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三四郎(夏目漱石)について
こんばんは。 三四郎を読み終わりました。私は美禰子はきっと野々宮を好いている のだろうと思っていました。が、ネットでいろいろ見ると、美禰子が 好いていたのは三四郎だと思う、という意見が圧倒的でした。 ・・・どっからそんな風に思えるのでしょうか? すいません、よろしくお願いします。
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美禰子が「好いていた」という表現でいいのかどうか......、美禰子は野々宮にも三四郎にも「興味を抱いていた」のではないかと思うからです。 美禰子は、周りの男性には誰にでも自分をアピールしています。野々宮にも三四郎にも、いえ、廣田にも與次郎にさえ。 美禰子は当時の時代の大半の女性とは大きく違います。裕福な家庭に育った娘であり、美貌であり、知的であり、実際に当時ではエリート層と見なされていた帝大の学生にも伍して余りあるほどの教養を身につけています。「Man is akin to love」と綺麗な発音で口ずさむぐらいの......。ですから、つまり自分に自信があります。 そんな 美禰子ですから、男性が自分に対して憧れの念を抱くことを期待します。相手がそこのところに気がつかないなら、進んで視線を自分に振り向けようとします。「これは椎」などと。 野々宮は学究、つまり知的レベルが高い科学者(野々宮=あの寺田寅彦なんですけれどね)ですから、美禰子もそれなりの態度で接しますし、モデルとして絵に描き移す画家の原口には計算された女の面を見せようとします。そんな美禰子ですが、こと三四郎に対しては一段高いところから、姉のような態度で接しています。「これ、全部お使いなさい」と貯金通帳を手渡すなどもそのひとつでしょう。 あの時代にあって、こんな美禰子ですから、今で言えばスッ飛んだ女性....、廣田に言わせれば「乱暴な女」ということになってしまうけれど、一歩控えて男性に従属することなく、互角に渡り合って、羽根を精一杯広げて、伸び伸びと自由奔放に生きる新時代の女性像、それが美禰子............ .......と言いたいのだけれど、実はそんな美禰子もやはりある面では旧弊で保守的なものを持つ女性。好ましい男性たちに囲まれ、知性を誇り、ウブな三四郎には媚びを見せてまでして心を引寄せ、何人もの男性たちの憧れの視線の中心に生きていながら、それでいて、誰ひとり、一歩進み出て心のままに芯から好意を寄せることができない。 イプセンの戯曲「人形の家」のノラをはじめヨーロッパの文学の中に登場する女性たちのように、自由奔放に自分の人生を見つめ、思うままに愛を育む......そこまでは出来得ない美禰子、そして結局は平凡な生活を求めてごく平凡な銀行家との結婚を決意してしまう。 美禰子はいったい誰が一番好きだったのか......、それは美禰子にも分らなかったのではないでしょうか。だからこそ美禰子自身がある時ふとつぶやいたように「ストレイシープ(迷える仔羊)」だったのでは......。 「三四郎」は何度か読みましたが、今ここにこの一冊があるわけでもないので、細かいところで正確かどうかは自信がありません。 しかし、こんな、女性なら誰もが持っている驕慢さを見事に掘り出しながら、それでいて、明治という時代の中で奔放さと保守性のそのはざまで揺れる女性の心理も.....と、こうしてひとりの新しくて旧弊な日本女性の像を浮き彫りにした....男性の....漱石、その点では諸外国の文学を上回るシチュエーションの奥行きを感じさせてくれる「三四郎」、名作だと思います。
お礼
何度も何度もお返事読みました。私は“ただ読んでいた”だけで、 そこまで掘り下げて読んではいなかったのですね。 >明治という時代の中で奔放さと保守性のそのはざまで揺れる女性の心理 なるほど、そう言われればそう解釈も出来るのでしょうね。 美禰子自身がストレイシープだったのかも、というのも非常に 興味深いです。 また時間が経ったら再読したいと思います。 ありがとうございました。