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人間にとっての快楽とはすなわち生存本能の満足のことか?
いわゆる「快楽」についてなのですが、そのすべては「生存」の安定に結びついたものでしょうか? 性欲(恋愛)、食欲、睡眠欲などすべて自身の生存と種の保存本能を満足させることに付随しています。それ以外にも自己顕示欲とか社会的受容欲求とかありますが、これもまた人間という種の群れ的な満足、自身の生存の安定性につながったものです。 はたして、それ以外の「快楽」、まったく生存の安定あるいは繁栄から独立している「快楽」は存在しないのでしょうか?
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- pupurr
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ランナーズハイというものがあります。 快楽とは脳の神経伝達物質です。 ですから、伝達に必要な物質といえます
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答的な投稿ではありません。 回答番号:No.1 ご回答さんは、快楽ということの種類と範囲の問題を示唆しております。 性欲にしろ、その形態にしろ異常な状況や好奇心、残虐を快楽とすることも多いですね。 怠け、のさっとした生き方、あり方が必ずしも快楽かどうか問題があろうが、そこから這出でる努力や気持ちを苦痛とする場合や人もありましょう。 これは嫌なことを避けるという快楽でしょうか。 そういう快楽が自己や種のためにはならないことはお認めいただけますか? 嫌なことは、味覚やその他の五感的なことばかりではなく、心理や生き方、そして対人関係でもありますよね。 それに立ち向かうことが身のためなのに、避ける。 苦痛がいやだから。 これも快楽でしょうね、繰り返しですが。 精進や修行をしなきゃいけない、自分や全てのために。 でもやりたくない。これはどうなのでしょうか? ヒンドゥの哲学の修行ではこれを快楽といいます。 今はお部屋も暖かくしているでしょうが、真冬、暖気のないところで暖かい布団をでるのはいかがでしょうか。
一つ言えることは、決して 本能≠生存 ではないということである。 我々の本能とは、単に我々(意識体)と世界とを結びつけている 「肉体」 という インターフェイスの有する機能 (しかもメンテナンス機能) に過ぎないのである。 そして、本能を実行する時に感じる快楽とは、 ただそれらの機能が順調に作動していることの認識感覚に過ぎないのであり、 それが直接我々の生存へと結びついているワケではない。 たとえば、我々が自分の乗る車の整備がしっかりなされていれば、 確かに気持ちのよいものである。 ガソリンも満タン、オイルも新しく、エンジンをかければ心地良い回転音がする。 しかしいくら快感だからと言って、いつまでも座席に座りエンジンを空ぶかしてもしょうがない。 問題点は、その車を使って何をするかということだ。 その目的こそが我々の生存に直結しているのであり、 イザその目的に向かって肉体や車を稼動させば、快感よりは苦痛や苦労の方が大きいのが常である。
- h1r0s13
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他者を思いやる気持ち、見返りを求めない愛があります。 いわゆる母親が、我が子に注ぐ無償の愛があります。 謂わば、太陽のごとき与えっきりの愛です。これが「快楽」の極みであろうと思います。
- hakobulu
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「安定」の定義にもよるでしょうが、欲求の基本としては保存と安定があると思われます。 この場合の安定は現状からの脱却、後退を意味します。 保存は現状維持、あるいは促進です。 たとえば何かに一生懸命になっているようなとき、それは保存・促進の欲求でしょう。 しかし、同時に、やめたい、中止したい、張り詰めた緊張感から開放されて安定したい、という欲求も働いているものです。 前者は生への欲求が元になっていますが、後者は死の願望、いわゆるタナトスから出てきます。 生きるということは構造的には、生と死のバランスが拮抗した状態である、と捉えることもできますから、これら相反するように見える欲求が同時に存在するのは、むしろ自然なのかもしれません。 個人の中で、どちらの顔を立てている状態であるのか、という違いがあるだけです。 >まったく生存の安定あるいは繁栄から独立している「快楽」は存在しないのでしょうか? :ここでお使いになっている「安定」の意味に則ってお答えするならば、あるように思います。 しかし、それは生きるという保存欲求を満たすために必死になっている社会には理解されずらいものとして顕現してくる、ということになるでしょう。 前述した、「保存」の逆としての「安定」の顔は「破壊」として現れます。 あるとするならば何か?と問われると思いますが、「破壊のための破壊」などがそれに当たるように思います。
- jugemjugem
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本能というのは、生存のための有利な刺激に「快楽」を、不利な刺激に「不快」を感じるのでしょう。 つまり、「生存」や「種の保存」という目的のために「快楽」が使われる。 脳の中には快楽を司る神経系があって、その受容体に適合する脳内物質が分泌されると、その神経系が活性化する。 脳内物質の組成の違いによって活性化される神経系が違ってくるが。 薬物やアルコール、ニコチンというのは、快楽を司る脳内物質と元素組成が似ている。 そのため、体内に取り込まれ、血液にのって脳内に到達すると、快楽を司る脳内物質と同じ働きをする。快楽を感じる。 つまり、薬物などへの依存は、手段の目的化で、本来「生存」が目的でそのための「快楽」なのに、「快楽」を目的として追求するようになってしまっている。 その問題点は、薬物依存性者をみれば明らか。 「快楽」に本来の役割以上のものを求めるのは問題がある。
性欲とエイズ、食欲と糖尿病のように度を超すと命にかかるものもあります。睡眠欲は分かりませんが自己顕示欲にしても同じではないでしょうか。つまり度を超すこと自体がお考えのタイプの快楽ではないかと思いました。またいわゆる反社会的快楽というものもあると思います。何か快楽になるかが人によって違うということもありますがいわゆる薬物嗜癖などはその代表ではないでしょうか。
- dog-hamsta
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日ごろは理性ですべて抑えられてるのでしょうか? 人により、理性の大きさは違うと思います。 だから、顕示欲が大きい人、小さい人。 それで、群れの順序ができるのでしょうか。 群れの中でまた争いはありますが、理性で抑えるのでしょう。 酒で酔っ払った時に、でるのでしょうか? いろいろ。
- Grandeco
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えと、まず、自己の生存と種の保存は全く別の問題ですので区別が必要です。結論を言えば「種の保存の本能」は無く、種が存続するのは「種を構成する個体が存続」する結果です。社会の安定(への貢献)は確かに個体の生存にプラスの影響があることが多いですが、それを「種の保存のため」と言い換えてはいけません。次に、進化的な議論では、本能が存在するのはその本能が個体の適応度を増大させたからと考えるのが一般的ですが、適応度とは平たく言えば生涯繁殖成功度のことです。これは生存と必ずしも一致しない場合があります。 例えば、若い男性が向こう見ずな行為を行ったり、喧嘩などで負傷したり、殺人を犯したりする傾向は世界共通です。これは配偶者を巡って肉体的に争っていた時代の名残かも知れません。闘争はしばしば個体の生存を脅かすけれど、より大きな繁殖成功を得られることでカバーされます。 現代では私たちの心を形作った時代と生活が大きく変わっていますよね。ですから脂肪や甘い物を好む傾向、タバコ・薬物・アルコール依存のように生存を脅かすけれど快楽を感じる事もあります。 自己顕示欲はハンディキャップ理論(と経済学のシグナリング理論)、社会的受容や評判獲得の欲求は間接互恵性というそれぞれの進化を説明する理論があります。
- MOMON12345
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薬物中毒はどうなるのでしょう。 生存とは相反しているように思えます。
お礼
そうですね。そのあたりの考察が抜けていました。アル中、薬中、ギャンブル中なども同様ですよね。 ただ、これらの快楽は、心底満足している快楽なんでしょうかね。どこか心の奥で引っかかっている快楽というのは本物ではないのかもしれないという気もします。