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上杉謙信と、その家臣
上杉謙信の家臣であり、侍大将である小林左馬介について教えてください。 また、侍大将とはどういった役職で、何をしていたのでしょうか? また、上杉謙信は女性と言う説がありますが、どうなんでしょうか?
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質問者様のご先祖が「小林左馬介」だと伝わっている、といったお話ですか?下記の記述を元に質問されているのでしょうか。 http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/kobayasi.html 「上杉謙信の侍大将に小林左馬介の名が見え」 ※ 詳細は略しますが、上記は「小林左馬助」の間違いと思われます。 上杉家は越後から会津、米沢と移って明治維新に至りました。上杉謙信の家臣団が基本的にはそのまま維持されてましたので、「上杉謙信の侍大将に小林左馬介の名が見え」が事実であれば、 ※ネット上の情報にはウソも多いです。 小林左馬助の子孫が米沢藩士として存続し、米沢藩の史料に残っているのはほぼ確実でしょう。 市立米沢図書館 http://www.library.yonezawa.yamagata.jp/ に「郷土資料室」が存在するようです。米沢藩に関する活字の資料はここに取り揃えてあるはずです。土日祝日も開館していますから、遠方にお住まいでもここに行けば「小林左馬助の子孫」について調べることは容易です。なお、事前に図書館に連絡して「小林左馬助の子孫について知りたい。何月何日に東京(例)から伺うのでよろしくお願いします」と言えば、図書館の担当職員が調べる手助けをしてくれる筈ですし、事前に何を準備すればよいかアドバイスしてくれるでしょう。 「侍大将とはどういった役職で、何をしていたのでしょうか?」 明確な定義はありませんが、戦国時代には、「独立した戦力を率いる地位の武士」を「侍大将」と称したようです。自前の家臣(郎党)と、自分に付属された武士(与力・同心)を含めて数百人程度かそれ以上の戦闘員を率いており、例えばこの兵力で一つの城を守備しました。 「また、上杉謙信は女性と言う説がありますが、どうなんでしょうか?」 上杉謙信が女性(男装の麗人)であったと仮定すると説明がつくことがいくつかあるのは事実です。 1. 生涯結婚しなかった。女性が女性と結婚できるわけがないので当たり前。 2. 上杉謙信の書状を見ると、妙に女性的な、感情的な表現が目につく。 3. 近衛前久との良く分からない盟友関係、近衛前久と共に関東へ出兵し全く実りのない戦を繰り広げるといった戦国大名として不合理な行動は「謙信が女で近衛と恋愛関係にあった」とすれば説明がつきます。 謙信は京都に二度赴いたようで、歴史家はその動機を説明するのに苦労していますが「女の謙信が京都に観光旅行に行った」と考えれば説明がつきます。 ただ、謙信は兄の現当主を見限った長尾家家臣団に推戴されて長尾家を継ぎました。「謙信が女であった」とすれば、長尾家家臣団はそれを承知で謙信を推戴したことになります。後年に謙信が示した天才的な武略を家臣団が予測できたとは思えず、「現当主を廃して、女を主君に担ぐ」というのはいかにも不自然です。
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上杉謙信が女性だったという話はあります。 ただこれも戦国大名としては無責任なのですけど、室町時代の細川政元と同じく妻子がいないということで出てきた話で、両者とも後継者争いで家が乱れてしまいます。 謙信に関しては半陰陽(男性と女性の両方の性がある)だった、事故で男性器が無くなった(落馬して潰した、小便の最中に切られたなど)、単なる性同一障害、ホモ、宗教かぶれなど諸説あって判りません。