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仮定法を斬る
今まで仮定法に関する質問が何度かありましたが、疑問点を改め新たに質問させて頂きます。 私には高2の娘がおりますが、小学生のうちから英語を教えて、中学に入るまでに仮定法過去の構文まで覚えました。英語は今も得意です。しかし、仮定法の概念が参考書を読んでも腑に落ちないでおります。特に 仮定法が動詞の叙法を指しているのか構文を指しているのか釈然としないようです。また、仮定法現在は仮定の文でもないのに なぜ「仮定法」と呼ぶのかも疑問の思っております。娘が先生に聞いても納得の行く回答は得られず、参考書に書いてあるような説明しかしてもらえなかったそうです。 そこで、どなたか英語の得意な方、斬新な解釈を教えて頂ければ幸いです。
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- googoo1956
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>例えば「直説法」は「現実法」、「仮定法」は「仮想現実法」などのようなものはいかがでしょうか。 「直説法」は「事実法」の方が、そして「仮定法」は「仮想法」の方が良いかもしれません。(連続投稿ですみません。)
- googoo1956
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英国で発行されているある辞書によると、「仮定法」のもとの英語である「subjunctive mood」の意味は「a verb form or a set of verb forms in grammar, used in some languages to express doubt, wishes etc. 」と出ています。 ポイントは「to express doubt, wishes etc. 」の部分ですね。ご存知のように「仮定法」は次の3種類に分けられます。そして、それぞれの中にさらに細かい用法が含まれています。主なものだけまとめてみます。 1.仮定法現在 A.祈願文 B.不安を表すlest節 C.要求を表すthat節 2.仮定法過去 A.if節 B.I wishに続くthat節 C.as if節 D.It is timeに続く節 3.仮定法過去完了 A.if節 B.I wishに続くthat節 C.as if節 私の推測にしか過ぎませんが、英語が日本で使われ始めて文法としての知識が必要になり始めた時代において、「subjunctice mood」という英語を日本語に訳すときに、当時の学者の意識の中で上記の2と3の占める部分が大きかったのではないでしょうか。その結果「仮定」という言葉を使われ、その後その言葉が「subjunctive mood」の訳語として定着してしまったのでしょう。 その言葉の持つ語感に違和感を持つ後の学者の中には「直接(直説法)法」の代わりに「叙実法」、「仮定法」の代わりに「叙想法」という言葉を用いる者も出てきました。(1933年「英文央汎論」細江逸記) 確かに「叙実」は「事実を述べること」、「叙法」は「頭の中にある概念(希望、不安、仮定など)」という内容を示すと考えられますので当時としては良いネーミングだったのだろうと思います。しかし、現代の私たちにとっては、それらもあまりピンとくる語ではないように思います。 ここらで若い文法学者が新しい呼称を考えても良いのかもしれませんね。例えば「直説法」は「現実法」、「仮定法」は「仮想現実法」などのようなものはいかがでしょうか。
- round_st
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>I thought that he was a nicer boy. >この文で、he was a nicer boyは まさに事実をそのまま描写しているのではなく、言葉の中だけでものを言っていますが、仮定法にはなっていません。 基本通りです。 これは「過去のその時点での事実描写」として直説法過去の範疇です。すなわち I thoughtした過去の時点においては「he was」と本気で考えていた<描写内容が真実かどうかは別としても「本気でモノをいっている」と表現したのはそのためです。 ご自身文法に詳しい方とお見受けしますが、それが自らを混乱させているようにも伺えます。文法はルールではなく「話者の心理が言葉という影を落とした事例を統計的に整理したもの」であり一種の心理学のようにアプローチされると簡単に理解しやすくなるでしょう。
お礼
再度回答ありがとうございます。 あららら、こっちの方向に行きましたか。
- joshsan
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するどいお嬢さんですね。「仮定法」という名前を誰がつけたのか私は知りませんが、法と構文がごちゃまぜになっているのですから腑に落ちないのも当然ですわな。 インド・ヨーロッパ語族の言語(英語だけでなく)には、subjunctive mood(接続法)と conditional mood (条件法)と言うのがあります。 接続法では ・現在や過去の事実に反する仮定(例:「もし私が鳥だったら…」、「もし広島に原爆が落とされなかったら…」)を述べる。 条件法では ・現実性に乏しい仮定の帰結を述べる。 If I were a millionaire, I would buy this house. 前半の仮定の部分は接続法で、後半の帰結の部分は条件法です。 これらの法と関連して、構文として英語では4つのconditionals(条件文)を習います。 Zero conditional : We use this to discribe rules and scientific facts If you freeze water, it turns to the ice. →普遍的事実を述べる条件文 1st conditional : to talk about possible future event If he runs, he will get there in time. →仮定法現在という名前で教えられる条件文 2nd conditional : to talk about impossible or imagined event in future If I were you I would study for the university exam again. →仮定法過去という名前で教えられる条件文 3rd conditional : to talk about a condition in the past that did not happen. If I had gone to school I would have learnt how to read. →仮定法過去完了という名前で教えられる条件文 0条件から第3条件まで、日本語の名前と比べるとずいぶん単純ですね。 日本の仮定法というのは、これら接続法、条件法と4つの条件文を、きちんと区別せずに混ぜちゃって、独自につけた名前です。 >仮定法が動詞の除法を指しているのか、構文を指しているのか釈然としないようです。 上のような理由ですから、釈然としなくて当たり前。そんなことわからなくても英語は喋れるので気にしない、気にしない。 >また、仮定法現在は仮定の文でもないのに なぜ「仮定法」と呼ぶのかも疑問の思っております。 第1条件文と言う構文に、仮定法現在という名前をつけちゃったんだから、これはもう、つけた人になぜ?と聞いてみるしかありませんな。これも気にしない、気にしない。
お礼
回答ありがとうございます。 >するどいお嬢さんですね。「仮定法」という名前を誰がつけたのか私は知りませんが、法と構文がごちゃまぜになっているのですから腑に落ちないのも当然ですわな。 娘はフランス語も勉強していて、特にフランス語の接続法や条件法と英語の仮定法の関係に少し混乱しているようです。 >インド・ヨーロッパ語族の言語(英語だけでなく)には、subjunctive mood(接続法)と conditional mood (条件法)と言うのがあります。 揚げ足を取るようで申しわけございませんが、ロシア語には接続法とか条件法はありません。 >これらの法と関連して、構文として英語では4つのconditionals(条件文)を習います。 私の文法書では real hypothesisとかirreal hypotheisという解釈をしています。そして、would+動詞 は conditional moodと定義されています。 >日本の仮定法というのは、これら接続法、条件法と4つの条件文を、きちんと区別せずに混ぜちゃって、独自につけた名前です。 仮定法の由来を遡ると、元はと言えば オランダ語の文法用語らしいです。
- round_st
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「仮定」法という用語が、とかく誤解を招きやすいと思いますね。 まず「法」というのが何かといいますと、英語では「mood」なんです。つまり「ムード(気分、雰囲気)」のあれと同じです。そして文法で「法(mood)」というとき、その区別は「現実描写の気分、本気でものを言う気分」と「言葉の上だけでものを言う気分、想像の話としてものを言う気分」にわかれます。前者を「直説法(直=ストレートに、そのまま>説<ものを言う>法<気分>」、後者を「仮定法」といいます。 つまり「仮定法」とは「これは事実をそのまま描写しているんじゃないよ」、「言葉の中だけでものをいっているんだよ」という話者の気持ちが動詞や助動詞の姿に現れたものということなんです。 その「仮定法(想像のチャンネルの言葉)」にはさらに2つありまして、 1、「仮定法現在」=想像する内容に十分な現実性を感じている 2、「仮定法過去」=非現実的な内容を想像している とわかれます。ここで「現在、過去」という言葉が使われているのは現実の時制とは何の関係もなく、それぞれの法で用いられる動詞の形が「現在形、過去形と同じ(似ている)」というだけの意味です。特に「仮定法現在」というのは(主語に関係なく)「動詞の原形」を使うのが本来です。 1の「十分な現実味を感じている」仮定法とは、「そういうことがあっても別に不思議はないほどの確率と常識的に考えられる」場合であり、 If it rain(原形) tomorrow, I will stay home. (もし明日雨が降ったら、私は家にいる) >明日雨が降るということが「別にそうあっても不思議のないできごと」と思っている話者の心理が思わず「仮定法現在」を使わせ、その心理が「rain」という原形に現れたものです。 しかし現代英語では2つの理由によって「原形」の代用として「現在形」が用いられる傾向が強くなっています。その理由とは 1、itという主語を口にした限り「rains」とsをつけないと、なんかきもちが悪い(というネイティブの感性)。 2、仮定法現在では「動詞の原形」を使うと理屈では知っているが、「it rain」とやると「無教養な英語」だと思われはしないか不安。 それで If it rains tomorrow, .. と今の英語では言うようになったのです。これを文法的にいうなら「時、条件を表す副詞節では、未来のことを言うのに本来は仮定法現在を用いるが、現代英語<特に口語>では直説法現在で代用するようになっている」となります。 2、さて、もう1つの「非現実的な内容を想像している」場合の仮定法ですが、 (a) If I were a bird, I would fly to you. (b) Would you open the window, please? などに見られます。 (a) には「if<条件節>」とその条件をうけた「帰結節」があります。それらは独立して個別に「法」が適用されます。 「条件」については「まあ、そんなことはないだろうが」という気持ちや「実際は違うんだけど」という気持ちが込められたもの。 「本当は私は鳥じゃありませんが」という気持ちが「were」を使わせます。 「帰結節」というのは「ある条件のもとでなら」「ある条件が整った場合に限り」という含みを常に持ちます。その「条件」が(a)の文のように明示されていることもあれば、(b)のように書かれていない場合もあるのです。 (a)では「もし鳥なら」という「現実に反する条件」がまず設定され「そんな不可能がかりにかなうとしたら」の気持ちが後半の「would」となります。 (b)は「丁寧な表現」として習いますが、なぜ丁寧になるのかが仮定法の理解から納得されます。つまり「if節がそこになくても」話者の気持ちに「なんらかの実現困難な条件」を感じるのです。たとえば「こんなお願いをしても無理かも知れないが、もし可能なら」>「だめでも私はあきらめますが」>「あなたの気持ちや都合が最優先ですが、もしよかったら」という気持ちが「Would..」ににじみ出ていると聞き手は感じ、そこから「遠慮、婉曲、丁寧」な響きを受けるわけです。 文字数制限のため徹底的にお話しできず残念ですが、上記から理解のヒントをつかんでいただければと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 動詞には「法」がありますが、そもそも学校ではあまり教えないですよね。一番基本的なのは直接法ですが、仮定法の単元が出てくるまで「直接法」とは何かについて言及されませんね。次によく使われるのは 「命令法」ですが、これは「命令形」という呼ばれるだけですね。そして次に重要なのは不定法ですが、これは原型とかto不定詞の範疇として扱われ、特にto不定詞に関しては名詞的用法なのか形容詞的用法なのかの詮索ばかりしています。 >つまり「仮定法」とは「これは事実をそのまま描写しているんじゃないよ」、「言葉の中だけでものをいっているんだよ」という話者の気持ちが動詞や助動詞の姿に現れたものということなんです。 折角ですが、これは参考書に書いてあることであり、これが誤解の元ですね。例えば次の文です。 I thought that he was a nicer boy. この文で、he was a nicer boyは まさに事実をそのまま描写しているのではなく、言葉の中だけでものを言っていますが、仮定法にはなっていません。
- klutz
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myrtille55さんが http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3520400.html で回答されていた We decided to postpone the trip abroad until our finances were in better shape. が、なぜ仮定法なのか何度も考えてみたのですが分かりません。 もし仮定法なら、仮定の話なので (1)「もうお金が貯まってどこか旅行をすませている」 という結果より、旅行はまだと考える方が自然な気がしますが、myrtille55さんのが「仮定法な上に(1)という意味です」と回答されてたので、何がなんだか分からなくなってます。 本当に仮定法なんでしょうか? あまり質問と関係ないかもしれませんが、ご回答していただけるとありがたいです。
お礼
これは「私たち」が旅行を延期した時点では、まだお金が貯まっていない状態ですよね。つまり未然性を表していると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >ここらで若い文法学者が新しい呼称を考えても良いのかもしれませんね。 その必要はないと思います。ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語など日本人にも第2外国語として認知度の高い西洋の言語では 接続法という呼び方が使われていて、いくら英語が日本では別格的な地位にあるからといって、それでは、西洋の言語の代表として ???と思いますので、接続法と呼んだ方がいいかもしれません。他に西洋の言語ではオランダ語も「仮定法」という用語を用いますが、こちらはかなりマイナーですし。