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歴史学の授業で…

こんばんは。 とある大学に通っている者です。 最近、冬休みの集中講義で、歴史学を受講しました。 その授業の中で、社会構造・変動のことを大雑把に学んだのですが、あまり理解できていません。 理解できていないこととは、「社会構成体論」と「社会体系論」です。 歴史学の授業にしては、なざ社会学的なことを学ぶのかと、不思議に思われるかと思いますが、 どなたか、大雑把でよいので、「社会構成体論」と「社会体系論」とは何か、説明してくださればありがたいです。 よろしくお願いします。

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  • tyr134
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回答No.2

社会学というのは、歴史学の観点から言えば「歴史補助学」と言われる学問です。 つまり、歴史学において「歴史」を明らかにするためには、「社会学の観点も必要であり、援用する」事が行われるのです。 社会学の他にも、「考古学・古文書学・民俗学・地誌学・金石文学・化学・地質学etc,,,」とあります。 まぁ、殆どの学問が歴史学となんらかの関連を持っているのです。 >「社会構成体論」と「社会体系論」とは何か、説明してくださればありがたいです。 私もまだまだ理解できてませんので、間違いは他の方に訂正して貰えることを期待して・・・(オィ 分かり易く言うと、「社会を一つのシステムとして分解・解析して、その時代時代を分析しましょう~」という事でしょう。 例えば、マルクスは歴史を「生産力と生産諸関係」とを分析し、原始社会から現在までは、この生産力の発展によって進んできたと考えます。 そして、「原始共産体制」「古代奴隷体制」「農奴体制」「資本主義体制」と分け、その先に「共産主義体制」が来ると予言しました。 これらの時代時代の「体制」を分析していこうとうのが「社会構成体論」だと思います。 「社会体系論」は主にタルコット・バーソンズによって唱えられた論だったかと思います。 社会を「人間の行為と行為が交錯するシステム」として考え、システムの構造と個々の機能を分析していこうという考えです。 http://www.hkg.ac.jp/~sawada/kougi/20/20.htm つまり、どちらも社会を一つの「システム」として捉え、その観点から「歴史」を見ていこうという「歴史観」に通じます。 以下は蛇足ですが。 歴史というのは、「自然科学」と違い「普遍的な法則」というのは見つ難い分野であるといえます。 その為、歴史を見るひとの価値観・思想・イデオロギーに左右される事が多々あります。 その事に意識的でなければならないと私は考えてます。 クローチェは「全ての真の歴史は現在の為の歴史である」と唱えました。 つまり、「歴史は現在の思想・価値観・問題意識に左右される」という事です。 また、ウチの大学の教授は「歴史とはすべてフィクションである」といってました。 こうした、歴史哲学はなかなか最近の大学ではやらないようです。 歴史学を志すなら、是非この点にも意識を向けてみてください。 視野がひろがりますよ。 以下の本はお薦めです。 『歴史の哲学―現代の思想的状況 』(講談社学術文庫) 渡辺 二郎 著 http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6%E2%80%95%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3%E7%9A%84%E7%8A%B6%E6%B3%81-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B8%A1%E8%BE%BA-%E4%BA%8C%E9%83%8E/dp/4061594060/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1199810722&sr=8-1

参考URL:
http://club.pep.ne.jp/~y.hosoya/booksreview/rekisitetsugaku.htm
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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

東国の武士が思った なんか、税金払いすぎじゃない? わしらの取り分もっとあっていいよな。 ってんで、頼朝と一緒に鎌倉幕府を作りました。 御家人ばかりいい目見ているんじゃないの? というので、悪党と言われていた楠木正成なんかが、後醍醐天皇の元にあつまって、鎌倉幕府を倒しました。 こういった、一つ一つの歴史的な事実を一緒くたにまとめ上げると、 「現状に満足してない人々」が満足するようにする行動が歴史を作っている。人々のあり方=社会じゃね。その社会の構成体から、歴史をバッサリ解釈しちゃいましょうや。 というのが 社会構成体論 < に 違いない http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/060221om02.htm ここの「「矛盾を含む複合性」やその内部で「互いに対立し、その歴史によって表現される、矛盾する諸傾向」を孕んだものである」を平たく言うと上記のようになる。 矛盾するってのは、先の例で言えば、東国の武士にとっての不満であり悪党の不満なわけです。 荘園の現地管理人である武士が荘園の所有者である都の貴族に税金を払うのは当たり前だ・・・という平安的社会体制に対して、武士ももっといい生活したい!そのためには税金を減らしたい!というのが矛盾なわけです。生産量が決まっているので、取り分争いになります。 生産の取り分という経済面を主に考えたのがアルセチュール。 それに対して、政治的な立ち位置に視点を重くするのが社会体系論 http://shakaigaku.exblog.jp/2380931/ Aさんが王様になるには部下のBさんが必要。つまりBさんを部下にするというBさんにとって(たぶん)耐え難い人生を前提にAさんの王様の地位が成立しています。ホッブスの万人の万人に対する闘争、おいらが王様だ!喧嘩です。 どちらの論も、歴史を貫く基本法則じゃないの?頼朝がいいヤツとか、後醍醐天皇が偉いヒトとかじゃなくて、という視点です。

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