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ヨーロッパの文明について

歴史の授業で日本が戦国時代江戸時代あたりの年代のときにヨーロッパではすでに豪華な服や建物が写ってる写真などを見るのですが、日本がまだ戦国時代江戸時代あたりの時にはすでにヨーロッパなどではそこまで文明が進んでいたのですか?

みんなの回答

noname#212854
noname#212854
回答No.6

ヨーロッパ文明も素晴らしいですが、日本に来たあるキリスト教宣教師は、織田信長の築いた安土城を世界で最も美しく豪華な建築物と、ヨーロッパに紹介しています。 また、日本の武士の甲冑類もヨーロッパのナイトの甲冑よりも立派ですし、現在でもヨーロッパに日本甲冑のファンがいます。 江戸期には何度も改革があって奢侈を戒められた江戸町民文化の象徴の江戸小紋も、ヨーロッパ貴族の衣服と比べると、はるかに豪華で美しいものです。 基準の取り方次第で、どのようにも解釈できるのでしょう。

noname#224207
noname#224207
回答No.5

>豪華な服や建物が写ってる写真などを見るのですが、 現在洋服に慣れていますので中世の服装が装飾過多というか豪華という印象を持たれるのはよく分かります。 これもデザインが違うというだけです。 十二単をどうご覧になられるかということです。 表現方法が違うということです。 あとは色使いが日本は中間色を好みますが、原色に近いものをちりばめたものが豪華かどうかということです。 建物も石造建築か木造建築かという違いでしょう。 現在のビルは石造建築の延長線上ですので、装飾過多の石造建築を豪華と受け取られるのも良くわかります。 金閣寺などは如何でしょうか。 中尊寺の金色堂などは如何でしょうか。 日光東照宮の陽明門などは如何でしょうか、相当な装飾過多です。 シンプルか豪華かと言えば、中世ヨーロッパの全面鉄板だけの鎧と日本の鎧とくに源平時代の大鎧と比較して如何でしょうか。 鎧を海外で展示する際には、戦闘用のもので儀式用ではありませんと但し書きがついています。 文明の発達如何ということに関しましては、現代の科学文明を基準として考えれば特に機械に関してはヨーロッパの方が発達していたと言えるでしょう。 とはいえ、五重塔の耐震構造は現在でもスカイツリーなどの高層建築に取り入れられています。 五重塔は火災や強風で倒れたことは記録されていますが、未だに地震で倒れたものは一つもありません。 法隆寺の五重塔などは千五百年近く経って今も建っています。 戦闘用の大型様式帆船(ガレオン船)と近海の貨物用の北前船を外洋での戦闘に役立つかどうかと比べても余り意味はありません。 ま後ろから風をうければ和船の方が早かったことは航海記録から証明されています。 早いからといって戦闘艦には不向きです。 造船技術はということになりましすと、やたらに釘で止めてタールで隙間を埋めて防水した洋式帆船と木組みで仕上げていた和船とでどちらか、ということになります。 ただ文明とは何ぞやということにると、発達の仕方が違うということになります。 幕末から明治にかけて日本へやってきた外国人は日本の文化といいますか文明を絶賛しています。 自分達が到達できなかった文化を持っていると絶賛しています。 服装や建物についても、中国のようにケバケバしくなくて落ち着いていて好ましいとしています。 特に染色ではなく模様を細かく織り込んだ和服を絶賛しています。 一見して無地かと思われるものもよくみると細かく織り込まれているのを特に称賛しています。 まぁ~何にせよ何を基準とするのか、ということでいろいろ違ってくるかと思います。

  • eroero4649
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回答No.4

15世紀、ようやくヨーロッパは大航海時代へとなっていきますが、その草分け的存在でもあるヴァスコ・ダ・ガマがヨーロッパ人として初めてインドに渡ったとき、彼はインドとの交易を願ったのですが彼が持っていた商品があまりにショボいので豊かなインドの王様に爆笑されたという話が残っています。当時は他の文明圏に比べるとヨーロッパは貧しく、ショボかったのです。 http://archeron.fc2web.com/history2.html しかしヨーロッパ人は他民族より「狡猾で戦争に強い」という長所がありましたので、それを生かして他の文明圏を次々と征服して、主に他民族や他文明圏から略奪することによって豊かになることができましたとさ。 ヨーロッパがインドや中国やインカやアステカに比べて明らかに文明として優れていたのは人殺しと戦争に関する分野でしたね。芸術や科学はルネサンスが爆発して以降となります。

回答No.3

中世までは、やはり中国のほうが進んでいました。三国志演義つまり3世紀ころの話でも今とそれほど違和感ないほどです。日本もそのおかげで平安期ころにはかなりの文明度になっていました。 日本の戦国時代あたりは、西洋ではルネサンス(の終りころ)で、暗黒の中世と呼ばれる時期が終り文明度が上がっていたころです。状況としては中国はもちろんトルコあたりのイスラム圏よりも文明度が低くなっていたので、追いつけ追い越せ的な感じです。 その後、産業革命を経て一気に文明度・軍事力などを得て世界の支配に乗り出したので、今ではヨーロッパの文明がすごいように感じますが、16世紀頃まではそれほど文明が進んでいたというほどでは無いことは、頭の隅に入れておくと良いと思います。

  • kia1and2
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回答No.2

1500年代で植民地からの豊富な富財によって、どっしりとした石造りの建物による街づくりは出来上がり、道路舗装(石畳)も。南蛮船や航海術も。日本の最初の太平洋を横断できる外洋船(南蛮船)は1612年ですが、航海士は外国人です。

回答No.1

そうですよ 日本が戦国の頃はすでにルネッサンス(芸術革命)は始まってますし ガリレオが望遠鏡で星を見てる時代です なのに日本は ようやく織田信長がフロイスによって世界が丸い事を知り始めた頃ですから

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