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新古典派の主張
新古典派の主張って、アダム・スミス以来の 伝統的な経済学の主張とどう違うのでしょうか? また、新古典派の論者は、1930年代のアメリカ・ニューディール政策をどう見ているのでしょうか? 「無意味な政策だよ。失策といっていい。」 「やってもやらなくても復興していたさ。その後の戦争でね。」 「ケインズ的政策はあの当時だから、意味があったのだ。今とは状況が違う。 (今は我々が正しい。)」 思いつく意見はこのぐらいですが・・・?
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>新古典派の主張って、アダム・スミス以来の >伝統的な経済学の主張とどう違うのでしょうか? アダム・スミスが考えたような『神の見えざる手』という概念は、 どちらかというと新古典派の主張に近いものがあります。 ですから、amarudaさんの書いた >間違いではないでしょうが。。。 というのは誤りといえるかもしれません。 それでは新古典派とケインズ経済学の違いとは何かというと、決定 的な点は需給の不均衡が存在するときに価格が瞬時にそれを調整し て均衡状態に戻してくれるか否かという点です。 新古典派の議論の前提は瞬間的な価格調整メカニズムですから、た とえ金融恐慌で失業者が街に溢れていてもすぐに賃金が下がったり して完全雇用が回復すると考えます。 まさに >やってもやらなくても復興していたさ。 という主張が妥当します。 しかも、 >その後の戦争でね ではなく、自然と経済は回復してしまう(はずだったの)です。 一方、ケインズ経済学の前提は価格の調整速度が遅いため、たとえ 失業者がたくさんいても完全雇用が達成されるほど賃金は下がらな いため、財政支出をはじめとする経済政策が必要とされるのです。 >ケインズ的政策はあの当時だから、意味があったのだ。今とは状 >況が違う。(今は我々が正しい。)」 のは、ケインズ経済学のモデルに原因のひとつを求めることができます。 たとえば、最近は金融政策の効果が弱まっていると言われていますが、 ケインズ経済学のモデルの中で扱っている金融資産は貨幣と債券のみで あり、今の時代には適合しません。 代替的な資産が乏しかった当時の経済状況にはあっていたのでしょうけど。
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新古典派=マネタリストですかぁ・・。間違いではないでしょうが、やはり教科書では区別されてるようですね。私もマネタリストとケイジアンの主張の違いはあまり学生時代勉強してなかったので正直少ししか分かっていません。 マネタリストはケインズ的な量的経済政策は信頼性に欠けるとして、それらの現象をフィップス曲線や新貨幣数量説などを用いて説明しています。私がよく覚えているのは貨幣供給量を一定に保つx%ルールで、こういった情況下でのみ経済は安定化するというわけです。例えばこの説を用いて推測すると、「過去のニューディール政策が行われた頃はいろんな諸条件も重なって貨幣供給量が一定であった。だから量的経済政策も成功した」こんな風に思ってるんじゃァないでしょうか?まったくの推論ですから参考にすらならなかったかもしれません。申し訳ないです・・。
新古典派で代表的なのは、限界効用理論と均等理論です。限界効用理論はメンガーや、ジェボンズ。均等理論はワルラス、マーシャルが有名です。どちらも経済学だったら習うでしょうが、それ以上に有名なのはケインズです。 ケインズの考え方はケインズ経済学というように他の理論と区別している本もありますが、ケインズを新古典派の一人として書いている本もあります。そもそも、ケインズ経済学のケンブリッジ学派は古典派の伝統を継承・発展させた意味をこめて新古典派と呼ばれる場合もあります。ケインズ自身、「古典派はダメだ」と言っていたのではなくて「古典派の悪い部分は修正すべきだ」と主張していたのだと私は思います。ケインズがダメだと言ったのは古典派の価格の自動調節により雇用の需給が一致することに対してだったのです。ケインズ自身は教科書で新古典派とされているマーシャルやピグーを古典派と呼んでいたようですし、要するにケインズと古典派、新古典派の理論は大方のところでは一致しているのですが、「雇用、価格、利子率」などの点で修正すべき点があるとケインズは思ったのだと私は解釈しています。 古典派も新古典派も政府は市場に関与しないという部分では一致していますが、新古典派の方が若干政府関与を取り入れ始めている「感」もあります。よって新古典派はニューディール政策を完全に否定しないものの、やや否定気味といったところではないでしょうか。 ケインズの理論の実践によるニューディール政策を失策だったのではないか、と思ったのはむしろマネタリストの方だと思います。
補足
ご回答ありがとうございます。 すみません、マネタリスト(合理的期待形成派も含む)=新古典派だと思っていたのですが、違うのでしょうか? もしも、違うというのであれば、お手数ですが 質問の「新古典派」を「マネタリスト(合理的期待形成派も含む)」で読み替えてください。 よろしくお願いします。
補足
ご回答ありがとうございます。 ということは、新古典派の理論は、 「神の見えざる手」を労働市場まで拡張したものという理解でよいのでしょうか?