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命令書なしに日本軍隊は動けない
旧日本軍は細かな行動まですべてに大本営からの紙の命令書を必要としていたそうですが、その紙をあのFAXのない時代にどうやって本部から前線まで届けていたのですか。
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- a-koshino
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最前線の判断で動く独断専行は、不文律として認められていました。 満州事変においては、関東軍と朝鮮軍の軍司令官が、大本営の命令を無視して軍を動かし、以後に様々な模倣を呼ぶ悪例となりました。満州事変は成功した例なので、大本営による統制を回復しようとする者には、かえって厄介だったそうです。 また、極端な例としてインパール作戦があります。 補給不可能な状況でも戦争ができるとの、牟田口軍司令官の妄想としか評価できない無謀な作戦のせいで、最前線で走り回って戦う兵隊さんたちに与えられた食糧は、一日に米3粒・・・補給がなければ戦争はできないとする佐藤師団長の再三の要求(電信文によるやりとりが記録に残っています)を牟田口が無視した結果、師団長の独断による撤退という事態になりましたが、佐藤師団長は予備役に回されただけで、処罰されませんでした。
離れた場所には電報(既に一部海底ケーブルがあったらしい?)や、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%A0%B1#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A7.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2 無電(無線電報の略だと思いますけれど、電信/モールス信号)を使っていたようですよ。 本をちらほら読んでいると、よく「ドイツの日本大使館から電報が来た」とか「どこそこへ打電した」「何々から入電あり」なんて言葉が出てきます。 「玉作命第○○○号」というような感じの通し番号付き作戦命令が、当時の資料として紹介されていたりします。 参謀などがやってきて現場司令官に伝える場合もあったそうで、 この場合は紙で持って行けますね。 ただし、命令よりも現場判断を重視した人たちもいました。 他の方もおっしゃっているような、事後報告とか。 『ノモンハンの夏』を読むと、関東軍と東京の陸軍との連絡やり取りが出てきます。 これは硫黄島の栗原中将(陸軍)の電報だそうです。 http://ww1.m78.com/topix-2/kuribayashi.html 海軍は東京の日吉の地下壕に司令部を作りました。作戦室、通信室、暗号室などあったそうです。 http://www.jca.apc.org/~p-news/hiyoshi.html#toha
- jayoosan
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軍は大日本国憲法に書かれた「統帥権」の名のもとに、政府にしばられない行動ができました。 関東軍に関しては、のちの東京裁判でただ1人文官政治家で死刑になった広田弘毅を描いた書物によると(遺族への取材をもとにした小説)、彼がまだ官僚で中国に赴任していた頃、関東軍が勝手な作戦をいくつも立てて実行しようとするので、広田がたしなめたり、ことの重大性をつげて外交による中国との解決を提言すると、関東軍から何度も「統帥権」をだされてしまい黙らざるを得ず、関東軍は独自に中国で動いていた様が描かれていました。 そこでは、日本の大本営の指示を待っている情景はありませんでした。
- nemosan
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たしか、関東軍は独断で軍事行動を行ったのでは?
- yatiyochan
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>旧日本軍は細かな行動まですべてに大本営からの紙の命令書を必要としていたそうですが、 そんなことをしていては、戦争は出来ません。まず、大本営が発する命令というのは「細かい行動」ではなくて、おおきな作戦の骨格となる類です。それに沿って軍司令部が具体的な作戦を立てる、というのが基本でした。 従って、大本営の命令は海軍でいうと例えば連合艦隊司令部、陸軍でいうと南方軍総司令部など国内あるいは勢力圏内に位置するような高級司令部でしたから文書通達は充分可能でした。 >その紙をあのFAXのない時代にどうやって本部から前線まで届けていたのですか。 外洋にて行動する艦隊や敵軍に完全包囲されている守備隊へは「命令書」を届けることが出来るはずがありません。 ゆえに実際には命令は電報で発していました。例えば、先の大戦での開戦時、真珠湾攻撃に向かっていた日本海軍機動部隊に対して、連合艦隊が発した「作戦を決行せよ」という命令が「ニイタカヤマノボレ」という暗号電報であったことは有名です。 また、同じく北ビルマ(現ミャンマー)で、1944年(昭和19年)7月敵軍に包囲されていた日本陸軍のミイトキーナ守備隊(隊長:水上源蔵陸軍少将)に対して、上級である第33軍司令部は「水上少将はミイトキーナを死守すべし」と命令を暗号電報で発し、命令を受けた少将は軍に対し「軍命令謹んで受領す。守備隊は死力を尽くしてミイトキーナを確保す」と返電したのでした。 資料:戦史叢書「イラワジ会戦」防衛庁防衛研修所戦史室 69年 の47・48頁
- yakyutuku
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基地にいる部隊がどこかへ拠点を移すような行動は、命令書が必要です。敵がきたから応戦する、撤退するなどといった行動は、当然命令書は必要ありません。命令書は連絡将校(たいてい左官クラス)が、持参します。封筒に封入したものをあらかじめ(複数)用意し、無線によって封筒Aを開き作戦を開始せよなんていうやり方もあります。第二次大戦では陸攻や水偵が、連絡将校の移送に頻繁に飛び交っています。
- nktn0108
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暗号文を電報で打って現地で印刷したとか #2さんに文句があるわけではないですがモールス信号より狼煙のほうが遠くから見えませんか? 日本固有の伝達方式ですし
- maxmixmax
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モールス信号とかじゃないですかね。
- PENPENMAKKY
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世界中どこの軍隊でも命令書なしには動きません。 軍隊というのは序列があります。 大本営・参謀本部・軍区・方面軍・軍・師団・旅団・連隊・大隊・中隊・小隊・分隊・班・戦友 命令は、命令書を伝令(走る・単車・側車・自動車・馬)が輸送して届けます。これは現在でも変りません。 現在でもファックスでのやりとりはしません。偽ファックスだったりしたら大変なことになります。 作戦は全てが大本営裁可という訳でもありません。方面軍が作戦認可して上に報告するだけがほとんどです。 もう一つが急を要する場合で、独断専行という行動を起してから事後報告する方法です。