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高齢者のあつかい

 前期高齢者(65歳~75歳)の方の職業て政治家、会社役員、職人、家、趣味にわかれるような気がします。このかたは体力あるといわれてます。他にあれば教えてください。  またわがままになったり、うつなどの人も多いと思います。本はよみましたが、よくわかりません。接し方など教えてください。一様しっておきたいです。

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  • kigurumi
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回答No.5

発達心理学からのアプローチでいくと、エリクソンの説。 http://www.jttk.zaq.ne.jp/babmt806/newpage8.html の8の部分。 発達に成功すると叡智がつく。 発達に失敗すると、自分の人生は無駄だったと絶望する。 自分が歩んできた人生を自分のものだと、自分と人生を統合できる英知を得られるか、自分の人生を失敗だとして絶望するか。 またライカード説だと、定年退職後の男の特性を5つに分けた。 <円熟型>・・・自分や自分の人生を受け入れ、未来に対しても志向的。社会参加を積極的に行い建設的に生きるタイプ。 <ロッキングチェアー型>・・・自分の現状を受け入れているが、他人に依存しており受身で、定年退職を責務から開放されたと喜んでいるタイプ。 <防衛型>・・・老いることに不安を感じ、活動を続けることで不安を抑制して自己防衛を図ろうとする。仕事への責任感が強く、最後までやりとげようと努力するタイプ。 <外罰型>・・・自分の人生、自分の老いを受け入れられない。自分の人生の目標を達成できないことを他人のせいにして非難するタイプ。 <内罰型>・・・自分の人生は失敗だったとして、その原因は自分であり、そんな自分を解放してくれるものとして、死を恐れないタイプ。 一般の人が定年を迎えても第一線で働き続ける人は、円熟型か防衛型か。 人によりけりだと思います。 わがままになったりうつになる人の中には、外罰型だったり内罰型だったりする人もいるのではないかと。 防衛型のタイプも、自分に焦りの心をもてあまし、他人にも完璧さを要求し、たとえ完璧に他人がこなしたとしても、自らの中にある焦りは消えることがないので、何が悪いとは欠点を他人にいえないが、ちょっとしたことを大きなこととして、罰したりして、イライラをつづけ、「年取るとわがままになる」って思われたりする人もいるかもしれません。 うつになる人の中には、退職したことで、目標を失い、何をやっていいのかわからなくなったり、刺激が極端に減ったことで、頭を使わなくなり、ぼんやりする時間が長くなり、「何をしていいのかわからない」と涙ぐんだり、奥さんに過剰に接触をもとめ、目の前に急須とポットがあるのに、とにかく奥さんを呼び、近くにテレビのリモコンがあるのがわかっていながら、まず奥さんを呼び、、、、と とにかく 他人との接触を過剰の求め、奥さんを鬱にしてしまう人もいるかもしれません。 接し方は私は防衛型と思える人が近所にいまして、もう勘弁してくれと からまれて 逃げ出しました。 自分が一番でないと気がすまず、こちらがすごいですね と認めても、まだ足りず、ずっといかに自分はすごいかを延々と喋っている。 「それ前に20回くらい聞いたけど」と思ってひきつってあいずちを打っていたら、「これはもう何度も言ったけどね」と私の心を見透かして言う。 「でも もうあと1億回は言わないと 気がすまないから言うつもりでしょ」と私は心の中で思い、「誰かたすけてーーー」と周りをみて知り合いが通らないかキョロキョロし、最後は携帯がなったふりをして「待ち合わせに間に合わないから生きます」って逃げます。 ふーーーー。 結局 暇なんだと思うんですね。 実にうらやましいですが、本人は時間をもてあましている。 じゃあ 何か習い事でもすればいいと思うのですが、自尊心が高くて、この年になって人から教わるなんてイヤなのだそうです。 「いやいや 楽しむ ということで」、と言うと、「うまくできないとイライラするからイヤ」だそうで。 要するに「あなたはすばらしいと褒め称えられ、有頂天でハイに一日中なって快楽を希求したいってことですよね。 いいところありまっせ ホストクラブ」って言いたいです。 年金じゃ 続かないので、無料の近所の人捕まえるわけで。。。。 わかっていながら やめられないんですって。 困ったご近所さんです。苦笑。 で、自慢が人の批判になり、「はぁ?」ってことまで、もっともらしく言ってきたので、私もプチってきれて、「人が黙って聞いてりゃあ」ってやりあったら、あれだけ高圧的に頭ごなしに言ってた人が、「なんかひどくあなたを怒らせてしまったみたいで、申し訳なかった」って誤ってきました。 わかっていながら、止められなかったって認めたら?って許しませんでした。笑。

noname#209756
質問者

お礼

他でも心理学でうしなったものを取り戻す。のと獲得がちいさくなる。反対で同じ。わかりません。実例ありがとうございます。 御回答ありがとうございます。

その他の回答 (4)

回答No.4

 私は代々水戸徳川の譜代で、戦災まで浅草生まれ、育ちですが、義兄は華僑で数百億。  今、回復しては自邸には帰れないことを自身で認識し、立派な覚悟で、生前の整理をしています。  末期の医療と介護はとても私達にはできないものではありますが、あのようなことはとてもいやだなと、折角の生前贈与を感謝しながら同情しています。  甘えることなく、自身を持している様子は大陸の歴史からの存在性を窺わせるところがあるけれども、やはり悲惨です。美をもっての最後とはいえない。  迷惑もかけたくないが、生物としては、もっと素朴に、枯木(こぼく)が朽ち倒れるように、雀が人知れず、叢(くさむら)にくちばしを入れているかのように死んで行きたい。自然の生物として死にたい。  そんなことはできないだろうかと、古希の少し前から、自分の死に方を模索してはおります。  四十数年も一つの大学で勤務してきて、それなりの収入もあり、邪魔にはされてもいない。福祉のことは自分の分野でもある。  家族、姉妹みな和気といたわりの中でおり、行き倒れなどをする必要はない。  しかし多くの先輩を見送ってきた自分は、みなさまの最後は自分の事が何も出来ないで、幼子のような状態で、手厚く介護されて終わる。  あぁいう情けない最後はそれまでの立派な言動を全部ゼロにしてしまうな、と存じている次第です。  

noname#209756
質問者

お礼

元教授でしたか。これは失礼します。美学ですね。それはおもいつきませんでした。ぜひ今の日本に少し広めたほうがいいかもしれません。 御回答ありがとうございます。

回答No.3

 申しあげた、二つの欄の、趣旨を全くご理解いただけなかったようですね。  価値観が交錯しておりませんし、悲観ぎみにもなっておりません。  何がもともとなのなまったくりかいできません。 

noname#209756
質問者

お礼

いえ、そういう意味でなく、ただ人に迷惑をかけないのはわかるのですが、それはなんとなく、自分が迷惑をかけているのが前提になっている点です。すいません。ご回答ありがとうございます。

回答No.2

 ANo.1の補足です。  価値と理念、立脚根拠の中の関係で対面すること、受け入れようとすることを認識といっています。  つまり知る事でもないし、理解することでもない。上記のように対面し、受け入れる、更に受け入れられるようになっていくことが認識だと、存じております。

noname#209756
質問者

お礼

もともとって感じになってくる。 御回答ありがとうございます。

回答No.1

 古希を少し廻ったから、該当する年齢ですね。  自分がある(いるではない)、眼前の世界がある。  これを、認識することに務めています。  自分は須く認識については以下のように考えています。  価値と理念、立脚根拠の中の関係で対面すること、受け入れようとすることを認識といっています。  末期医療と、介護、そして葬儀はお断りしております。  当然ホスピスなどはいきません。  人、迷惑だが。いずれ、生まれ、育ち、そして死ぬのは他人に対しても厄介なものだが、出来れば野垂れ死にしたい。  行路死亡人ということばをご存じですか。  こういう死に方だってあるのではないか。と存じています。  恤救規則(1874年に制定された、明治政府の公的救済制度)にあることばですが。

noname#209756
質問者

お礼

価値観が交錯し、悲観ぎみになるのですね。 御回答ありがとうございます。

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