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第二次世界大戦前のシンガポール
歴史の勉強中、 シンガポールは英国にとってとても重要な植民地だったということを教わりました。しかし、英国にとってシンガポールはインドよりも遠く 小さな国です。何がそこまで当時英国が重要視する要素だったのでしょうか?
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シンガポールは、ジブラルタル海峡、スエズ運河と並び、海上交通の要衝であるマラッカ海峡を防衛する上で、絶好の位置にあるからです。海洋貿易国家である英国に取っては、最重要な拠点の一つでしょう。
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- jayoosan
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シンガポールは当時はシンガポールとしては独立しておらず、マラヤ(マレー)の一部でした。 日本の前に英国がいましたが、その前にもオランダとかポルトガルとかが大航海時代の中で、東へと(ヨーロッパからみれば東)探検し開拓していった時代だったということがあります。イギリスはその後やってきたわけです。 ちなみにポルトガルは、種子島への鉄砲伝来の話とは別に、こういった遠征の延長で日本にも来たことがあったようです。事前に商談をしていたのかも?(NHKでまとまった数の鉄砲の話の不思議がとりあげられていました)。 また日本はシンガポールを落とす前から、シンガポールに来ていました。 シンガポール人が残した戦前~戦中の体験談の本をよむと、まだマレー半島に日本兵が入る前から、日本から船が定期的に来て日本の物産品を下ろし、街中で取引されていたことが描かれていました。
- tanuki4u
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シンガポールの重要性が上がったのが19世紀後半です。 一つには、中国市場の拡大、一つには軍艦の蒸気船化です。 帆船であれば、エネルギー補給をせずとも、船員の食料さえあればどこまでも行けます。マゼランが南米の端からフィリピンまで行けたのも帆船だったからです http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Magellan-Map-En.png 蒸気船は石炭を補給する必要があります http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/tenji/center-baltic.html 上記がバルティック艦隊の航路 マゼランと比較して、寄港地が多いのがわかります。 いわゆる、薪炭地の確保が重要な戦略上のポイントになります。 幕末のペリー艦隊も太平洋を渡ってきたのではなく、大西洋~インド洋と渡って南からきています。また、小笠原や沖縄を調査いているのは、薪炭地の確保のためです。 http://www.ne.jp/asahi/iimaru/kumonoue/kohuzi/kohuzi.htm 1853頃 米国のペリーが父島に貯炭所をつくる 薪炭地の確保上、インドから香港の間にシンガポールが必要だったのです。無論、艦隊を置いておくためにも重要です。いちいちイギリス本土から艦隊を持ってくる来たのでは遅すぎますので。
お礼
そうかインド~香港はイギリスの大きな植民地ですものね。 すごくわかりやすかったです。ありがとうございます。
英国が、というか当時の東インド会社のラッフルズさんが開発するまでは 小さな漁村のような島だったそうですよ。 ちなみに日本が占領している間は昭南島と呼んでいました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
お礼
わざわざリンクまでありがとうございます。
- 6dou_rinne
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交通の要衝だったからです。 シンガポールを押さえておけば、敵?の船は外洋を通るしかありませんし、経済的な利益も多大にあります。
お礼
「交通の要衝」確かにそのとうりですね。ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 なるほど。小国ではあっても死守すべき場所だったのですね。