそれぞれ時代を代表する人物ばかりでしたが、全ての欲望の果てに見つけた境地が、隠遁生活であったり放蕩三昧であったりする。 良寛さんなどは、欲望とは対極に位置するような生き方で、無一文、無一物を絵に書いたような赤貧ぶりでありながら、子供たちの純真な心こそ仏に他ならないとして、近隣の子らと手毬をついては遊んでいた。 人間世界と言っても、生き方自体は個人の選択によるものであり、際限なく欲望を追求するのも、いろりを結んで隠遁生活を送るのも、それぞれの個人の思想の問題でしょうね。 要は何を人生の目標とするのかということだと思いますよ。

tknkk7
質問者

お礼

早速の、ご回答を賜りまして、厚く、御礼申し上げます。 色々な苦難と自己迷い心が有り、目標を見失う事は、恥ずかしい限りです。 勿論、良寛御坊存じ上げて居ります更に、過去に”放浪の俳句歌人:種田山頭火・御坊のお話し・更には、昭和で言えば、”放浪画家:山下清画伯の事も ご指摘の通りなのでしょう、TVドラマでの知識ですが、それにつけても”先人の、先天的能力に、確実に”劣る我が身・我暮らしを、つれずれに”自己分析を考えるにつけて、誠に、悩ましく切なく、せめて”先人の爪のアカでもと・・・悩みまくる毎日です、有難う御座いました、失礼を致します。

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  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.6

tknkk7様、こんにちは。 「飽きるもの」?と、自分も、あるいは他の投稿者も、(過去に)試みているんですが、 「それは、「一時的なもの」に過ぎない」というご回答が、下されております。 ・・・今回は、どうでしょう?

tknkk7
質問者

お礼

ご回答を戴きまして、誠に、有難う御座いました。 確かに、”ご指摘通りでした、こう言う何でも相談サイトで、”少し、地味過ぎました、”質問主旨から”それなりに、想定回答内容は、概ね予想通りで、十分勉強に、なりました。 矢張り”野に於け、れんげそう。・・・ ・・そう言う気持ちが、生じたのは、確かでした。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.5

人間の生理的「欲求」には、限度があります。 食べ物をいっぱい食べたいと思っても、生理的に言って限界があります。 しかし、「欲望」は「差異の欲望」だから、限界がありません。 あなたの挙げている欲望には、欲求が混じっています。 3の飲食欲は欲望ではなく、欲求です。 睡眠欲も欲望ではなく、欲求です。 そして、健康長寿欲も、どちらかといえば、欲望でなく、欲求です。 性不満欲も、どちらかといえば本能によるものですので、欲求です。 なぜかといえば、欲望は「差異」に基づくもの、そして「差異」はそのものと他のものとの関係にあり、そのもの自体にはないからです。 たとえば、あなたが車を買うと、隣りの人は「差異」を求めて、あなたよりももっと高級な車を買います。 それを見て、あなたはさらに隣りの車との「差異」を求めて、もっと高級な車に買い替えます。 キリがなくなります。 車でなく、女性の買うハンドバッグにも、流行の服にも言えます。 友達がハンドバッグを買えば、自分は「差異」を求めて、友達よりももっと高級なバッグを買います。 すると友達はブランド品のバッグを買って、あなたに対し、「そんなバッグよりも、私の方が高級よ!」と言って自慢します。 するとおなたは、何よ!と言って、もっともっと高級なバッグを買って友達を見返します。 「差異」には限界がありません。 現代社会は「差異」によって成り立っていますから、使える物もどんどん捨てます。 そして新しいもの、高級なものに買い替えます。 もし、限界があるとしたら、地球資源には限界があるということです。 どこまでも、無限に消費するわけにはゆかない。

tknkk7
質問者

お礼

ご回答を戴きまして、誠に、有難う御座いました。 ”物事、すべからく、”比較相対論的・手法ですか。 確かに、そう言う考え方も、有るものだなぁ・・・と感じました。 ”存在する”あらゆる分野で資源は、何時かは”枯渇する事でしょう。 納得です、有難う御座いました。・・・

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11136/34652)
回答No.4

脳科学者によりますと、人間の創造力というのには際限(リミッター)がないそうです。人間はどこまでも創造するし、創造することに満足することはないのですね。それこそが文明をここまで発達させてさらに発達させる原動力になっていると思います。人類は今、かつて経験したことがないほど豊かな状態を作り出しています。しかし、もっと便利に、もっと豊かにするために何かを創り出そうというエネルギーは全く衰えることを知りません。 その想像力の原動力となっているのが、知的好奇心です。知識欲ですね。知識欲は高尚なものであると認識されていますが、「欲」という点においては食欲や性欲や財産欲と変わるところはありません。お金を得たいも知識を得たいも基本的には変わらないのです。ただ、お金を得たいのは下賤で知識を得たいのは高尚と思われているだけです。 脳というのは、ネットワークを作ろうとします。脳が正しい方向に活発になると、ネットワークをどんどんと構築しようとするんですね。でも実は脳の目的はネットワークを作ることではなく、その作ったネットワークから情報を出力することなのです。出力が脳の目的なんですね。 これをもうちょっと分かりやすくいうと、知的好奇心というもので脳のネットワークを構築して知識を得て、何かを創造するという形で出力をするのです。デッサンを練習して絵画を作るのはその典型例だといえるでしょう。何のためにデッサンを練習するのかというと技術を向上させるためで、なぜ技術を向上させるのかというと描きたい絵があるからです。 人類は今までずっと、哲学は哲学として追及してきました。けれど21世紀になって、遺伝子と脳科学というのが爆発的に発展するようになりました。いずれ哲学や芸術、例えば素晴らしい作品を見てなぜ我々は感動するのかというのも脳科学で研究されていくことになるでしょう。とはいえ、その仕組みはあまりに複雑で奥が深く、研究が爆発的に進んでいるとはいえ、私はまだ人類はその全体の1%も分かっていないのではないかなと思います。

tknkk7
質問者

お礼

早速、ご回答を賜りまして、厚く御礼を申し上げます。 ご回答を戴きまして、”かの”レオナルド・ダヴインチ、”モナリザの微笑み絵画を、いみじくも、想起致しました”今もって”あの神秘さの謎が解けない訳ですから。・・・ ”人間の頭脳に”リミッターは”無い物・とも角、前へ前へ進む事が、確かに、宿命的可逆的事象なのでしょう。ご尤もです、敬服を致しました。 人間の神経伝搬物質・”アドレナリン・人間の体内で”処理オーバーを、すると、自然発生的に”アドレノクロムへと物質変化を遂げるようです、確かに幾ら考える:智慧・創造性・たゆま無き個々に”新陳代謝は必要でしょう。 ☆”コンピュータ系で”ネットワークと言えば、そうなのかも知れません。 只、俗に言われる”DNA遺伝子も”影響ありやと言われれば、誠に悲しい限りです重ねて御礼申し上げます、有難う御座いました、失礼を致します。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

”果たして”欲望に限り有るものか。?   ↑ 無いと思います。 1960年と比べて、今の日本人は物的には 5倍以上の豊かさですが、それで満足している 人が何人いるでしょう。 欲望に限りが無いので、人類の文明は発展し続ける のであり、紛争も絶えないのです。 無数に存在するものでしょうか。?   ↑ 欲望の根源は、生存です。 食欲、性欲、睡眠欲は生存そのものであり、財欲 名誉欲などは、生存をより安定、快適にする為のモノです。 無数かどうかは判りませんが、かなりの種類に 及ぶと思います。

tknkk7
質問者

お礼

早速の、ご回答を賜りまして、厚く、御礼申し上げます。 先般より、今の日本社会でも”AI(人工知能)の普及と、更なる技術革新が進み、何とも”不安一杯と、又、走り続けなければいけないのかと、現代文化と先端社会の行末に、何とも危惧して居りまして、”詰まる処、近未来の サバイバル社会・競争激化・・欲望こそ進歩の証明:”人生を宝探しとすれば、確かに、努力は無限・押えるポイントは、精神力・体力でしょうか。 重ねて、御礼申し上げます、有難う御座いました、失礼を致します。以上

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>生活する上で、”人間の欲望は、際限無きものですか。 そうだと思います。 優先順位や程度に差はあっても、意識する無意識は別として、欲望欲求は尽きることなく満たされず際限ないものだと思います。 それは煩悩とされたリ、マズローの言うところの欲求の5段階説等で先人から私たちに語られ伝わり教えられて来ました。 私たちの人生を旅や山登りやマラソンに例えられる場合がありますが、旅で言えば未知の所&話題のスポットを訪ねたい、思い出の地や感動した所にまた行ってみたいと思う。 山登りでは、そこに山があるから頂上が招いているから登りたいし、より高い山や四季折々の変化を味わいたいと思います。 マラソンでは、楽しむだけから完走したい目標タイムで走りたい、あのレースに挑戦したいとゴールは様々、目標(欲求)も次々と変化変容するのでは・・・ それらの比喩やイメージは人それぞれだが、欲望を言い換えれば好奇心やチャレンジ精神や向上心・克己心は人間の持って生まれた本能でありパーソナリティ、それぞれの人生の成長や生きた証でありエネルギー、生き抜くためのエンジン、喜怒哀楽の葛藤模索の象徴だと思います。 ※関連記事 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A9%E6%82%A9 http://www.motivation-up.com/motivation/maslow.html

tknkk7
質問者

お礼

早速の回答を賜りまして、厚く御礼を申し上げます。 正に、ご慧眼に”眼からウロコが、落ちる思いです。 確かに、言葉にボキャブラリーに適切な、お礼言葉が見つかりません”不明を恥じています。 *人間でも、エンジン・ブレーキ・抑制ファンクション無ければ、それは、 只の”物体でしか無いものなのでしょう、重ねて有難う御座いました。

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