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秀吉の軍目付け
秀吉の九州征伐での「戸次川の合戦」では仙石秀久を軍目付けにして決断のまずさから敗北していますし、「高城の合戦」では勝利したものの軍目付け尾藤知定が黒田、小早川などの追撃の進言を無視し、決定的打撃を与えずに見過ごしています。 軍目付けに関しては人選ミスだと思うのですがどうなのでしょうか? 黒田、小早川の方が軍略において上だと思うのですが、なぜ軍目付けに選ばなかったのでしょうか?
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軍目付というのは戦闘を行う事なく敵情の視察や戦功の査察、参戦した武将の行動の監察といった役目を担う者です。 従って沈着冷静の比較的小身の武将が選ばれることが多いのです。 部下も戦場を駆け回って主人の目足となって情報を集めるだけで戦闘に参加する事はありません。 贔屓がないように出来るだけ縁故のない者をあてるなどの配慮はありました。 従って勝敗とは無関係といえます。 この為実際の戦闘の経験に乏しくても任じられた事もありました。 黒田、小早川は実戦部隊の将でありいかに有能であっても軍目付は役不足でしかありません。 この為軍目付と意見が対立する事は屡々で源義経と梶原景時の場合は有名です。 しかし実戦では軍目付の意見が優先されるので結果として例のようなケースも生じました。 結果的には人選ミスといえましょうがその評価は主君から別に下された筈です。
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- nene-k
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軍目付けは「軍監」とも呼ばれます。 先の回答者さんがおっしゃっている通り、誰がどんな戦い方をしたか?軍の規律は守られているか?を監視して報告する役で、戦い方を指揮する役職ではありませんから、デキル人物よりも、むしろ裏切り行為をしない実直な人物でないとならないでしょう。 戸次川の合戦においては、明らかに長宗我元親を(裏切らないかどうか)監視するための軍目付けだと思います。
お礼
軍監とはよく聞きますね。 確かに仙石秀久は秀吉子飼の一人であり、黒田は野望の点で、小早川は外様で今ひとつ信用に欠けたのかも知れません。 しかし人選ミスと指摘したのは「戸次川の合戦」で長曾我部、十河らの制止を聞かずに戸次川に入り渡河し、敗因を誘発した点ではやはり采配ミスであり、軽率であったのではないでしょうか。 回答ありがとうございます。
- yakyutuku
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軍目付けの一番の役割は自軍友軍の監視、つまり裏切り防止です。そういう意味では黒田を軍目付けにするなんて泥棒を警察にするようなものです。裏切りを起こさないであろう者でかつ、反乱を主導するような武力を持たないことが人選の第一です。えてしてこうした戦争に強くないものが遠征軍の大権を握ることが、反乱を防ぐ制度的根幹だったりするのが、人選を難しくするポイントです。これが源平の合戦のように勢力伯仲のなかでののるかそるかの大戦なら、軍事指揮能力が第一となるでしょうが、天下の覇権が定まった後の軍目付けとなると、無難な人選になるのもある意味当然かとおもいます。
お礼
やはり裏切りをするぐらい黒田は野望が大きいですね。関ヶ原の行動をみても「隙あらば」ですから。 尾藤も仙石も、「実力伯仲、天下分け目の大戦」ではないのでこれでよいのでしょう。ヘンな野望も無いですし。九州征伐はもとより勝負のついた戦いといっていいのですから。 >天下の覇権が定まった後の軍目付けとなると、無難な人選になるのもある意味当然< ごもっともな指摘です。 それにしても犠牲になった長曾我部信親は憐れですね。 回答ありがとうございました。
お礼
軍目付は上司で査定する側という一面もあることを知りました。比較的小身は理解できますが、沈着冷静度は?ですね。仙石秀久は四国征伐もあまりよろしくなかったのではないでしょうか(軍目付ではありませんが)。 人選ミスでしょうね。叱責されているので。 軍目付が戦闘を行うことはないとは以外でした。 回答ありがとうございました。