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太平洋戦争中における米軍のパイロット・船員の育成
太平洋戦争中における米軍が日本軍よりも大量にパイロット・船員を育成量できた原因はどのへんにあるのでしょうか。歴史に詳しい方教えてください。 開戦時には、日米の飛行機や艦船数の差はそれほど大きなものではなかったと思われます。(だからこそ勝ち目があると考える人がいた) これが終戦時には米軍は日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船を運用しています。 工業力に優れる米軍が、日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船というハードを作る事が可能であった事は理解できますが、ソフトとなる 飛行機の搭乗員や船員を育成するには相当の時間が必要と思われます。 単純な人口比で言えば、米国は日本の2倍程度ですので日本軍と同様の育成システムであれば、ハードはどんどんつくっても、動かす人(ソフト)が足りずにせいぜい、日本軍の2倍程度の飛行機や艦船が運用可能となると思うのですが。 中盤以降、日本軍はどんどん消耗していくので相対的な倍率は差がついてしまうとは思いますが、米軍の飛行機や艦船数の膨張率も相当と思いますので、これに追いつく育成方法があったのでないかと思うのです。
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No.7です。 ビグローブでもヤフーでも「QC」で検索すれば品質管理の項目が出ます。 ただ現在は総合的品質管理が主で、戦時中の品質管理を知るには、その中の一部門の統計的手法を探す必要があります。
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- a-koshino
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アメリカ軍の搭乗員育成は徹底していました。 客船を改造した2隻の練習用空母(『ウォルバリン』と『セイブル』)をミシガン湖に浮かべ、充分な発着艦訓練を行なった上で、戦地へ送り出したのです。初歩的な技量を持った艦載機パイロット17820名が短期間に育成されました。艦載機より楽な陸軍機搭乗員は、さらに多数だったでしょう。 アメリカ軍は戦場で、パイロットの疲労を防ぐため1機につき2名ずつの交代制にしたり、長期休暇を許したりしましたが、対する日本側は疲弊したパイロットへ軍医が「栄養剤」と称して覚醒剤を注射・・・地力が違うというより、合理性の差かもしれません。
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そうですね。日本軍の場合正面戦力を重視して離陸は出来るが着陸は出来ないパイロットでも実践配備しようとしますが、結局一回限りの使い捨てですよね。 あちらさんは、一応離着陸出来るパイロットを作って、出来るだけ長く使おうという発想をするのですよね。 合理性の差ですか、なるほどです
- yakyutuku
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開戦時、軍艦の数は日本とアメリカでは大きな開きはありませんでしたが、民間船舶はアメリカのほうが20倍、イギリスのほうが10倍ほどありました。つまり船員についてみれば、土台開戦時から数が違うのです。平時に日本は中国、朝鮮と本土の間の貿易が大半で、原油をカリフォルニアやインドネシア(結局米蘭資本)から輸入していたくらいです。それに比べアメリカはヨーロッパとの物流、あるいは西海岸と東海岸を結ぶ物流を海運に頼り、イギリスはインドや中国との貿易を海運に頼っていたのです。 パイロット育成ですが、これは確かに開戦時にそこまで大きな開きはないです。アメリカでは郵便などを空輸に頼っていたことなどもあり、確かに日本よりは開戦時も数が多いでしょう。ただその後の膨張は、日本より大規模に育成していたこと、ベテランパイロットの戦死率が低く、教官となる人材が日本より多かったこと、戦闘機についていえば一撃離脱戦法が主流で要求技量が低かったこと、といった理由があると思います。
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早速の回答ありがとうございます。 民間船舶の土台が違うという点は理解出来ますが、米国はその量が必要であり、またそれなりの民間船舶量を維持していたから圧倒的な飛行機や艦船の生産が可能であったのだと思います。 民間船舶の人員を根こそぎ軍に持ってくれば、軍の船員は充実しますが民間船舶が細くなり、歴史が示すよう生産量は不可能だったのではないかと思います。 パイロットについては、教官となる人材が多かったことはなるほどと思いますが、それが短期育成につながるとは思えません。例えば優秀な先生を集めた場合、工業高校のような実技を伴う教育でも3年の教育課程が半年で済むとは思えません。 要求技量が低かったという点は、大きな意味があったと思います。
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お礼
ありがとうございます。 早速覗いてみましたところ、主に製造業で活用されているようですね。 彼の国では、飛行機の搭乗員や海軍士官も製造されるものの延長として捕らえられるようですね。 一方で日本では、職人芸というか匠の世界と言う感じで「技は横で見て盗むものだ」という意識があるように思います。 なので、当時の日本軍が人材育成にQCを活用するという着想を出来なかったのも仕方ないかなと言う感じです。