• ベストアンサー

なぜ信長は好かれて、痴漢は嫌われるのか?

 信長、秀吉、家康は毎回理想の上司にランクインされるほど、人々に親しまれています。  しかし彼らは本願寺焼き討ちや、キシシタン弾圧なので多くの人々を虐殺しました。  そんな彼らを尊敬したり親しみを感じているのに、現実の殺人犯を激しく非難する。それだけなら気持ちは分からないでもないですが、痴漢や強制わいせつ犯などの軽犯罪者も激しく非難する現代人の考え方は矛盾していると思いませんか?罪の重さなら痴漢よりも信長の行いの方が数千倍、数万倍重いし、実際に本願寺焼き討ちなどの被害に会われた昔の人達から見ると、痴漢などは可愛く見えると思います。  世間はもっと信長や秀吉、家康を忌み嫌ってもいいと思うのですが。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • VincentV
  • ベストアンサー率33% (10/30)
回答No.11

質問者さんの問題提起に同感な部分もあります。 痴漢はともかくとして、 己の野望のために一般人を大量虐殺した事を理由に ヒトラーに対してはほとんど反射的に軽蔑しつつも、 同時に信長やナポレオンの事は尊敬しているという ような人は普通にいると思われます。 このような判断をしている人の内的規範には たしかに盲点が存在していると思います。

その他の回答 (10)

  • colmon
  • ベストアンサー率20% (5/25)
回答No.10

歴史的人物に関して言えば、悠久の時の流れの中で、評価がどこに漂い付くかは「運」なのでしょうね。 確かに「虐殺」という点を見れば、信長もヒットラーも変わりません。評価の違いは、もたらした「結果」によるのでしょう。「結果」がどうなるかは、様々な要素が絡んでくるので、本人うんぬんというより、やはり「運」としか言いようがありません。 信長や秀吉、家康が人非人(だったかどうか分かりませんが)だとしても、天下統一に大きく貢献しています。 でも、痴漢や強制わいせつ犯は、まるで話がちがうでしょ? 世間を納得させる「結果」が生まれる要素があり得ません。信長や秀吉、家康を忌み嫌うのは自由だと思いますが、相対的に犯罪者を許容するのは、とんでもない間違いだと思います。

回答No.9

 私はどの教えも尊崇している、一信仰者ですが、本願寺焼き討ちや、キシシタン弾圧については、今の時点では反価値を与えるかも知れないが、文化を護り、為政者として同じ炯眼であることが出来ていれば、同じ事をしたでしょう。  確かに多くの人々を殺しことは弁護はできませんが。虐殺ということばはどうかと存じます。ことは当時の戦争ですから。  そして親しみを抱いているかどうかは別に、歴史の形成者の一人だとしています。虐殺ということば同様、価値判断付着の表現だと存じます。  殺人や痴漢、そして強制猥褻がなどの軽犯罪者の《など》がどこまでかかり、痴漢、そして強制猥褻のどんな内容や様態を示しているか不明ですが、人の行為を考える時、為政や文化との関連では、比較対照することは意味がなく、戦争や思想、反体制者に対する仕方に向けての価値判断を検討せよ、というご意見ならば、刑事的犯罪や、刑事的なそして破廉恥とされる、行為を持ち出すのは、事宜に適していません。  と存じます。仰せの意見と、被害の大きさに対するお気持ちは理解しておりますが。  数千倍というのは、被害の量と質のお言辞ですが、事柄や次元が違うように存じます。そういう比較対照を持ち出さないで、信長等の数千倍、数万倍の罪悪を論じられれば、たいへん説得的ではないかと存じます。浜の真砂とお砂糖を照らし合わせないで、ご論述ください。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.8

勝海舟の「氷川清話」だったか「海舟座談」だったかに、 「民政は相模の北条、尾張の織田。信長は尾張や美濃では今(明治初期)でも神のように崇められているよ。政治家の手本だな」 と書かれていると記憶します。現在はどうか知りませんが、信長の没後300年経っても、彼の本領であった尾張・美濃での善政が民衆に慕われていたわけです。 戦国時代の武将の中で、信長ほど法秩序を重視し、正義を擁護し、従う者(良民)を厚く保護した領主はいなかったろうと思います。従わぬ者、比叡山の僧や伊勢長島の一向一揆等には徹底して攻撃を加えていますが、これは既に皆さんが指摘される通り「戦争なのだから当たり前」であり、非難の対象にするのが筋違いです。 「世間はもっと信長や秀吉、家康を忌み嫌ってもいいと思うのですが」 『晩年の秀吉』についてでしたら、確かに政治家として感心しない点は多々ありました。 国益を害するだけの朝鮮出兵、自己満足のための大規模建築の造営と破壊、養子として関白職を継がせた秀次とその妻子への理不尽かつ残酷な仕打ちなど。 一方、信長や家康については、「忌み嫌う」べき要素は私には見出せません。世界史の中でも「日本を代表する偉人」に列すべき存在と思います。

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.7

当時は、今のように明確に政教分離がされていたわけではないので、本願寺焼き討ちやキリシタン弾圧は、単に宗教の問題ではなく、政治的要素のからんだ、言わば戦争です。 かなり、無理な飛躍のたとえ話ですが・・・ 某国の大統領の命令で、ある国に爆弾を落として多くの人が亡くなったとします。 しかし、もし、その攻撃に誰もが納得する大義名分があれば、罪に問われる事は無いでしょう。 でも、その大統領が、オフィスでセクハラしたり、車内で痴漢をしたら罪に問われるでしょう。 たとえ、戦国時代でも、正当な大義名分がなく殺人を犯したり、女性を襲ったりした場合は、ちゃんと裁かれます。

  • ramta
  • ベストアンサー率46% (6/13)
回答No.6

現代の感覚で語ることは出来ないかと思います。 当時は現代のような比較的平和で人権などという概念がありませんので、焼き討ちなどもやむなしという面もあったでしょう。 本願寺や延暦寺なども一方的に焼き討ちに遭ったのではなく、政治的に対立し、争いの結果です。信長でも手を抜けば自分がやられると考えていたのかも知れません。 信長から家康を経て太平の世と言われる江戸時代に至り、幕末、明治から現代へ至ります。 #2さんも仰っていますが、先述の人物たちも非難するようであれば、明治維新の志士たちや明治以降の軍人たちも非難の対象になってしまいます。 もちろん信玄、謙信と言った先述の人物以外の大名もそうなるでしょう。 それでは日本の歴史は非難だらけになってしまいます。 世界史を見てもやはり非難だらけでしょうね。 中国は王朝が変わるたびに多くの人が亡くなっていますし、西洋でも十字軍など大規模なものがありますから。 もっとも単に姑息なだけの痴漢と最初から比較のしようがありませんが。

  • shigure33
  • ベストアンサー率11% (17/146)
回答No.5

 比較すること自体、勘違いも甚だしいのではないかと

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

信長と痴漢の違い 信長は昔のヒトで、もう死んでいる。そして、その信長の行いの上で構築された社会に我々は住んでいる。 痴漢は現代にもいて、まだ生きている、しかも、自分ないし自分の関係者が被害を受ける可能性もあり、痴漢行為によって、自分の生活がよくなることもない。 信長の時代のヒトで、信長を忌み嫌っている人はいた。 つまり、同時代性のあるなしです。 信長の時代の痴漢は、やはり好まれないでしょう。 信長によって利益を受ける人が沢山いた。秀吉とか光秀などは、主君信長を絶賛しています。が、痴漢から利益を受ける人は、その時代でもいなかった。

  • KappNets
  • ベストアンサー率27% (1557/5688)
回答No.3

面白い論理のようだけど、違うのですね。 秩序ある太平の世を築くには軍隊が必要で、その軍隊を人殺しと呼ぶのは筋違い。当時の宗教家(本願寺僧侶、キリシタン)も武装し歯向い社会の秩序を乱す勢力と判断されたから攻撃されたわけで、その後の江戸時代には秩序を保つ狙いで仏教が保護された。 痴漢その他は国の秩序を乱すだけのもので、何の建設的な意味もない。

  • mat983
  • ベストアンサー率39% (10264/25669)
回答No.2

それを言ったら乃木将軍、東郷元帥、山本五十六など 軍人は全員当てはまります。 明治維新に携わった薩長の指導者もそうです。 食うか食われるかの戦いが必要だった時代です。 痴漢と同列に置き比較するのは筋違いです。

  • mochitora
  • ベストアンサー率28% (78/272)
回答No.1

人殺しは罪だけれど、 必ずしも悪ではない、 ということだと思います。 殺された側からすると、 憎むべき悪党でしょうが、 結果として世界にも稀な、 数百年続く平和な社会を作った訳ですから。 痴漢が平和な社会を生み出しますか?

関連するQ&A