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異界に入ったときのタブー
宗教や民俗学の事項かな、とも思いました。 異界にもいろいろあるかと存じますが、あらゆる世界、あらゆる意識の世界(での or という)を頭において下さい。 お眼にふれたお話としては、説話、お伽、或は伝説などにもなると思いますが、新たにお考えになられたことでも、或はお考えになられているお話でも結構であります。 上田(雨月など)、聊斎志異、旧約聖書などにも、わが国の伝説、説話、お伽、東西のお話なども有るかと存じます。読みかじりで、探しきれないものですから、どうかお教えください。 仙界でも、桃源郷でも、黄泉でも、或は「夢翁の鯉(雨月)」などのような動物などの世界に、ひょいとして入ってしまった。 或は訪問が出来た。連れて行かれた。ということで、異界に入るお話は古今東西にたくさんあります。 仮想だ、架空だ、創作だ、夢だ、或は錯覚だ。ということもありましょう。 それらの全ての場合を含めて、 1. どんなお話をご存知でしょうか?どうかお教え下さい。 ご紹介ください。 2. 私の聞き及び、知る限りでも異界でのタブーも多々あります。 ○異界の水を飲んだら、異界の存在体になってしまい、 異界から出られなくなる。 ○異界のもの、何かに触れたりしてはいけない。 異界の力が働いて、異界から出られなくなる。 ○何かをしてはいけない(振り返って塩になった話。 何かをして、像になった話)。異界から出られなくなる。 などのお話を聞いた事がありますが、実はどこにそんな話が あったのか、判らなくなっております。 3. そういう○で事項を立てたことを含めて(重複しても結構 ですので)、こんなお話がある。それはこんなところにある。 その異界でのタブーになこんなのがあり、 それを犯すとこんなことになる。 (特に異界から出られなくなる。異界の存在体や物品になる) というものについてお教え、ご紹介下さい。 4. もし出来ましたら、その呪縛の解き方とか、 解いた仕方・行為などについても。
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異界といえばなんといってもギリシャ神話に出てくるオルフェオとエウリディスの物語でしょうね。 太陽神アポロンの息子オルフェオは美しい妻エウリディス(エウリディーチェ)と幸せな日々を送っていたが、エウリディスはある日毒蛇にかまれて死んでしまう。悲しみにくれたオルフェオは妻を取り戻しに黄泉の国へ下りて行く。 冥界の神はオルフェオに、黄泉の国を出るまでは後ろを歩く妻を決して振り返って見てはならないという約束の下でエウリディスを返すことを約束する。だがしかし、もう少しでこの世に戻るというところでオルフェオは嬉しさのあまりつい後ろを振り返ってしまう。たちまちエウリディスは黄泉の国に引き戻され、もう二度と会うことも叶わなかった。 例としてお取り上げになっている「振り返って塩になった話」といえば、聖書のロト記でしょう。ですが、この話は異界のタブーというより、ソドムとゴモラという2つの都市に落とされた原爆の惨状を綴った、あるいは実際にあったことのひとつの貴重な記録ではないかとさえ、わたくしは感じています。 退廃のきわみを見せていたソドムとゴモラ、神は粛清のためにこの2つの街を焼き払おうと計画します。しかし、正直者のロトだけにはその前に、「明日ソドムとゴモラは滅ぶ。急いで逃げよ。逃げる途中決して後ろを振り返ってはならない」と忠告してくれます。半信半疑ながらロトの一族は忠告に従って山に向いますが、その直後、ソドムとゴモラは硫黄の炎によって滅ぼされます。その際、彼らの背後で起こった激しい閃光に、つい、ロトの妻が振り返ってしまい、そのまま塩になってしまいます。街ではヤケドを負った者たちが道路に溢れ、馬の毛は白く変色し、兵士たちは競って川に飛び込み、身体についたものを洗い流そうとします。 わたくしはこの記述を読むたびに、広島、長崎のあの惨状とイメージを重ねてしまうことを禁じえません。
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- cyototu
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現在の我々は科学の威力をまざまざと見せつけられて、科学的でない物の見方に「伝説、説話、お伽、そして仮想だ、架空だ、創作だ、夢だ、或は錯覚だ」と考えるように洗脳されておりますが、そう言う威力をほとんど経験していなかった人がいた場合、昔の人みならず、現在の人でも異界について本気で考えることは「まとも」な行為だと思います。 岩波文庫に江戸時代の平田篤胤が書いた本の幾つかが出ています。そこでは異界について「まじめな」な紹介や考察がなされています。 岩波文庫ではなかったですが、新井白石にも「鬼神論」というまじめな異界の論考があります。
お礼
早速にご紹介の図書にお会いしてみたいと存じます。 有難う御座いました。
補足
有難う御座います。私もこの、西洋の近代物象科学の中で教育され、成長し、生活しておりまして、その成果をまざまざと経験し、否定もするものではありません。自分の今の関心の信仰や異界のことなども、そういう合理性と乖離していいとも思っていません。 古代をはじめ、先人の本当の感情や気持ちは、伝わる文章では中々共有しにくいのですが、先人には先人の生活感情と合理性があったと存じます。 物象科学は一定の仕方で見え、経験し、確認できる起点からその終点までの範囲を所管するというものでしょう。 もちろんその起点の前や、終点の向こうを科学の次元や、ことばで指し示すことは難しいでしょう。納得はしてもらえないけれど、あえてそれ以前とそれ以後というものは、科学や通常意識が否定しきったままでいいのだとはいえないと存じております。 存在するということの意味が、まったく同じではないと存じます。 そんな気持ちで、生活し、関わり、そして質問でお教えを乞うています。どうかよろしくお願いします。有難う御座いました。
- mapato
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こんにちは。 「異界(特に冥界)のものを口にしてはいけない」というのは結構ありますよね。 記紀の世界では黄泉の国へやってきたイザナギに対しイザナミは「こちらのものをもう口にしてしまったので戻れない」と言っていますし、ギリシャ神話でハデスによって冥界に誘拐されたペルセポネも同じようなことを言っています。 思うにそちらのものを口にしてしまうと「こちらで生活する」ということが約束されてしまうと言いますか、完全にその世界の住人になってしまうということなのでしょうね。 異界から逃れる際に「振り向いてはならない」と言われることも色々な話が伝えるところですが、振り向くという行為が「異界への未練」と捉えられ、僅かでも「迷い」がある場合には異界から脱することは叶わないということなのだと思います。 それだけ強い意志の力を持ってしないと再度取り込まれてしまうということでもあるのでしょう。
お礼
本当に素晴しい、私が漠然と感じていたことを明確にお示しくださり、感謝に堪えません。 有難う御座います。
補足
私は今、お早う御座いますです。孔子もたくさんの区切り目の一つとしている、古来希れな馬齢。思い立って二十年になりますが、二時か三時に起床して、拙く志していますので。門外の禅でも、未練を断ち、心身を脱落とかいい、この世のものは、思い出のしみこんだ記憶も持っては出て行かれないのでしょうね。脳の天辺の小さな所に、基本の理念を持って出るしかないのでしょうね。 どこで読んだだかや典拠も、不明のままで、そのことが一番困っている事なのですが、異界や冥界のことは何か打ち合わせをしたように似ているとか、共通点がある見たいい感じています。それを確認したいということが、ここでお教えを乞うている動機と目的でもあるのです。 ご回答で十分でして、なお勉強する必要がでてくれば、挙げていただいたお話を検索できます。有難う御座います。 また、追加のことがありましたら、どうかお教えを下さい。 ただもう、自分の確認のためしか活用できないのが申し訳ないのですが。
お礼
早速に素晴しいお話を賜り感謝に堪えません。 有難う御座います。
補足
聖書というのは、一見荒唐無稽の話に見えて、すごいことを伝えているものですね。 そしていろんな伝説、説話も。 振り替えるという行為には、何かの意味があるのでしょうか。 現在の自分(達)も、振り返るということに何か特別の気持ちが伴うものがあるのですが。 私自身、この今の、皆様方とのこの生活というか意識というか、今はとても安穏であり、のどかなものだと思いますが、とても異界のような気が、小児というより、幼児のときからしておりまして、異界とそのタブー、出入りについて、自分性ということで関心を集中している次第なのです。 振り返るというのが、どうもキー事項の感じもしています。 再度のお教えがいただけますと幸甚です。 この問題は、長いあいだに亘りまして、全く自分の生活、人生を考えることであるわけです。