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イスラム教と旧約・新約聖書との関係
宗教のカテゴリーがないのでここで質問させていただきます。 聞くところによると、イスラム教は、旧約聖書や新約聖書に書かれている内容を否定はしていないそうですが、では、それらとはどういう関係にあるのでしょうか? また、ユダヤ教やキリスト教とはどういう関係にあるのでしょうか? いずれも否定していないのなら、これらに吸収されてしかるべきだとも思えるのですが、吸収されないとなると、否定はしていないこれらの聖典や宗教と、どういう関係になるのでしょうか? どうも良く分かりません。 どなたか、教えていただきたく、よろしくお願い申し上げます。
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- koiprin
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イスラム教もユダヤ教もキリスト教も創造神は同じです。 ユダヤ教が最も古く、彼らは神との契約のために色々な戒律を守らなければならないという立場でした。また女性や病人などは救われないという立場でした。 キリストはそのユダヤ教徒だったんですが、そんなに戒律を守らなくても神は救ってくれるんだ、という独自の思想を追究しました。(カーストを否定したブッダと同様ですね) 結果、ユダヤ教までの古い神との契約(約束)⇒旧約聖書(神話~ユダヤ人の受難) キリスト以降の新しい神との契約(約束)⇒新約聖書(キリストの言動を弟子が解釈) という言い方をキリスト教ではしています。 約が約束の約であるのはそのためです。 ユダヤ教はこの聖書以外にも慣習法からなるタルムードなどがあります。 イスラム教は、ムハマンドという預言者が同様に神からの啓示を受けて広めた思想です。 ムハマンドが受けた啓示をまとめたものがコーランで、イスラム教徒はこのコーランの教えに従います。 イスラム教では、ムハマンド以前にも神から啓示をうけた預言者がいるということを否定していませんので、キリストは預言者の一人とされます。 ただ、最終的にムハマンドが受けた啓示が正しいというスタンスです。
>イスラム教は、旧約聖書や新約聖書に書かれている内容を否定はしていないそうですが 宗教を事象や歴史として考える際に面倒というかややこしいのは、教祖あるいは始祖に近いほどお互いに寛容で時代が下るにつれて不寛容になってくるという性格があるということです。 コーランや聖書、仏典などの聖典の類には直接他の聖典を非難したり誹謗する言葉は書かれていません。 コーランは岩波文庫などから出版されています。 神に逆らう異教徒との戦争は書かれています。 なかなか面白いです。 一度目を通して見て下さい。 >ユダヤ教やキリスト教とはどういう関係にあるのでしょうか? 発祥した時期が異なります。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の順番で発祥しました。 発祥の地はいずれも、現在のイスラエルの付近から東側の地域です。 ごく大雑把に言うと、死海の周辺で発祥した唯一絶対神を崇める宗教です。 唯一絶対神という考え方はユーラシア大陸の北部地帯に広く見られ、東側の中国では「天」という概念になっています。 ユダヤ教よりも古いものとしてはゾロアスター教に代表される多神教がありました。 エジプトもギリシャもローマも多神教です。 インドも多神教です。 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もほぼ同じ場所で生まれていることから、極めて類似した性格を持っています。 これを、簡略化してキリスト教もイスラム教も同じ神様で呼び名が違うだけだという言い方がされます。 >これらに吸収されてしかるべきだとも思えるのですが 現実問題として簡単にはいきません。 自然発生的な土俗宗教の場合には、伝播していくためには、同じ生活環境、生活習慣の人達の間だけでとどまります。 言語、風俗、習慣の異なる人達の間にまで広めようとすると、必ず布教という人為的な作業が必要になります。 布教する為には、拠り所となる書物が必要となります。 又、その拠り所である書物、すなわち聖典をどう解釈理解するか、ということが重要なポイントになります。 この制作、解釈の過程で、教祖や始祖の考えていたこととズレが生じます。 聖書にせよ、コーランにせよ本人が書いていないことに注意して下さい。 解釈の仕方で議論が大きく分かれてきます。 言語や風俗、習慣が異なれば異なるほど、この解釈のズレは大きくなります。 (仏教でも、タイやミャンマーなどの仏教とチベットの仏教や日本の仏教は違います) 宗教というのは、民衆の心の問題ですので政治と深いつながりが出てきます。 自然災害、伝染病などの防御や治癒の方法が無かった時代には文字通り神頼みです。 民衆を統治するには、この神頼みをいかに巧みにやって良い結果を得るかということが最重要課題となります。 逆に言えば宗教を巧みに取り入れた政治家が権力を手に入れます。 (邪馬台国の卑弥呼がシャーマンだ、と言われていることを思い出して下さい) 誰が聖典をよりよく解釈しているか、という論争が起きます。 政治の世界ではより多くの同調者を獲得した者が勝ちです。 解釈の違いは直ちに政治権力の衝突につながります。 何を信じるかとう心の問題は、第三者にとってはどうでもいいことでも、当事者には深刻な影響を及ぼします。 キリスト教もカトリックとプロテスタントに分かれ、さらにロシア正教とかローマンカトリックとかどんどん細分化されて対立しています。 アイルランド問題などが典型です。 イスラム教徒だけがゴタゴタしている訳ではありません。 現在の中近東のゴタゴタの根源はイスラエルという国家をパレスチナの人々に何の断りもなく作ったことにあります。 さらに、石油という経済の根源をなす物質が埋蔵されています。 経済的利害、政治的覇権が加わっているために、宗教的吸収は一歩も前には進みません。 コーランがどうの聖書がどうのという問題とはかけ離れた世界が展開されているとお考え下さい。 新聞報道でシーア派だのスンニ派だのと書かれていますが、あくまでもグループの目安です、当人同士は宗派の違いによる宗教戦争をしている訳ではありません。 石油の利権と政治権力の争奪戦を広げているだけです。 アメリカも石油の利権は絶対に手放しません。 そのためにいろいろチョッカイを出しています。 人道問題がどうのというのあれば、石油など産出しない国の方がより深刻な事件が起きています。 アメリカもヨーロッパもアリバイ工作ていどの手出し口出ししかしていません。
お礼
宗教の偏狭さ=人間の偏狭さ。 それが人間の性(サガ)なんですねぇ。 いろいろ教えて頂き、大変参考になりました。 ご回答、ありがとうございました。
- lv4u
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>>聞くところによると、イスラム教は、旧約聖書や新約聖書に書かれている内容を否定はしていないそうですが、では、それらとはどういう関係にあるのでしょうか? また、ユダヤ教やキリスト教とはどういう関係にあるのでしょうか? 幸福の科学の大川隆法総裁によるムハンマドの霊言を読むと、質問者さんの書かれたとうり、イスラム教の開祖であるムハンマドは、旧約聖書、新約聖書の内容を否定していません。イスラムの国に来たキリスト教徒に対して、改宗は迫りませんでした。が、イスラム教に改宗すると、税金免除という特典はあったそうです。 イスラム教は、キリスト教よりも600年くらい遅れてできあがりました。先輩にあたるキリスト教とは、平和共存を願って、お互いに平和に暮らしていた時期があり、イエスに対しても、預言者として認めていましたし、イスラム教は、ユダヤ教、キリスト教と同じ神をあがめていると考えていました。 イスラム教はキリスト教との相違について以下のように考えます。 イエスは、素晴らしい人だったけど、伝道に失敗して殺されてしまった。「単なる預言者の一人」であり、救世主ではない。 ムハンマドは戦いに勝利して、建国を果たし、政治・軍事・経済を一括して指導する王となった。これは、ユダヤ教でいう救世主の資格を満足する。 しかも、ユダヤ教のように、神の言葉を直接に伝えるコーラン教典を持つ。キリスト教は、イエスの言動録がほとんどである。これをみてもイスラム教のほうが素晴らしい宗教である。 >>いずれも否定していないのなら、これらに吸収されてしかるべきだとも思えるのですが、吸収されないとなると、否定はしていないこれらの聖典や宗教と、どういう関係になるのでしょうか? 「これらに吸収」とは、キリスト教がイスラム教に吸収されるべきってことですか?イスラム教の側は、自分たちのほうがキリスト教より優れていると考えていますから、イスラム教は全然問題ないと言うでしょう。でも、キリスト教は絶対に嫌でしょうね。キリスト教徒は、「キリスト教とイスラム教の神は別ものだ」「コーランの言う例え話は、蜘蛛や昆虫が出てきて、詩的でない、美しくない」「神が人間と直接対話することなんてありえない」などと、文句をつけました。それに対し、イスラム教は、譲れる部分は譲って、教典の解釈を変更しました。(日本の憲法解釈の変更みたいなもの?) それでも、キリスト教側は、納得しなかったのでしょう。つまりは、戦うしかないって判断になったのだと思います。 ちなみに、イスラム教が世界に拡大したのは、キリスト教に滅ぼされたマニ教(世界宗教レベルにまで成長した時がある)の教祖が応援しているから、なんて推定もあるようです。 いずれにしても、日本では、少し前まで、公共の場でも喫煙は当たり前でした(職場や新幹線の中が、タバコの煙で靄がかかったようになっていた・・・)でも、今は多くの場所が禁煙となり、路上喫煙さえも処罰されます。時代が変われば、社会の常識も変わります。 キリスト教では、ルター、カルバンが宗教改革を行い、キリスト教を暗黒時代から救いだしました。でも、イスラム教は、そういうイノベーションが無かった宗教です。ムハンマドの言行録は「ハーディス」に書かれていますが、こちらが現代社会と問題を起こす記述が多いのではないかと思えます。 仏教やキリスト教であっても、「原理主義者」であれば、一般社会で暮らせませんが、イスラム教はそういう時代の流れに取り残された宗教と思えます。 ですので、イスラム教の教義が今のままでは、吸収されることも、キリスト教など他の宗教を吸収することもできないでしょうね。
お礼
同じ神を信じているのに、お互いに、自分の信じているものだけが唯一正しいとして反発しあうなんて、既存の宗教を信じない私などから見ると、全く馬鹿げていて、彼らの信仰の偏狭さを感じ、彼らの信じる宗教そのものに、何か、インチキ臭さを感じてしまいます。 いろいろ教えて頂き、とても参考になりました。 ご回答、ありがとうございました。
- pingpong001
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私の聞きかじったところで,すみません。 3つの宗教とも神様はいっしょなのですが,時代的にユダヤ教がよりどころとしている旧約聖書をベースに,キリスト教徒が,その後,イスラム教が出てきたのだと思います。旧約聖書もそれ以前にもとになった神話があったそうですが… なので,キリスト教のよりどころである新約聖書,イスラム教がよりどころとしているコーランには旧約聖書のことが出てくるのだと思います。 また,キリスト教にはイエスが,イスラム教にはマホメットが教祖様としてあがめられています。 3つの宗教とも兄弟のような関係と言われますが,吸収されずに争いが起きているのは悲しいですね。吸収された方がよかったのかもしれません。
お礼
ご回答、ありがとうございました。
本当に簡単にざっくり言うと、 ユダヤ教→旧約聖書 キリスト教→新約聖書 イスラム教→コーラン 元々はすべて同じ聖書から派生したもので、例えはおかしいかもしれませんが、日本の仏教における 宗派(浄土宗、曹洞宗、日蓮宗等々。)みたいなものかと。 ただ、どの宗教を信奉する方もおっしゃるでしょうが。 あれとうちとは違うと・・・。
お礼
ご回答、ありがとうございました。
お礼
>イスラム教では、ムハマンド以前にも神から啓示をうけた預言者がいるということを否定していませんので、キリストは預言者の一人とされます。 ただ、最終的にムハマンドが受けた啓示が正しいというスタンスです。 ⇒なるほど。 それにしても、同じ神を信じているはずだのに、お互い、自分の信じている宗教が唯一、絶対に正しいのだとして、反発しあうなんて、いずれの宗教も信じていない私などから見ると、全く馬鹿げていると思います。 神がこういう人間世界を見ると、何と思うでしょうかねぇ。 苦笑するでしょうねぇ。 いろいろ教えて頂き、大変参考になりました。 ご回答、ありがとうございました。