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上杉謙信の女性説について
高校時代に歴史の先生から、「上杉謙信は実は女性だったという説がある」というのを聞いたのですが、詳しい事をご存知でしたら、その根拠などを教えて下さい。もう、20年以上も気になっています。
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確か、その「上杉謙信女性説」最近、友人に教えて貰いました。 その根拠ですが 1,上杉謙信がいた地方の歌に「まんとら様は男に負けない力持ち」という内容の歌詞がある事。ここの「まんとら様」は昔の謙信の名前だそうです。「男に負けない」という表現は、男には使わないのではという事だそうです。 2,どんなに勝っている場合でも、一ヶ月に一回、数日間、決まった周期で合戦を中断している事。 3,「川中島の合戦は武田信玄と美男子を取り合う目的があった」という説がある事。この説は、他に、「上杉謙信男好き説」の根拠ともされているそうです。 4,上杉謙信の銅像等で彼がよくかぶっている頭巾が当時の女性のファッションであった事。 5,上杉謙信の絵で、彼が不自然なくらいひげを生やしている事。「女性という事がばれるといけないので、後で書き加えたのでは?」という話です。 友人はかなり「上杉謙信女性説」を信じているみたいです。 しかし、その説にも反論があり、「謙信が女性なら出家は出来ないのではないか」(謙信は出家しているらしいです)という事だそうです。 ご参考になれば幸いです。
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小説としては面白いですが、別の珍説として下腹部に傷を負ってオカマになってしまったという説もありますが、いかがな物でしょうか。 謙信の兜の前立てですが「飯縄権現の像」である事はご承知ですか。 これが飯縄信仰の証とすれば、結婚をしなかった事や女性を近づけなかった理由にもなります。 飯縄信仰に依れば、修行を積むことで神の加護を神通力を得て、空も自在に飛ぶ事が可能になるが、女性に心をとられれば神通力が失われるとされております。 ただ、女性嫌いの言い訳として信仰の為と称したのかも知れません。 この時代は子孫を得られなければ家が潰れ、家臣一同路頭に迷いますから、兎に角早く結婚して子供を作り、その後で好きな事をやってもらわないと周囲が困りますから。 いずれにせよ、信仰のために女人禁制の場所にも立ち入ってますから、男性ではないかと思います。
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早速ご回答をいただき、ありがとうございました。
- badger
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下記URLをご覧下さい。 でも上杉謙信が女性であるという根拠より、男性であるという根拠の方がたくさんある気がするのですが、こういう説も、ロマンがあっていいですよね。
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早速ご回答をいただき、ありがとうございました。
- ni2
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質問のとおりに検索すると、面白いほどヒットしました。上杉謙信は戦の勝利を祈願して、妻を娶らないことを決めた話は聞いたことがあります。戦国時代では相手国の戦力を弱める為などに雇われた忍者などが、様々な職業に変装してデマを吹聴させることはあったようですが・・、事実どうなんでしょうね?お墓の遺骨からDNA鑑定をしていただかないとわからないですね。(遺骨の本人確認も難しいものでしょうか?)
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早速ご回答をいただき、ありがとうございました。
- jakyy
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下記のサイトに書かれています。 この説を提唱したのは作家の八切止夫氏で根拠は下記のようです。 (1)「当代記」に婦人病と書かれている。 (2)上杉謙信は生涯結婚していない。子供も残していない。また赤い服を好む。 (3)謙信の遺した文書は筆跡も文章も女性的である。 (4)謙信の背丈が大柄と書かれているのに実際は156cm程度だったらしい。 女性だったら辻褄が合う。 (5)スペイン人ゴンザレスの国王宛文書に、伯母の上杉謙信の記述がある。 戦国武将の話は根拠が乏しいようです。小説家の講釈でしょう。
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早速のご回答をありがとうございました。
- sanmaneko
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女っ気がなかったのでそう言われていると聞いたことがあります。宗教に熱心な求道家だったというのが一般的な見方だとは思いますが、当時は家の安泰のために嫡男をもうけるのも武将の仕事みたいなところがあったので。これだけでごめんなさい。
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早速のご回答をありがとうございました。
お礼
早速ご回答をいただき、ありがとうございます。 とても分かりやすいご説明で、20年来の胸のつかえがようやくとれました。