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旧約と新約の関係

旧約聖書と新約聖書にはどのようなつながりがあるのでしょうか? 共通点というか旧約と新約の関係を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tyr134
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回答No.5

旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、共通の経典です。 ただし、「旧約聖書」という名称はキリスト教のみの名称で、ユダヤ教は律法書と呼んだり預言書とよんだり、それぞれの頭文字をとった『Tanakh(タナク、タナーク、タナハ、タナッハ)』と呼ばれるようです。 イスラム教では、一部が経典としてつかわれています。 旧約聖書は複数の書物や書簡、詩などで構成されており、どの書物・書簡・詩を正典とするかはそれぞれの宗教・宗派によって違います。 内容は、天地創造からはじまって、イスラエルの民の歴史、預言(予言ではない)、律法、などが記述されています。 キリスト教では、イエス・キリストが十字架上で死んだことで、旧約聖書の預言は完成されたと考えられています。 そして、新約聖書へと繋がります。 ※預言とは、神から預かった言葉という意味です。所謂未来を予想する予言とは違います。 新約聖書は、キリスト教の教典です。 また、イスラム教も一部の書を経典として扱います。 内容は、イエスの生涯と言葉・弟子であるパウロやヨハネなどの書簡・イエス死後の弟子の行動などの記録etc、、、です。 こちらも、複数の書物からなりどれを聖典とするかは宗派によって異なります。 キリスト教では、イエス・キリストによって旧約(古い約束)から新約(新しい約束)に更新されたと考えるため、「旧約聖書・新約聖書」という呼称がつきました。 とはいえ、「旧約聖書」の重要性が低下したワケではありません。 「律法」としてはその効力を失ったと考えますが、「歴史」「預言の成就」「将来への警告」として非常に重要な位置を占めています。 追加情報として、、、 ルターは、16世紀に宗教改革を始めた人です。 彼は、教会の堕落を糾弾し、聖書のドイツ語訳を通じて神と個人の繋がりを重視する思想を広めました。 そこから派生したのが所謂プロテスタントです。 詳しくは、私も回答した下記のQ&Aを参考にしてください。 http://okwave.jp/qa3685102.html

その他の回答 (7)

  • jackyjj
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回答No.8

神と人との契約を表します。 これは一般的な条件付きの約束ということを超えて 神と人との関係を表すものです。 結婚指輪を婚約相手に贈るような感動的な関係を 神の方から人に与えられたと表現しておきましょう。 よって人が救われるための条件ではなく、 神がのぞんでおられる結婚のような親密な関係を 人と持つことを表すものです。 約束を覚え続ける態度を人が持つとき、 その関係を神が喜んでくださるのです。 旧約聖書は、その約束を覚えた人とそうでない人の歴史です。 イエスキリストはパンとぶどう酒という儀式を通して 人のために十字架の上で犠牲となられた体と血を覚え続けることを 「新しい契約」と言われました。 神と人とのすばらしい関係の回復のために、 イエスキリストが代価を払ってくださったのです。 この約束はイエスを救い主キリストとして個人的に信じ受け入れること によって実現し、キリストの再臨をもって完結されます。

  • katyan1234
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回答No.7

キリスト教から見た新約聖書と旧約聖書のある見方 新約聖書のおこっている事が旧約聖書(まだ知らない人)の中に書いてある。 旧約聖書イザヤ書(紀元前8世紀前に書かれているらしい) 書かれていることがおこっている。 これを預言という。

  • abbapai
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回答No.6

旧約聖書においては、神は人の外側で活動します。 新約聖書においては、神はおもに人の中で活動します。 ヨハネの福音書でいうと、まず神が人となられます(1:14)。いわゆる受肉です。キリストは神であると同時に人、人であると同時に神であり(ローマ1:3-4)、天のものが地に、地のものが天にもたらされた最初の事例です(参考 創世記第28章)。 次に、12章の「ひと粒の麦」のたとえで、多くの麦粒、すなわちキリストと同じく神の命と性質を持つ(ヨハネ3:16、第二ペテロ1:4)人たちが現れることが預言されています。これは、御子の十字架と復活のあと実現します(ヨハネ20:22)。 旧約は暗示的にこれを示すのみで、その実際がありません。新約は旧約で示されたことを詳細に説明しつつ、それが実現しています。 聖書を読む場合、新約だけでは抽象的すぎてわかりませんので、旧約の具体性が必要です。旧約だけでは暗示的すぎて、新約の説明が必要です。 両方読む必要があると思います。

noname#64531
noname#64531
回答No.4

>「旧約聖書」は主にカトリック、「新約聖書」は主にプロテスタントのキリスト教徒の教典です。 (中略) >ルターがそれを批判し、…、その教典が新約聖書です。 ガセです。細かいことはおいて、両宗派ともキリスト教として、新旧約聖書全体を教典としています。 現在のイスラエル・パレスチナ地方を中心に、 旧約は、新しくて紀元前100年、大半はそれより前に記述された元はユダヤ教典です。 新約は、紀元前6~4年ごろキリスト誕生から、紀元100年あたりまで、 ユダヤ教典を下敷きに、キリストが神との契約を更改し、さらに パウロ他使徒の教えた内容です。 よって、その後のカトリック、プロテスタントの起こりとは関係ありません。

  • abukuzeni
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回答No.3

大昔習った社会の授業のうる覚えですが^^; 「旧約聖書」は主にカトリック、「新約聖書」は主にプロテスタントのキリスト教徒の教典です。宗派によっては両方使っているところも有るそうです。  歴史的背景から言うと中世のキリスト教教会が「免罪符」というものをだしてお金を巻上げるなどの悪行をしていたときがありました。  その時にルター(だったと思います)がそれを批判し、それに賛同する人たちが「新しいキリスト教を作ろう」と作ったのがプロテスタントと言われる宗派であり、その教典が新約聖書です。新しくせず、自浄によって立て直そうというのがカトリックという宗派であり、新しい教典と分けるため旧約聖書と呼ばれているらしいです。  

  • harepanda
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回答No.2

旧約聖書はユダヤ教の経典で、天地創造や楽園追放等の架空性の高い要素を含みつつも、基本的にはユダヤ人の歴史と、律法と呼ばれる倫理基準を示した書物と考えれば良いでしょう。ただし、ユダヤ人は「旧約聖書」という言葉は使いません。「旧約聖書」はキリスト教徒から見た場合の「旧約」であって、ユダヤ人たちから見たら、聖書はたんに聖書です。 旧約聖書の特徴のひとつとして、ユダヤ教の選民思想があります。つまり、ユダヤ人だけが特別な民族だという原理です。また、神と人間の関係が契約で語られているなど、契約概念の薄い日本人からするとびっくりするほど、契約という概念が中東やヨーロッパでは古くから重視されていたことが分かります。ユダヤ教は一神教だと思われていますが、純粋な一神教になりきっていないと思います。楽園追放の時、神々(複数形)が集まって、アダムとイブの行動について議論しているシーンなど、なかなか愉快です。ユダヤ教の場合、神は1人しかいないというよりも、民族ごとに違う神がついているが、ユダヤ人についている妬む神ことエホバこそが最強だ、という発想が垣間見えるような気がします。 新約聖書はキリスト教の経典です。キリスト教徒は新約聖書と旧約聖書の双方を読みます。新約聖書のテーマは、キリストの生涯の説明、信者たちの書簡などで出来ています。キリスト教はユダヤ教から派生したものであり、基本的には、ユダヤ教の律法主義があまりに頑迷であることに対する批判や、当時ローマの支配下にあったユダヤ人が反ローマ過激派としてキリストを告発しようとするたびに、キリストが政治的な穏健派であるため、わなにはめようとしてもなかなかわなにはまらないといったエピソードがちりばめられています。 キリスト教はその後、ユダヤ教の枠を超えて成長し、最後にはローマの国教にまでなるのですが、選民思想を廃してどの民族にも受け入れられる世界宗教の枠組みになっていること、一神教としての純粋性が高まっていることなどが成功要因として挙げられます。意外なところでは、キリスト死後の話ですが、ユダヤ人や現在のイスラム教徒がやっている割礼(ペニスの包皮を切り取ること)の儀式は不要であると宣言し、ギリシャ・ローマ文化になじんだ人々に安心感を与えたという要素が馬鹿になりません。ローマ帝国の中ではユダヤ人の割礼の儀式は気持ちの悪いものだと思われており、ユダヤ人が期を捕らえては孤児や奴隷を割礼しようとすることが多かったため、ローマから禁止令がでて、「割礼の儀式はユダヤ教徒以外には押付けないように」とまで言われていたのです。 さて、新約聖書と旧約聖書の共通項として、世界の最後の日と、神と悪の間の最終戦争という思想があります。新約聖書では黙示録、旧約聖書ではダニエル書が該当します。しかし、これは良く考えてみるとおかしなことで、唯一絶対の創造主がいるのであれば、「なんで悪なんていう邪魔者までわざわざ創造したの?」と聞いてみたくなるところです。これは、ユダヤ人がバビロン捕囚後にペルシャから持ち帰ったゾロアスター教の枠組みが、一神教であるはずのユダヤ教に取り込まれてしまったものではないかというのが私見です。ゾロアスター教は善と悪の二元論ですから、最終戦争も簡単に説明できますね。

  • ozunu
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回答No.1

極めて大雑把に言うと、「旧約」は、キリスト以前の神との契約、「新約」とはキリスト以降の神との契約。