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人は、達成感のために生きる

説明下手で伝わり辛かったらすいません。 例えば創作だと、自分の作りたいものを具現化するまで作業。 スポーツも勝つという達成のために長く練習する。 登山も登頂という達成のために登る。 達成感が幸せと感じるのか? それなら、快楽のためだけに生きる。 おいしいものを食べるために生きる。 という単純なものでいいのではないか。 でも、風俗いくにも金。おいしいものを食べるために金稼ぐ。 つまり仕事という作業の先にある達成感がある。 やはり、要するに達成感を感じたいがために人は生きてるんでしょうか? その辺を詳しく追求した理論や思考があれば、教えてください。 また、私の考えに対してどう思いますか?個人的意見をください。

みんなの回答

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.8

No.5です。 お礼ありがとうございます。 補足の方ですが >完全なる安全安心を手にいれてしまったら達成に見合う事ってなくなりませんか? 何もしないで、完全なる安全安心が継続するものってありますでしょうか。 無常である世の中に、私はその存在が確認できません。 婚姻届を出しても完全なるものではないですし、就職しても十年一日同じレベルの仕事をしていれば その仕事は保障されるものではないでしょう。 同じ状態を保つことにさえ人は努力と進歩が無ければ、維持さえできません。 「もういいや」と思ったとたん進歩はせずに過去の人となります。 生きていくこととは前に進むこと。 昨日よりも今日、今日よりも明日。 その為に今に力を注ぎ、生きることだと思います。 10年後も今と同じレベルで生きていたら、私は退屈で死んでしまいます(笑) 生きていく必要性だけでなく、楽しいから進むのですけどね。 必要性と楽しさは、本来重なるものだと思います。

  • ai-aou
  • ベストアンサー率24% (33/136)
回答No.7

達成感や快楽の追究に生きる限り、肉体の奴隷です。肉の考えに生きる限り、人生が消化試合になるでしょう。DOでなく、BEとして生きる事をおすすめします。我々は、生きているのではなく、生かされているのですから、達成=結果、に生きると、人生が戦いになってしまい、むなしいだけです。豊かな人生を応援しています。

strength2013
質問者

お礼

回答有難う御座います。 肉体の奴隷・・・すごい表現ですね。 検索してみたら、Doが手段や技術でBEが大元の感情や動機って感じですかね。 私の質問にあてはめると、食欲や快楽がBEでそのために仕事したりするのがDoなんでしょうか?だとしたら、違和感ありますね。 でも、私は絵を少し描くんですが技術ばかり勉強してると全然描かずに上辺だけ成長しちゃいますね、ソフトの使い方がうまくなったりして描くことと違うような、デザイナー感覚になっちゃいます。最終的になんで絵を描きたいか自問自答する事になります。 そういうことですね、私は何となくうまい絵を描きたいから描くんです。

  • tsurutto
  • ベストアンサー率14% (8/54)
回答No.6

確かに達成感はとても大事。俺の話だけどね、今40代だけど30代の終わりに1部上場企業を辞めて下町の裏通りに店を出したんです、あの時は確かに会社での仕事に達成感が得られ無くなってたなと思う。でも結局店は失敗して借金が残って離婚されて自己破産した。それでとにかく稼ぎたくてポスティングやってたらいつの間にか35万くらい稼げるようになった。大抵の物は買えたけど、虚しさを感じて辞めた。いまはある団体で世界平和を目指して働いているのがすごく楽しい。給料は15万がやっとだけど…達成感は滅多に味わえないけど。小さな達成感は大して役に立たない気がする。

strength2013
質問者

お礼

回答有難う御座います。 まさに、自身の人生を生きてる感じですね。 30代というのは、勝負の年だと予想します。 例えると20代で準備30代で勝負40代で何だろう、10代も分かりません。 先ほどの回答者様も仰られたように、チャレンジしていくって大切ですよね。 世間を意識し過ぎて自分を殺し、挑戦しないでというのは、40、50代の人達が言うには後悔したことの一つらしいです。 tsuruttoさんはお店を出された事に後悔はありませんか? もし、後悔していれば挑戦してもしなくても後悔するという事になってしまいます。 一体、正解はどこに…興味深いです。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.5

達成感は大切ですよね。 簡単にできることや、お金などの引き換えで手に入るもの。 そういったことに人は強い達成感を感じないのだと思います。 今までの自分が到達できなかったこと。 努力の末に手に入れたもの。 つまり、より自分を高めていくことで手に入れることができる達成感。 それ以上に強い達成感を感じることは、まず無いように思えます。 ゲームでも初めてやったときは一面をクリアできても達成感がありますが 一面しかやらなければ、ただのマンネリとなります。 自分がチャレンジすること、成長することに達成感は繋がっていると思います。 ちなみに美味しいものを食べたときは、私は美味しいと感じますが 達成感は特に感じて食べていません。 いかに美味しいと思うかを、作ってくれた相手に上手く伝えることには達成感はあります。 書いて気がついたのですが、どうやら日常的に達成感を手にしていますね。 自主的に能動的に動いたとき、手にしているようです。

strength2013
質問者

お礼

回答有難う御座います。 努力の末に手入れるもの、達成感ありますね。 ただ正直、努力・自主的な行いは、体力使うしあまりしたくありません。 でも、達成感があります。 例えば好きな子と、○○したいと思えば○○したら達成感あります。 山登りも絵も食べてくれる人がいる料理も、そうですね。 書いてて気付いたのですが、絵にしても何にしても達成感に見合う努力かどうか。 その努力をする価値があるか、見定める必要がありますね。 完全なる安全安心を手にいれてしまったら達成に見合う事ってなくなりませんか? 新たな疑問が生まれてしまった。

noname#181117
noname#181117
回答No.4

オリンピックなんか見てて良く思うんだけど、長い練習の積み重ねて得た達成感は、どのくらいの時間続くのだろう。 登頂して、人がその場にいる時間は、せいぜい10~20分。 すぐに下山だよね。 人が達成感を味わえるのは、ほんの一瞬にしか思えない。 その一瞬のために、努力を積み重ねているんだろうか。 いや、本当に得たいものは、別のところにあると思わない? >つまり仕事という作業の先にある達成感がある。 それはわかるけど、風俗を目指して、快楽を目指して仕事をしてる? 仕事中に、頭に浮かぶことはあるだろうけど。 幸せは、理想や目標を持ってそれを目指し、努力の末に得られるものだと思ってる人が多いみたいだけどね。 でも生きるということは、未来を目指して進むことではなくて、過去を積み重ねていくことではないかと、私は最近思うようになりました。 幸福は先にあるものではなく、振り返って気づくことではないかと。 だから、良い過去を積み重ねたい。 そのために、高い理想や目標などいらないし、身の丈で充分だし、無理に頑張らなくていいし、今がつまらなくても後で良いと思えればいいし、将来をひるむ必要もない。 年齢もあるところまでくれば、後は身体は衰えるばかりだ。 そこで感じることは諦めか? いや、そんな自分に合わせて、誰もが前に進んでいるでしょう? 人生の最後を迎えるとき、振り返って感じるその人なりの思いが、達成感に近いものではないかな? 誰もがそこに向かって生きているという意味では、達成感のために生きていると言えるかもしれませんね。

strength2013
質問者

お礼

回答有難う御座います。 瞬間的な達成感の他に、思い出として自慢したりできます。 それは浅はかな欲ではありますが… 他に、自分の自信・財産になります。 これは、幸福に値すると思います。 ただ、過去を振り返っても達成感は感じません。

  • root_16
  • ベストアンサー率32% (674/2096)
回答No.3

生きることに目的は必要ないと思います。 目的がなくても、既に生きているので、 目的の有無によって生死が左右されないのは明白です。 また、積極的に死のうっていうのは 目的なので、目的があることによって死ぬこともあります。 なので、何のために積極的に生きたいか? については個々人の意見で色々あると思いますが、 「生きている」こと自体は「状態」なので 目的とは無関係だと思います。 例: トイレに行きたいときも生きている。 寝ているときも生きている。 死にたいときも生きている。 事故にあってもうすぐ死にそうで死にたくない時も生きている。 死んだ時は何か考えられるのかは分からないが死んでいる(ただし他者の観測による)。

strength2013
質問者

お礼

回答有難う御座います。 言われてみればそうですね、生きていること自体は状態なので目的は必要ない。 すごいです。今後使わせていただきます(笑)

  • cubetaro
  • ベストアンサー率24% (1290/5172)
回答No.2

 専門家ではありませんが、そういう事だと思います。  何かを達成した時に脳内に快楽物質が出るから、そういう事(快楽物質が出る作業)を求めるのかと。  あとは子孫を残す本能でしょうか。

strength2013
質問者

お礼

回答有難う御座います。 マズローの欲求段階説によると、本能的欲求は最も初歩的な欲求でそれがある程度満たされると安全の欲求をある程度満たしたくなるそうです。 だけど、本能を満たせば脳内物質はでるが安全を満たしても物質はでそうにありません。 その次が、所属と愛の欲求。愛は脳内物質がでると思います。所属は、安全の欲求と同じく快楽物質というよりは、安心感が得られるといったところでしょうか。 この事から、快楽物質のために生きるとは言い切れないと思いました。

回答No.1

タサカヒロシさんの本に同様の事が書いてあります

strength2013
質問者

お礼

回答有難う御座います。タサカヒロシさんて誰ですか。 検索したらシンガーソングライターの方がでてきました。

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