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ヨーロッパ物質文明の世界制覇について
ヨーロッパ物質文明が世界制覇できた理由がわかる方、教えてください(´m`)
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- tyr134
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物質文明という「概念」とは何か、が分からないと、問題の本質は分からないと思うので、少し簡略的な解釈を私なりに回答してみたいと思います。 これの問題は、「文明とはなにか?」という根本的な問いがあります。 我が国でも基本となっているのが、西洋歴史学の考え方です。 この西洋歴史学というのは、「キリスト教的世界観」に支配されていました。 この「キリスト教的世界観」というのは、「進歩史観」と言っても過言ではありません。 歴史を一本の線で捉えて、「始まり=神の創造」と「終わり=終末論」を設定して、その「始まり」と「終わり」の「間」を「歴史」と捉えました。 そして、「文明=キリスト教を知った人間が作りあげたモノ」として捉え、「野蛮なモノ=キリスト教を知らない人間」として対置しました。 (※この対置の仕方の根本には、古代ギリシア・ローマ的な考え、つまり、都市国家に住む人を進んだ人、都市に住まない遊牧民などを蛮族(バルバロイ)として考えていた思想が流れています) つまり、世界を「文明」と「非文明(野蛮な世界)」に分けて考えたんです。 そして、「歴史の直線」の上で「野蛮な世界」から「文明世界」へ進歩すると考えます。 この考えは18~19世紀の歴史学で隆盛を極めます。(20世紀も未だこの考えを引きずっています) しかし、主に戦後なのですが、考古学や社会学、自然科学の発達によって、西洋社会(非キリスト教社会)にも、高度に発達した社会があることが分かってきました。 そこで、「文明とは何か」という問い直しが行われ、「物質的文明」と「精神的文明」を相互関係に置く考え方が提案されはじめています。 (※ちなみに、日本で習う「四大文明」という考え方は、日本を中心としたアジアのみで流布された考え方で、西洋では「四大文明」という概念はあまり主流ではなく、現在は否定される動きにあります。) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%9B%9B%E5%A4%A7%E6%96%87%E6%98%8E 「物質的文明」とは、外在的・物質的なモノを指します。 例えば、人間の生活は外的要因、つまり自然環境によってある程度限定されると言えます。 例えば、ヨーロッパ地方の主食はパン(小麦)、日本やアジアは米、米大陸(マヤ・インカ・アステカ)はトウモロコシやタロイモetc,,,と、それぞれの地域での食文化は自然条件によって既定されていると言えます。 或いは、極寒地方に住む人々は動物の毛皮で服を作りますが、温暖地域に住む人は植物繊維等を使った布で服を作ったりします。(もちろん、これらの地域は明確に区別されず、重なり合ったり相互に影響しあったりします。例えば、大航海以降に南米原産のジャガイモが英国の主食になったり) 一方で、芸術・宗教・国家組織・経済・文学etc,,,などは、人間の内面的影響、つまり精神が強く作用して形成されたと考えられ、これを「精神(的)文明」として対置します。 もちろん、これら二つは対立する概念ではなく、相対的な概念であり、時には重なり合う部分もあったりします。 こうした、所謂「相対主義的」な区別が生まれた背景は、やはりキリスト教的歴史観であった「文明」と「非文明」を対立させる事は適切ではなく、また、そうした考え方が人種差別・民族差別を産んできたという反省の元に生まれ、徐々に主流になりつつある考え方であろうかと思います。 >ヨーロッパ物質文明が世界制覇できた理由がわかる方 上記の観点から考えると、やはり地理的要因が大きいと考えられます。 ヨーロッパは、古代ローマ帝国崩壊後、多種多様で雑多な民族が互いに混じり合いながら、(キリスト教という共通の概念を持ちながらも)常に争いを繰り広げていきました。 西ローマ帝国が滅んでから近代絶対君王政が成立するまで、弱小勢力が互いに競いあっていました。 また、胡椒や奴隷を求めてアフリカやアジアと貿易していましたが、その間には非常に強力なイスラム帝国が台頭してきます。 この結果、経済的な利益を求めて大西洋へ出て行こうという気運が生まれました。 こうした面から、ルネサンス以降、技術革命が急速に進んだと考えられます。 一方、中国は常に各王朝に支配され、その代替わりに混乱はあったものの、概ね似たような論理(皇帝が中原を支配する・中華思想)で安定(?)していたと考えられます。 また、東南アジアにも文明は発達しますが、中国を圧迫するほどでもなかったようです。 これも、東南アジア特有の熱帯性の気候などが関係しているのではないかなと思われます。 「ヨーロッパ物質文明が世界制覇できた理由」の結論としては、地理的民族的社会的精神的諸条件から、技術開発と冒険心が促されたから、となるでしょうか。 思わぬ長文になってしまいましたが、参考になれば幸いです。
- buchi-dog
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「銃・病原菌・鉄」と言う本が面白いです。 目からウロコの指摘が多くありますよ。 結論は、「西欧は実に様々な幸運に恵まれ、他の地域は日本を除きそうではなかった」ということでしょうか。「日本を含む東アジアは、西欧の次に運が良かった」ともこの本から読み取れます。 上下の分厚い本ですが、私はあっという間に読了しました。 この著者の続刊の「文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの」も好著です。
- a-koshino
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物質文明とは、精神文明との対比でしょうか? 有史以来ヨーロッパにでもどこでも、物質文明と精神文明は同時に存在しますので、「ヨーロッパ物質文明」なるものを定義していただかないと、回答不能です。 前提として ヨーロッパに限らず、精神文明だけで世界制覇は不可能です。 ただ、精神文明が発達する前提には、当然物質文明がありますし、物質文明を発展させる根底には精神文明があります。 たとえば、「産業革命」「産業資本」などを物質文明に属する存在と定義するならば、「資本主義」は(ヴェーバーをもちだすまでもなく)精神文明に属する用語になります。
お礼
回答ありがとうございます。 物質文明とは、ホントに‘物’のみを指しています。(と思います;) 実際、物質文明がよくわからないで質問してしまいました。(ごめんなさい…´Д`) でも、「産業革命」や「産業資本」はさしていません(^^)。 ホントに申し訳ないんですけど、答えられる範囲で何か分かる事があれば、また何か教えてください(汗) よろしくお願いします。
お礼
回答ありがとうございました(^^)