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共感願望が希薄
身近な人大切な人が喜んでも悲しんでも、「本心」は何も感じません。 また親愛の情を示されても正直戸惑います。疑ってさえしまいますし、その後一定の距離を取ろうとします。 こんな偏屈な僕に対して、沢山の人が近づき去っていきました。 僕にとって他人やそれらの感情は、わずらわしく面倒な存在です。 一方で本当は他人と「心から」共感したいのですが、無理でしょうか。精神障害でしょうか。
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ひとを愛することができないーーーマイナスのナルシスの告白 http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%92%E6%84%9B%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%95%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%91%8A%E7%99%BD-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-35-5-%E4%B8%AD%E5%B3%B6-%E7%BE%A9%E9%81%93/dp/4043496052 この人は人から共感されるたり、愛されたりするとゾッとしてしまうらしいです。贈り物をされると激怒するそうです。 また彼はそのようなある意味 特殊な、愛や共感に対する感受性に苦しんでいて、その原因を複雑な家庭環境などに探りを入れて追跡しおり、愛を愛することができない自分自身と共に生きる道についても書いてあって、質問者さんに面白いと思うので、お勧めです。印象的な一冊です。 自分自身のパーソナリティーを知りたいとき、精神障害かを疑ったり心理学的に分析するのはいいと思うのですが、似た事例の人を研究していくのが結構いいと、私は思います。 その中で、自分で自分の事例を組み立ててみて、観察してみたらいいと思います。
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#4です >自分のキャラ・こだわりを崩せないんですね。凄く器が小さいなと思うのですがね 誰にも触らず触られず。 だれでもそうゆう時期はあると思いますし、それだけ自分に一生懸命ということだと思います。でもそういったこだわりとかいうか質問者さんの特質を上手く生かせば、実はあとになって質問者さんを助けてくれるというか生かしてくれる時期がくると思います。今は共感とかできなくていいと思います。いつか何年か後にでも質問者さんなりの共感が見つかればそれこそ安っぽくない誠実な共感なんじゃないでしょうか。 >やっぱり自分を変えたいですね。 どんよりした雰囲気から、あらゆる煩悩から開放させたい 現実的な動きにかかわるようにするか、発散できる表現をみつけることかなァ?
お礼
二度もご回答下さりとても有難いです。 今後、現実的な動きにかかわっていこうと思います
人と人がコミュニケーションをとる意味がわからないってことはないですよね? まー共感したいなら、共感してるいる人のマネをするとか共感しているフリをするのが一番だと思います。 女性が共感能力高いので、女性を観察するといいのかも。 精神障害ではないかと思っているみたいですが、こういうこと思っている人はいっぱいいます。マネ一番です!
お礼
女性同士の会話は、まさに異性人のようにさえ思えます。 共感が前提で会話しているのが摩訶不思議。 僕は、強い心と正しい判断を認められたい、と常々思っているので、安易な共感(お情け)に苛立ちを覚えることもあります やはり他人からみると、僕は偏屈な奴です ご回答ありがとうございました
- noname002
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御質問で仰っているような思いを抱えている人は案外多いんじゃないだろうかと思います。 質問者様の場合も、ある意味、「潔癖」なんでしょう。 ヒトに限らないでしょうが生きてる者は皆、基本的に自分中心です。自分の存在に直接影響をもたらすことに関してのみ、一番関心を持つものです。ですから自分の存在に直接の影響をもたらすかどうかの判断で一喜一憂の度合いも変わってきます。それが基本だと思います。 質問者様は、その点において、冷静なタイプでもいらっしゃるんでしょう。だからこそ御自分自身の内面について、このようにクールに見つめることができるので、精神障害などではないと思いますよ。 冷静な自己分析ができない人は、そもそも自分の内面をシッカリ見つめるということ自体できないはずです。それは一つには、「怯え」があるからなんでしょうが。 年齢的に若い人であれば尚更のことですが、自分以外の人の喜怒哀楽に対する深い共感は、これは普通、人生経験の多寡や深みにも左右されます。 人間は自分自身が苦しい辛いめに遭って初めて、他人のそれに対しても幾ばくかの共感や的を射た想像力が働くようになるものです。だから「苦労知らずはダメだ」って、よく言われますね。 尤も、自分の身を守ることに大変な困難を感じてしまっている、それでいて自分の存在存続に強大な執着心を持っているタイプの人だと、その人にとっての重い苦労が、かえって性根を歪めてしまうこともあるようですが。これは、その人なりの悲しい限界でしょう。 それから >親愛の情を示されても正直戸惑います。疑ってさえしまいますし、その後一定の距離を取ろうとします。 これも若いうちほど、或いは人間関係で深い傷を受けたと本人が感じている場合に多いようですが、つまりは「恐れている」からですね、傷つくことを。 そして相手から与えられた親愛の情というものに対して自分が十全に応えきれないのではないかという「自信のなさ」。 こうしたことは、たとえば養育者が恩着せがましいタイプの性格であったとか、自分自身が「見返りを要求せずにいられない」タイプかということも絡んでいるかもしれません。 自分の身を、できれば事前に守ろうとするのは学習行動の結果でもあるでしょうし生物として当然のことですが、それが行き過ぎると殊に人間の場合は、かえって傷つく結果をもたらしてしまう。皮肉なことです。恐れるあまりの「小心」が招いているのでしょう。これでは本当に身を守ることに繋がっていないことになる。 そう言う私自身、どちらかと言えば他人や他人のもたらしてくる感情が煩わしいというか、いわゆる暑苦しい人とか(小心が裏返しになったゆえの)支配欲が強い人は苦手です。 ですが、傷つくことを極端に恐れると結局、こうしたタイプの人に、ある面で自分も仲間入りすることになってしまいます。 >偏屈な僕に対して、沢山の人が近づき去っていきました。 我が身を守ろうとして、かえって、そのたびに傷を受け、その受けた傷を今度また他人にも与えてしまう、そういうやりかたで「他者を巻き込んで」しまっている、その繰り返しではありませんでしたか?「傷のやり取りをする」それは、これまで貴方なりの他者との関わりかただったのでしょう。 >本当は他人と「心から」共感したいのです このように仰っていらっしゃるので、質問者様の場合も「傷つくことへの恐れ」と100%か0か、というほどに極端なまでの、ある種「潔癖さ」が底にあるのではないでしょうか? これからも、いろいろと御自身が苦しい辛い思いをするという体験を積むことで、同様な立場にある人の気持が想像できるようになると共に、自分自身が現実そうであるように、決してスパッと割り切れるような明快な心理のもとに行動できているわけでない複雑な人間の一人なのだという自覚のもと、「完全」を求めるのでなく、あやふやな部分も許して抱え持てるようになる柔軟性を養われることで、ラクになられると思います。 また世間に出て敵の多さを実感するようなことがあると、自分に対して「親愛の情」を向けてくれる人の有り難さが身に沁みます。相手が「見返りを求めない」なら尚更です。 そういう相手だからこそ、至らない、応えきれない自分であることを済まなく思い、せめて誠実一途であろうと思うのですね。
お礼
精神障害・・・なのか未発達なのかでしょうね 「自信のなさ」・・・自分に自信がない、情けない自分、自分を許せない、そんな感情があります。それゆえ、そんな僕に近づいてくるなよ、という傲慢な苛立ちがあります 「他者を巻き込んで」・・・積極的に傷つけたことはありませんが、喜怒哀楽を見せない返さないという消極的な方法で、多くの良き人たちを傷つけてきたはずです 「完全」を求めるのでなく、あやふやな部分も許して抱え持てるようになる柔軟性を養われることで、ラクになられると思います・・・この柔軟性が遠い課題です。 僕は頑固で白黒つけたいタイプですから いろいろ本当に勉強になりました。ご回答ありがとうございました
- llamas
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友人には言えませんが、私もそういう共感はありません。 でも何かを一緒に楽しむ、ということは好きなので うまいことやっています。 示された親愛の情が嘘だとしても、 極端でなければ距離を縮めて決して損なことはないので、 試しに関係を続けてみてください。 その付き合いの中で心からの共感というものがわかるかもしれません。
お礼
また共感探しに出かけてみます ご回答ありがとうございました
お礼
共感されるたり、愛されたり、贈り物をもらったりすると、嬉しい気持ちはありますが、いつもほとんど無表情で受け取ってしまいます。 自分のキャラ・こだわりを崩せないんですね。凄く器が小さいなと思うのですがね やっぱり自分を変えたいですね。 どんよりした雰囲気から、あらゆる煩悩から開放させたい ご回答ありがとうございました