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ポップスの編曲について

ポップスでは作曲(旋律とコード)と編曲(オケ)を分ける場合が多いと思うのですが、ポップスの作曲家は自分の曲にプライドはないのですか? 自分の作った曲のイメージもあるし、自分の曲は最後まで自力で仕上げたいと思うのが作曲家として普通だと思うのですが・・・ 私はクラシックの作曲を勉強していますが、ポップスも書きます。しかし、プライドがあるので編曲を他の人に任せるのはやりたくないです。当然自分で全部打ち込みたいです。

みんなの回答

  • ways
  • ベストアンサー率31% (79/253)
回答No.7

NO.5です。意見として、書かせてください。 結局、音楽は、集まった仲間で歌って騒いで、時にしんみりとして、感情や感動を分かち合う。もしくは、仲間同士励ましあったり、赤ちゃんを寝かせたり。 民謡や漁師の歌など、みんな自分に(自分たちに)歌があったんです。そして、代々受け継がれていったわけです。クラシック音階の確立する前からずっと。 今、「音楽」そのものが、見えなくなってきてると思うんです。あまりに細分化、機械化、個人的なものになってしまって、ギター一本でその場を和ませる、沸かせる、本当の意味でのミュージシャン、アーティストが減ってきている嫌いがあります。 ビジネスビジネスしてきているような気もします。作曲の仕方は、はっきり言って変化しようもなく、作曲ツールが増えてきた、ということだと思うんです。しかしそれだって、心にメロディーが浮かばなければ、そもそもヒットも望めない。もちろん、テクニックで書く方もいらっしゃいますし、時代に応じた音楽を出される方もいらっしゃいますし。ディレクターの方の仕事、私はすみません、あまり知らないのですが、やっぱり時代性にしても個性の問題にしても、結局、いい楽曲が手元にあっての話です。 引き出しの多さというか、なぜ日本の方はジャンルにこだわるのかも、私には疑問なんです。 余談ですが、海外の芸術家は大抵、2つ3つのことができます。「芸術」という共通点から、表現手段を増やす、ということです。楽器にしても同じですし、「何を知っているかより、誰を知っているか」の方が、よっぽど大事ですし。「○○さんからオファーがきたよ」など、もちろん、少しずつ知って、出会っていけばいい、CDなどから、音楽通になることも大事です。 失礼しました。流行りがどう、楽器がどうというより、「自分は自分の音楽をやっていきたい」という、「心ある(ハートフルな)音楽を奏でてほしい」、と願う者です。

  • okweb-goo
  • ベストアンサー率29% (283/952)
回答No.6

最近のポップスでヒット曲を飛ばそうとする場合、多くの先生はかなりの部分を自分の思うアレンジまで完了してからスタジオに持ち込みます。持ち込むものは楽譜と「データ」です なぜかというと、曲の作り方が昔(12,13年くらい前から)と違うからです。 Protoolsなどというパソコンのソフトにはほとんどの現存するシュミレレートされたシンセサイザ音源があり、自宅でもやる気ならオーケストラの編曲も可能だからです。楽器選択だけが編曲ではありませんが。 つまりメロディが思い浮かんだ時点で使いたい楽器も決めてしまうことが多いです。スタジオに持ち込み、レコード会社やプロダクションの人と戦略的に「これなら売れる!」ような編曲に修正されることになります。編曲の先生は、歌手の音程、他のアーティストの動向、時代の変化、リスナーの趣向、方向性などを見極める必要もあるので、作曲者より忙しいと思います。 ですのでどこまでが作曲でどこから編曲という概念自体が崩れてきています。

  • ways
  • ベストアンサー率31% (79/253)
回答No.5

答えになっているか、分からないのですが、私の知る範囲で。 音楽にプライドはいらないです。あえていうなら、「自分の仕事に責任を持つ」「プロ意識を持つ(いい加減な仕事をしない)」です。それが出来ていて、誇りを持つのはいい。 メロディーライターは、しっかりメロディーを、編曲家は、しっかり編曲を、作詞家はしっかり作詞を。 というのは、編曲家はあらゆるジャンルの音楽に精通していないと出来ない面があるんです。多少のコードを知っていても。作曲を本当の意味で理解していれば出てこない疑問なんです。 それは、「そのプライドが曲に出てしまって、旋律を固くする」からです。ご質問者は、ご自分のスタイルを貫けばいいことでしょう? 十人十色です。 アメリカなどでは、バンド内で作編曲するのが普通です。作詞家、作曲家、編曲家と分業しているのは、確か、日本だけです。アメリカの人は驚いていましたよ? ご質問者様のおっしゃるとおり、「自分のイメージ」を優先させるからです。しかし、「それぞれの専門家が協力するという、日本の考え方も、すばらしい」と。「イメージを伝えて、仕上げてもらう」というのは、「職人(アーティザン)ですね」と。 ようするに編曲家は、作曲家の意図や、作曲家の心を理解する力が必要なんです。ヴォーカリストの魅力を出せる編曲を。 私は何曲か、海外のバンドの方の編曲を手伝ってきました。すごく感謝されましたよ?(ピアノを使うなら、クラシックの素養があったほうがいい、ということ)、 歌と違って楽器のメロディーは、「歌を引き立てる」もので、目立ちすぎてはいけない。「伴奏」というよりは、歌とともに演奏も盛り上がっていくので、演奏者ものれるようなもの、感情をこめやすいもの。

noname#54215
noname#54215
回答No.4

#1です。 うーん… 残念ながら私は『鼻歌でメロディ作るしかできないのに“作曲家”を名乗っている人間』を知りません。『作曲担当者としてクレジットされている人物』の中にそういう人がたくさんいるのは分かるのですが。 あなたのプライドが間違っているなんてことは全く思いません。私自身も、バンドの作曲をしますがすべてではないとはいえ自分のパート(ギター)以外のアレンジも考えますし、それはあなたと同じ種類のプライドからくるものです。でも、プライドの種類や方向性なんて人それぞれではありませんか? 議論みたいな方向に行ってしまうのは私としても不本意ですが…最初に言ったように、質問者さんの考えは真っ当だと思いますが決して『普通』ではありません。 あなたの言い回しを借りて私の考えを述べるならば、難解な譜面を理解し解釈して演奏できるクラシックの演奏家…でも自分で作曲はしない(できない)人がたくさんいる。音楽家としてのプライドはないのか?楽器を弾けるなら自分で作った曲を弾きたいと思うのが音楽家として普通だと思うのですが…。と、こうなります。 編曲はしても作曲はできない人だっているわけで、そういう人にも私は同じ考えを持ちます。 どうも回答へのリアクションを見る限りでは質問者さんは『編曲できる人や楽譜の読める人の方が上だ』と思っているかのように見受けられます。それがとても気になってしまうんです。

  • andante1
  • ベストアンサー率45% (16/35)
回答No.3

私はこの分野は詳しくないので何ら根拠はないのですが、全く個人的な感想を書かせてください。 ●自分が作曲した曲が、たくさんの人によって様々に編曲されたらむしろ誇りではないでしょうか。それだけたくさんの人に「編曲してみたい」と思わせる魅力を持っていると言うことでしょうから。だれも触りたがらない曲の方がさびしいです。 ●ポップスでは、同じアレンジの譜面でも演奏者によって表現は違ってくると思います。アレンジャーだけでなく、演奏者の個性も加味されます。それがポップスの醍醐味だと思います。 ●自分の子どもが自分の元を旅立って、色々な人に出会い、色々な個性や能力を身に付け、世の中で活躍するのを見るのは親冥利に尽きるのではないでしょうか。そして、どんなに変わっても子どもは子ども、親は親。DNAはしっかり受け継がれているはずです。 すみません。個人的な感想を述べさせていただきました。

tio_elemen
質問者

補足

ありがとうございます・・・私が問題にしているのは、その人がオケまで書くことができて、あえて他人に頼むのならそれでよいですが、たまに楽譜も読めないのに鼻歌で曲を書いて他人が音符を書いてオケを書いてもらうと言う人が「作曲家」と名乗ることが許せないわけです。 なんで音符も読めない人が鼻歌で堂々と曲を出しているのかその精神が理解できません。ちゃんと勉強しようと言うプライドがないのですか?

  • tom0120
  • ベストアンサー率26% (367/1390)
回答No.2

「作曲」だけで、いそがしくていっぱいだと思いますよ。 それで、生活するのですから、たくさん作曲しなきゃならないと思います。 それに、「編曲」は、必ずしも、「自分自身」より、「他人」のほうがいい場合も多いかも。 やっぱ、たかが「編曲」といっても、されど、「編曲」(^^; 「編曲」で、まったく、違う感じになります。 もちろん、イメージ以下の場合もあると思いますが、 イメージ以上になることもあります。 同じ曲(メロ)でも、いろいろ、カバーなんかで、違う人のアレンジの曲って、ポップスでは結構ありますよね。 それを聞き比べると、よくも悪くも、両方あるので、 ケースバイケースで、よくもなると思いますよ。(^^ゞ とにかく、「アレンジャー(他の編曲者)」は、やっぱすごい。(^-^)/

tio_elemen
質問者

補足

ありがとうございます・・・それは分かります。しかし私が問題にしているのは、その人がオケまで書くことができて、あえて他人に頼むのならそれでよいですが、たまに楽譜も読めないのに鼻歌で曲を書いて他人が音符を書いてオケを書いてもらうと言う人が「作曲家」と名乗ることが許せないわけです。 なんで音符も読めない人が鼻歌で堂々と曲を出しているのかその精神が理解できません。ちゃんと勉強しようと言うプライドがないのですか?

noname#54215
noname#54215
回答No.1

それを言ったら、詞と曲を別な人間が書くことも『プライドがないのか』と質問者さんはお考えですか? クラシックの『作曲』には『編曲』も含まれますがポップスでは必ずしも含みません。 編曲もこなす作曲家(『自分の曲は最後まで自力で仕上げたいと思う』タイプの人)も一部にはいますが、ポップス畑においては一般的に餅は餅屋として分業しています。それが『普通』であり、プライドとは別の次元です。 もちろん、質問者さんが編曲まですべてお一人でやりたいというのであればそれは誰も止めないでしょう。ただしそれは決して『普通』ではないのです。

tio_elemen
質問者

補足

ありがとうございます・・・しかし私が問題にしているのは、その人がオケまで書くことができて、あえて他人に頼むのならそれでよいですが、たまに楽譜も読めないのに鼻歌で曲を書いて他人が音符を書いてオケを書いてもらうと言う人が「作曲家」と名乗ることが許せないわけです。 なんで音符も読めない人が鼻歌で堂々と曲を出しているのかその精神が理解できません。ちゃんと勉強しようと言うプライドがないのですか?

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