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旧約と新約の違い
キリスト教の聖書には「旧約聖書」と「新約聖書」がある。 旧と新で、どう違うのか?
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新約聖書は4つの福音書と主にパウロの思想が書かれたものから成り立っています。 黙示録もありますが。 福音書のうち3つは同じ内容ですから、2つの福音書とパウロの思想が新約聖書。 例えば「この井戸の水は飲んではいけないと言ったとされる」という言い伝えの村があったとする。 そこに1人の神父がやってきて、井戸の水を飲んでみせる。 「ほらね 何も無いでしょ。迷信です。」 旧約聖書に似た物語がある。 知恵の実を食べてはいけない、食べると死ぬと神から言われたが、イヴもアダムも食べた。 これが原罪といわれるもので、ユダヤ教ではこの原罪について問題視していないが、キリスト教の場合、「神の言葉を信じず、蛇を信じてしまったために原罪が発生し人間は不幸になった」としたんです。 最も重い罪、これがこの原罪 つまり <神の言葉を信じなかった>こととしたんです。 で、パウロなる人物は新約聖書を読むとどうやらヘロデアン。 ヘロデアンとはヘロデ一族という意味。 ローマ皇帝からユデアの王位をもらったのがヘロデ大王。 (お父さんかおじいさんがローマが窮地になったとき兵を遣わして助けた功績があったため王位をもらった) それ以降政略結婚により、自分の血を政治家や聖職者の中に入れていったんですね。 聖職者も政治家も自分の血縁ならやりやすい。(ロスチャイルドと同じ戦略) どうしてこういうことをしたのかというと、祖先エサウの長子権をイスラエル(ヤコブ)が奪って以降イスラエルの子孫が神から祝福されたとずっとされ、政治的にも宗教的にも優勢となっていたから。 で、ヘロデアンはローマ帝国と親しいつきあいをしており、パウロはヘロデアンなのでローマ帝国と仲良くしていきたかったので、反発するユダヤ人を押さえ込む必用があった。 ところが押さえ込むことがどうしてもできず、ローマ帝国からの打診に対してゴーサインを出したわけです。 パウロの同意を得たローマ帝国は、ローマ帝国全土にいたローマ兵をユデアに集結させ、一気にユデアを攻撃し、「神殿がある限りユダヤ人は何度もはむかう」として神殿を破壊してしまったんです。 多くは虐殺され神殿の神の金庫は略奪され、生き残った人はローマ帝国各地に奴隷として売られた。 2000年ほど前に起こったできごとです。 ローマ帝国にユデアを売ったパウロですが、彼は律法のほとんどを否定したので、ユダヤ教のエルサレム教会から破門されたようです。 その時のくやしさが新約聖書に書かれている。 ここで復讐を決意したんでしょうね。(蛇のようなパウロ とか二枚舌のパウロ と昔の文献に書いてあるそうです) そして神の言葉は聞く必要は無い と神に背信するようにと律法を否定することが正しいことだと言ってまわったわけです。 神は新しく契約しなおしたから律法は守る必要がもうなくなりました 喜べ って。 律法の否定 これがキリスト教の柱です。 イエス物語などを巧みに利用しつつ、律法否定を正当化する論法を行った。 本当は200ほど福音書があったらしいが、たった4つだけを聖典としたのが、今のパウロを父とするキリスト教。 他のキリスト教勢力を弾圧するため、自分たちが決めた4つだけが正当な福音書だとするため聖典化したんです。 聖典化したため彼らが作った新約聖書がキリスト教の正当なマニュアルとなり、他のキリスト教勢力はそれとは違う内容なので偽物となり、弾圧することが正しいとなった。 だからこのサイトでも他のサイトでもそうですが、キリスト教信者は常にパウロの言葉を引き合いに出します。 神の言葉を信じず神の言葉を否定したパウロの言葉のみを信じているのがキリスト教。 たくみに「神様は新たに人間と契約しなおしたから、前の契約は重要じゃない。新しい契約が重要なのだ」とかなったんです。 旧約も新約のイエスの言葉も内容は同じなので、律法が完成したという解釈は間違いじゃないのですが、それをもってパウロの律法否定が正しいかというと、言いくるめようとしているだけ。 キリスト教ができて以降 人類史上かつてなかった大虐殺が引き起こり今日に至ったわけです。 まっ パウロ教と呼ぶと、誰を神としてあがめ誰の言葉を信じている信者かわかりやすい。
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- cxe28284
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旧約と新約の違いは聖書自身が語っています。ヘブライ人への手紙1章1節~4節 神ははかって予言者たちによって多くに形で、また多くの仕方で、先祖に語られたが、 この終わりの時代には、御子によって私達に語られました。神は御子を万物の相続者と定め 又、御子によって世界を創造されました。・・・・ 御子とはイエスキリストのことです。どうぞ続きはご自分でお読みください。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 違いはありません。 旧約聖書に《あたらしい契約》のことがしるされています。つまり キリスト・イエスの出現を言ったとおぼしきことです。そのようにつながっています。 アブラム(のちのアブラハム)という人に神の声が臨んだそうです。 七十歳を超えていたのに その故郷を去って――どこへとも示されることなく――行けと言われ行った。ここから 話は始まっています。 そのようなかたちでですが神を信じたアブラハムに分かったことは その信じることにおいてひとは人をころさないし むさぼらないし うそいつわりを言わないのだと。このことを痛いほど分からせられたようです。 その後 この神の命題をモーセは 規範にして表わしました。ころすなかれ・むさぼるなかれ・いつわるなかれ。これが 律法です。 あたらしい契約では 神はもう人びとのいわゆる原罪も罪も覚えないと言っています。 これは イエスが十字架上に去って行ったとき実現するというはこびになっていたのだと考えられています。 言いかえると イエスが――そうしてキリストと呼ばれるようになって―― モーセの律法(または 律法主義)を元のアブラハムの信仰という道に戻したかたちです。パウロもそう言っています。規範によって・規範を自力のみで守ることによって生きるのではなく 信仰において生きるという意味です。そこにおいて――もともとアブラハムのときにそうだったように――律法の言っていることを実現することにつとめるというかたちです。 ということは このキリスト・イエスのあと――その新約聖書の趣旨がじゅうぶんに知られていくならば――あとはもうキリストのキの字もいちいち出さなくてよい。こうなります。 律法の戒律は その昔 石の板に書かれたのと違ってイエスのあとではおのおのその胸の板に刻まれているという言い方で説明されます。つまりアブラハムの生活様式に戻ったとも言えそうです。要は 一人ひとり個人の内面において信仰は生きるという意味にもなります。言いかえると 組織宗教は要らないという意味です。 どうでしょう?
- katyan1234
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もう簡単に言うなら1部 旧約 イエスが生まれるまでの事を記した書物 ユダヤ教とキリスト教が使用 第二部が新約 キリストが生まれた後 キリストが何をしたのか そして十字架にかかられてその後何をしたのか 弟子が各教会に送った手紙 黙示録 こんな感じ・・・ メインが新約救い主キリストが言った言葉 で新約聖書を中心に学びます
- cyototu
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旧約聖書はユダヤ人が長い歴史の中で手に入れて来た知恵を書き綴ったもの。それは玉石混交で、珠玉の言葉もあれば、豚や鰻を食べては行けないとか、日曜日に仕事をしてはいけない等の石も混じっています。 一方、新約聖書はイエスの事績を書き綴ったもの。イエス自身は何も書物を残しておりませんが、その彼の事績と説教をイエスの弟子達が書き綴った物が新約聖書です。新約聖書には、イエスが何故そのような行為をしたかのかの説明として、それは旧約聖書に書いてあることを実現するためだ、としばしば答えています。このことから、イエスは人々の前に説教者として現れる以前に旧約聖書を徹底的に勉強して、その中のどの部分が玉でどの部分が石であるかを、彼の視点からふるい分けた。そして、彼がこれが玉だと考えた部分を皆に説教したことが解りますね。だから、彼のやった行為のほとんどは、彼の生まれる以前の旧約聖書に書かれています。だから、キリスト様でも旧約聖書も聖典になっているのですね。 人によってはこれを予言と呼びます。しかし、このようなことは学問の世界では何時でも起こっていることです。それ以前の学問の成果を徹底的に調べて行くと、その中には、大切な事とどうでも良い事が玉石混淆しているのが普通です。そして、後から来た研究者が、その過去の成果にほとんど何も新しい事実を加える訳でなくても、その過去の成果の中から、ここの部分が大切なこと、すなわち玉の部分だ、と抉り出して皆に知らせることが出来たら、それだけでその研究者は偉大な学者として皆から評価されます。そのように玉と石を峻別できるようになると、今まで気付かなかった全く新しい世界を見ることができるようになるからです。 実は、学問の世界では、このことは、何か新しい事実を発見するよりもしばしば格が上の業績だと評価されます。なぜなら、新しい事実の発見は、たまたまそれを見付けてしまったと言う、その研究者の「幸運さ」が主な原因だった場合がほとんどだからです。一方、以前の成果の中から玉と石を峻別してみせることは、偶然の発見と言うよりも、正にその研究者の「能力」がやって見せたことですので、本当の意味で優れた人にしかそれは出来ません。要するに、今まで誰も見たことが無かったような新しいことを発見することは運さえ良ければ誰にでも出来ることなのですが、一方、常日頃から皆が見ていることの中から、今まで誰も気が付かなかったことを見つけ出して来るには抜きん出た能力が必要であり、運が良いだけでは出来ないからです。 そう言う意味で、旧約聖書という既に書かれていることの中から玉を抉り出したイエスは、もしこの方が研究者だったとしたら、第一級の研究者であると言うことが出来ます。見ようによっては旧約聖書の縮約版のようにも見える新約聖書が歴史に残る理由はこんなところにもあるのだと思います。 勿論、新約聖書の中にはイエスの復活という、旧約聖書には書いていなかった全く新しい事績も語られているので、そう言う意味での新しくて同時に重要なことも付け加えてありますよ。
- Tacosan
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旧約聖書はもともとユダヤ教のもの. で, たとえば天地創造 (Genesis) は旧約聖書の話であって新約聖書にはないし, キリストの絡む話は逆に新約にはあるけど旧約にはあり得ない.