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文学について
「文学は読み手によって発見され、育てられる」とはどういう意味でしょうか?
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誰のセリフだかわからないので自信をもって答えることはできませんが、おそらく「歴史とは現在と過去の対話である」としたカーと同じ発想であり、古典文学の価値は、単なる事実として把握すべきものではなく、歴史的・社会的条件に規定される形でしか引き出すことは出来ない、という意味だと思います。もっと分かり易く言うと、ある時代には全く理解されなかった文学が、社会や時代が違うと、高い評価を受けたりすることがある、という意味です。 例えば、現役時代には保守層や親世代の大反発をかっていた与謝野晶子の作品が、当時においても若い世代には人気があり、現在では日本文化史上の重要人物として完全にその価値が認められている、などの例が思いつきます。何しろ、貞操概念がうるさかった時代に、「柔肌の熱き血潮に触れもせで、さびしからずや、道を説く君」と歌った人物と聞いていますから。出典は知りませんが、この歌が実在のものだとすると、ひらったく言うと「Sexしよーよ、何でダメなの?」という意味であり、現代の基準でも、かなり過激です。
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noname#54559
回答No.2
ヴォルフガング・イーザーの読者論を連想しますね。 イーザーの読者論は、文学は読み手がいて初めて成立するという考えのもとに展開されていたと思います(70年代から80年代の文学論なんで、もううろ覚え)。つまり、文学は読み手がいなければ、ただの言葉の羅列だということです。読み手が読んで、初めて作品として成立するという理論です。