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「掘ったれば」「搗(つ)いたれば」の「たれば」

童謡(唱歌?)の「はなさかじじい(花咲か爺)」の歌詞(石原和三郎作)で ♪正直爺さん 掘ったれば♪ とか ♪それで 餅を 搗いたれば♪ とかの一節があるのはご存知のとおり。 それらはそれぞれ「~ 掘ったなら」「~ 搗いたなら」と同義だと思っているのですが、「~たなら」でなく「~たれば」という言い回しを文法的に解析するとどうなるのか教えてください。「掘ったる」「搗いたる」(関西弁?)の仮定形でもなさそうですし… ついでに、「花咲か爺」は「花(を)咲か(せる)爺」の意味でOKかなと思っているのですが、「花咲か」という言葉は“立派な”形容詞なのでしょうか?

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回答No.2

>「~ 掘ったなら」「~ 搗いたなら」と同義だと思っているのですが 違います。 現代語(口語)文法の「仮定形」+「ば」の「~なら」と、古語文法の「已然形」+「ば」とは、根本的に意味が違います。 「仮定」の概念は、基本的に、未来に属する時制です。 「今はまだこうでないけれど、もし、こうなったら」という事態を意味します。 これを、古語で表現すると、 「未然形」+「ば」=順接仮定条件 という語法になるのです。 「未然」とは、漢文で「未だ然らず(いまだしからず)」と読み、「まだそうではない」という意味なので、仮定条件の「ば」に接続することができるのです。 ですから、花咲か爺の歌詞の通りに、完了の助動詞「たり」を接続させるとすると、「たり」の未然形「たら」が接続して、 「掘ったらば」 「搗いたらば」 という接続の仕方になります。 これですと、意味は、 「もし掘ったとしたら」 「仮に搗いたとしたら」 ということになり、質問者さんの仰る、「掘ったなら」「搗いたなら」と同義、という解釈が当てはまってきます。 ところが、「已然形」という概念は、「仮定」とは反対概念であり、過去に属する時制です。 「已然」は、漢文で「已に然り(すでにしかり)」と読んで、「もはやそうである」という意味です。 「已然形」という概念は、口語の文法には存在しません。 古語文法においては、 「已然形」+「ば」=順接確定条件 の語法となり、意味は、 1、原因理由「~ので」 2、恒時条件「~すると(いつでも)」 3、偶然条件「~したところ(たまたま)」 のいずれかとなります。 花咲か爺の歌詞の、「掘ったれば」「搗いたれば」の場合は、 「掘ったので大判小判がザクザク出てきた」 「搗いたのでまたぞろ小判が出てきた」 という事情ではありませんから、「原因理由」の用法とは違い、「ので」とは訳しません。 恒時か偶然か、というと、解釈が分かれるところかと思いますが、正直爺さんが掘ると大判小判が出、意地悪爺さんが掘ると瓦や貝殻が出る、というところから考えると、「偶然条件」ととらえて、 「掘ったところ、大判小判がザクザク出てきた」 「搗いたところ、またぞろ小判がザクザク出てきた」 と解釈するのが妥当かと思います。

noname#204879
質問者

お礼

》 …と解釈するのが妥当かと思います。 なるほど。 懇切丁寧な解説をいただき、大変勉強になりました。 ありがとうございました。

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  • suunan
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回答No.1

○「~ 掘ったなら」「~ 搗いたなら」と同義だと思っているのですが○ 「掘ったので」「搗いたので」という意味です。 文語文法の、完了を示す助動詞「たり」の已然形の「たれ」です。 現代の「掘ったる」「搗いたる」は 「掘ってやる」「搗いてやる」が縮まったものです。 「花咲か」は形容詞ではありません。 「花を咲かせる爺」を文語にすると「花咲かする爺」であり、 これを縮めたものかと思われます。 文語でも口語(現代語)でも「咲か」は動詞「咲く」の 未然形であり、「爺」という名詞には接合しません。

noname#204879
質問者

お礼

明解なる解説をありがとうございました。すっきりしました。