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現代では否定された封建的な権利って具体的にどんなの?

以前民法を勉強していたときの疑問です。 物権法の最初にこんなことが書いてあります。 「現代では、封建時代に存在した慣習上の複雑な権利関係を否定し… …近代的所有権を中核とする簡潔な物権支配関係を構築した」 これって、昔は訳のわからない権利とかが一杯あって面倒だったから、 簡単にしたんだよ~。って意味ですよね。 ここで、疑問に思ったんです。 今は否定された、昔の権利って何ぞや??って。 私のつたない知識では、ヨーロッパ中世の領主の 「初夜権」とかしか思いつきません。 かなり刺激的なネーミングでドキドキするんですが、 単なる税金なんですよね、これ。 決して決して、 領主:「くるしゅうない、近う寄れ、グヘグヘ」 花嫁:「り、りょ、領主様、おたわむれをっ」 花婿:「ヤメロ~」   領主、花嫁の帯を引っ張る(←なぜか和服)   花嫁、くるくる回りながら、 花嫁:「あ~れ~~」 みたいな場面ではないようです。 はい、 私は大バカです(^_^;) ……話を元に戻して、 今は否定された、昔の権利って具体的にどんなんがあるんでしょうか? 一つでもいいです。 存知の方がいらっしゃいましたら教えてくださいm(_ _)m

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noname#2543
noname#2543
回答No.3

(0)  直接的な回答としては、例えば「領主裁判権」とかいうことになるのですが、それより「慣習上の複雑な権利関係を否定することの意義」を解説したほうが良いような気がするので、回答としてはピントはずれかもしれませんが、その側面から回答します。  なお、以下は、かなり「モデル」的な説明であり、実際はもっと複雑です。 (1)  個人の権利を保障するというのは、簡単に言えば「自由主義」です。そして、「自由主義」は「資本主義」と密接に結びついています。  封建制度の元では、土地の「所有権」は領主にありましたが、土地の「保有権」は農奴にありました。領主は、自分の「所有」する土地を譲渡することはできるが、何の理由もなく自分の「所有」する土地の農奴を追い出すことはできない。農奴は、自分の「保有」する土地を耕す権利を保障されているけど、その土地を勝手に他人に譲渡することはできない。つまり、だれも土地を自由に売買できなかったのです。これでは「資本主義」は成立しません。  さらに、領主の「所有権」には、「裁判権」「徴税権」等が含まれます。そして、この「徴税権」は、もともとは「体で払わせる(賦役)」ものです。すなわち、ある土地を「保有」するということは、その土地を「所有」する領主の「人身支配」に服することになるのです。これでは気軽に土地を購入することはできません。これは「自由主義」「資本主義」に反します。  この「所有権」と「保有権」の複雑な関係を撤廃し、「近代的所有権」一本に絞るという法改革が、「封建時代に存在した慣習上の複雑な権利関係を否定」ということの意味するものです。  イギリスでは、徐々に、農奴の「保有権」が「近代的所有権」となり領主の「封建的所有権」は否定され、資本主義を実現しました。その他の国は、資本主義の実現という点でイギリスに遅れをとり、このイギリスのモデルを人為的に一挙に実現させました。すなわち、フランス革命におけるフランスの農地改革、ナポレオン戦争後のプロイセンの改革です。ここで面白いのは、英仏が農奴の「保有権」を「近代的所有権」としたのに対し、ドイツは領主の「封建的所有権」を「近代的所有権」とした点です。ここにも、いわゆる「下からの改革」と「上からの改革」の違いが現れるわけです。 (2)  そして、日本において、これに相当するのが「秩禄処分」「地租改正」です。  日本の「封建時代に存在した慣習上の権利関係」はもっと複雑で、領主(大名)の「所有権(知行)」・地主の「保有権(所持)」・小作農の「小作権(小作)」の三層構造をなしていました。大名の「所有権」は「徴税権」「裁判権」を含みます。しかし、一定の重罪については幕府が「裁判権」を有します。そして、地主は小作人に対し「小作料を徴収する権利」を有しますが、逆に小作人は地主に対し「小作権」を有します。この「小作権」の「権利」としての強弱の度合いも、慣習や契約内容により様々です。自作農なみの保護を受ける「永小作」から、単なる賃借にすぎない「年季小作」まで、力関係により、また地域により、要するに「複雑」なのです。  ところが、「秩禄処分」により大名の権利は否定され、「地租改正」により地主の「近代的所有権」が確立します。これにより、日本において「資本主義」が成立し、西洋に追いつくための基礎ができあがるのです。  ところで、このとき「小作権」の処遇をどうするかが問題なりました。これは、小作農をどの程度保護するかという政策的問題です。「資本主義」の成立には、だれかが「近代的所有権」を有すればよいのであり、別に小作農は切り捨ててもよいわけです。しかし、まあ、いろいろな経緯があり、「債権としての賃借権」と「物権としての永小作権」の二本立てということになったのです。 (3)  要するに、一つの土地を巡って、知行権だとか上土権だとか入会権だとか、様々な権利関係を、様々な人が有しており、自由な取引が阻害されていたものを、「近代的所有権」を核として整理し、「資本主義」の前提を作ったわけです。すなわち、第三者に対抗できる権利、すなわち取引の安全上問題となり得る関係は民法典上の「物権」に限定し、それ以外の権利関係は第三者に対抗できない「債権」としたわけです。土地を購入する者は、物権関係にさえ気を付けていれば、突然あらわれた第三者に、権利を主張される心配は無いわけです。  もっとも、質問者さんもおっしゃるように、借地借家関係だとか、仮登記担保だとか、現代でも「複雑」です。この点については、法社会学において「果たして日本人は近代法を理解しているのか」という観点から、川島武宜の『日本人の法意識』を巡って議論されています。  また法制史学の方からは、江戸時代にも「近代的所有権」に類似する概念は存在したという指摘もあります。  しかし、やはり、「原則」を打ち立てた点には、近代法には大きな意義があるといえましょう。 (4)  ところで、近代法では、物を譲渡したら、元の所有者は完全に無権利です(不完全物権変動なんてのもありますけど)。  ところが、日本の中世に「徳政令」というものがあります。あれは「借金の方にとった土地を元の所有者に返せ」ということなのですが、これは「所有権」を「譲渡」しても元の「所有者」は完全には権利を失わない、という思想の現れです(遡及的無効という訳ではないのです)。  また、古代・中世の「悔い返し」という制度は、隠居した親が子に譲った財産を取り返せるという制度なのですが、これも同じ思想の現れです。  時間的にも権利関係は「複雑」だったのです。

kaonome2001
質問者

お礼

大変詳しくお答えいただきありがとうございます♪ 興味深く読ませてもらいました。 特に、 > 個人の権利を保障するというのは、簡単に言えば「自由主義」です。 > そして、「自由主義」は「資本主義」と密接に結びついています。 って所が、とても参考になりました。 このアプローチが僕にはなかった。 おかげで、資本主義と法律ででてくる自由主義という言葉とつながったんですよ~。 もちろん、たんなる字面の知識じゃなく実感としてです。 よーするに、 資本主義はヒト、モノ(土地?)、カネをできるだけ回して、 その効用が最大になるようにする考え(?自信なし)。 とすると、ヒト、モノ、カネがたくさん回るようにするには、 なるべく余計な制約をつけずに自由にするほうがいいんだぴょーん(←自由主義の登場~♪) そこで…、 ヒト→領主の裁判権の否定、賦役権の否定 モノ→領主の所有権否定、地主の保有権の否定、小作農の小作権の否定 カネ→領主の徴税件の否定 こんな感じに、資本主義を邪魔するような面倒くさい制約を全部取っ払って、 ヒト→債権関係だけだから自由にやってOK! モノ→物権だけだから、対抗要件(登記)だけ気をつければOK! カネ→税金は国だけに払えばOK! こんな感じに、簡単にしたというわけですね。 確かに、断然シンプルになってます。 こう考えると、最初の疑問であった、 「現代では、封建時代に存在した慣習上の複雑な権利関係を否定し… …近代的所有権を中核とする簡潔な物権支配関係を構築した」 っていう物権法の本に書いたあった記述が納得できます。 といことは、 近代的所有権っていうのは、 資本主義の理念を実現させる手段としての自由主義の理念を具体化する権利群。 こんな感じの解釈でいいってことですか? それまでは、「御恩と奉公」的なことを目的とする権利関係だったんだけど、 近代は、資本主義の効率化を目的とする権利関係にした。 つまり、目的が大転換した。 そこに近代的所有権の確立の意味があると。 だから、例え、現代が譲渡担保、仮登記担保、再売買予約…などの出現で、 封建時代と同じような複雑さになっても、それは表面的なものに過ぎない。 すなわち、権利の目的が全く異なっている点で、 近代的所有権の意味はなお大事なんだよー。 こんな感じかなあ。 うわぁ~。 大変参考になりました。 ありがとうございます♪

その他の回答 (2)

  • shoyosi
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回答No.2

 江戸時代の不動産などは典型的なものです。たとえば、江戸の町で長屋に住んでいるとします。その場合の所有者は大家でもあり、管理している町奉行、将軍でもあるわけです。その場所に新しいものを作ったり、防災のために空き地を必要とするときには、何等の補償もなくても追い出すことが可能です。無制限に実行すれば、社会不安の原因になりますので、ある程度の補償はしますが、権利ではありません。  民法典成立以後、判例で物権の成立を認めなかったものには、このような重畳的土地所有権の一種である耕作地についての上土権、所有地内に井戸を掘ることを禁ずる地役権類似の慣行上の物権的権利、田地用引水のため他人の土地内の用水堰を使用する地役権類似の慣行上の権利などがあります。

kaonome2001
質問者

お礼

なるほど~、 不動産ですか。 「なんの保証もなく追い出すことができる」ってすごいですね~。 > ある程度の補償はしますが、権利ではありません。 余談になるんですが、 なんかイメージ的に、 「だから、権利を保障されている現代のほうが幸せ」 みたいなすり込みがあるんですよね。 でも、今の法律も、 「権利は絶対だ」 と高々に謳いながら、 「権利はそれ自体に内在する制約というものがあって一定の制限を受ける」 ってゴニョゴニョいっていて、 結局、制限されるのは同じなんですよね。 むしろ、「絶対」と言い切った現代のほうが罪深い。 ジーオーの大神会長も真っ青の詐欺的論法じゃないかと。 法律を勉強していたときに思った疑問だったんですが、 あれって結局言葉遊びのような感じがしたんですよ。 「封建時代は権利関係が複雑で不便だった」 そこで、 「現代は簡素で画一的な権利関係を制定し使いやすくした」 って、 最初のほうで高々に自慢しておきながら、 各論の後ろのほうで、 「でも例外的に、譲渡担保、仮登記担保、再売買予約…(すごい量)は許容される」 みたいなことを書いてるんですよね。 結局どっちも複雑なのは同じで、 じゃあ、最初の自慢は何なんだって、 突っ込みたくなりました。 結局、今も昔も複雑なのは変わんないんじゃないかなって。 この質問をしたのは、そういう問題意識もあったんです。 お答えありがとう。 感謝(^^♪です。

  • nobunojo
  • ベストアンサー率29% (122/407)
回答No.1

日本の場合なら、徴税権の個人的な独占と世襲でしょうか。 ヨーロッパの封建制では土地とその上の人民の生殺与奪まで 全て領主のなすがまま、ってことになった(農奴制までありました)んですが、 日本の場合は土地は地主のもの、人も領主が勝手にどうこうはできないので、 封建領主ができることといったら、みんなの稼ぎの中から一定割合掠め取る、 ということぐらいですね。そのほか、「おらが土地さ通るんなら銭さ払え!」 という関税もその一種です。 もちろん、税金を「取らない」ことを決める権利もあったわけで、 戦国時代後期に出てきた「楽市楽座」(斉藤道三が始めたのかな?) なんてのは、商取引を無税にすることで 領内全体の経済的な活性化を狙った政策というわけです。 小田原の後北条氏(早雲からの)も領内の年貢を四公六民という低率に 保ち続け、戦国時代に長期に亘り、関東に勢力を保持することができたのです。 でまぁ、こうして集めた税金を個人的に好き勝手に使えるのが 封建領主の権利、ってことになりますが、実際、それをやってしまうと 圧政に苦しむ農民が一揆を起こしたり、それを幕府の隠密に察知されれば 取り潰しもまぬかれない、ってなことになりましたので、 極端なケースはテレビドラマの水戸黄門ほど多かったわけではない、といいます。 とはいえ、米を主たる財源とする一方で商品経済が勃興してきたという 矛盾があり、幕末になるほど幕府をはじめ多くの大名ではつじつまあわせに 苦しみ、ひどい大名になると財政を大商人に渡してしまったようなところも あるそうです。

kaonome2001
質問者

お礼

な、なるほど。 確かに税金をキーワードに考えると分かりやすいですね。 人間が決して逃れることのできない運命は、死と税金だ。 なんて、詠み人知らずの詩を思い出しちゃいました。 最近思うのですが、中世の領主(大名)は、 「好き勝手にできた」みたいなイメージってどこからきたんですかね。 重税に苦しむ農民と、豪遊する領主みたいな。 マリーアントワネットのようなイメージです。 なんか、「暗黒の中世」っていうイメージですけど、 実は違うんじゃないかって最近思うようになりました。 歴史的には、横暴な領主はごくごく例外で、 優秀なトップの元に優秀な人材(領民?)が集まるのは、 いつの時代も同じじゃないのかなって思うようになりました。 私的には、税金使って政府専用機をマツタケ輸送機にするほうが よっぽどアホアホのような気がしますね。 おっと、話がそれてしまいました。 答えてくれたありがとう。 感謝です♪

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