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ルワンダ ジェノサイドについての質問 アフリカ
ゼミで、90年代に起こったルワンダのジェノサイドについて調べているのですが、情報が少なく困っています。いくつか解らないことがあるので、どなたか助けてください。 (1)私が調べたところでは、フランスがルワンダ政府に非公式に武器を 渡していたとありましたが、この行為は国際法的には問題ないのでし ょうか? (2)フランスが行ったターコイズ(トルコ石)作戦について詳しく教えて ください。 私が読んだ本で、フランスは虐殺の加害者である、フツ族犯罪者を ルワンダから国外に逃がしたと書いてありました。この行為を罰する 条文などはありますか? (3)当時のルワンダ政府自身がツチ族の虐殺を助長していたようです が、 現在の政府は以前の政府とは全く違うものなのですか? (4)この当時、国際社会は何故何の対応もとらなかったのですか? AU(アフリカ連合)は当時どのような対応をとったのですか? 長くなりましたが、部分的でも結構ですので教えてください。 お願いします。
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- DieMeute
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NO.2です。補足の質問があったようなので・・・ はっきりとは言えませんが、ターコイズ作戦で派遣されたフランス軍部隊には、その義務はなかったと思います。任務はあくまで難民保護を目的として派遣されていましたし、国連もその為に作戦を承認したので。 そもそもルワンダの虐殺を調査する為に、国連が「ルワンダにおける国際人道法の深刻な違反の調査及び分析の為の専門委員会」を設置する事を決定したのは7月になってからであり、ターコイズ作戦の開始後であり、フランス軍が派遣された後です。 虐殺が行われた事はわかっていても、全ての詳細がわかっていた訳ではありませんでした。しかも、政府軍とFPRの戦闘が続いていました。さらには先の回答でも述べましたが、膨大な数の難民が出ていたのです。そのような状況の中で虐殺犯を特定し逮捕する事など、2500人しかいないフランス軍には、まず無理と言ってよいでしょう。 虐殺犯に対し、逮捕や裁判が行われるようになったのは、FRPが勝利し新たな政府が成立した後です。国内で逮捕した容疑者は国内の裁判で裁きました。国外に逃亡した虐殺犯に対しては、ルワンダ政府は国際法廷の開設を国連に要請します。これを受けて、国連は「ルワンダ国際刑事法廷」の設立を1994年11月に決定します。 そして翌年の2月に国連は加盟国に対し、自国領内にいるルワンダの虐殺の容疑者の逮捕、拘留、引渡しを要請します。 そして、ルワンダの前首相や大臣や軍人達など多くの容疑者が「ルワンダ国際刑事法廷」に引き渡され、裁判を受ける事になったのです。 容疑者の多くは近隣のアフリカ諸国で逮捕されましたが、中にはイギリス、ベルギー、フランスで逮捕された者もいます。
- DieMeute
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(1)5月17日に国連で武器禁輸措置が決まっていますので、それ以降、武器を渡していれば、違反になると思います。 しかし、違反を問うには確固たる証拠が必要になります。以前、アンゴラで武器禁輸措置を破っていると、ロシア、ウクライナ、中国が指摘されましたが、これらの国は国連監視団が指摘した兵器は、生産した事も輸出した事もないと反論し、国連も追及しきれませんでした。 (2)ターコイズ作戦でのフランス軍の任務は、難民を安全な地域に誘導し、武装勢力の略奪、暴行を阻止し、国連の「第二次ルワンダ支援団」が来るまでの間、難民の安全を図るものでした。 6月22日から2ヶ月間にわたった作戦でフランス軍が展開した兵力は、6個歩兵中隊(3個中隊は外人部隊)、特殊作戦コマンド、迫撃砲1個中隊、陸軍航空分遣隊1個からなる2500名の兵力です。 フランス軍はルワンダ南西部、キヴ湖の東岸キブエから、ブルンジ、ザイールの2ヶ国までの周辺を難民保護地域として確立します。 フランス軍は海兵隊と外人部隊で編成されており、海兵隊が難民保護地域の東側で、進攻してくるFPR(ルワンダ愛国戦線)を阻止し、外人部隊が難民保護地域内の西部で治安維持にあたっています。 兵力の展開状況としては、フランス軍全体の作戦司令部はゴマに置かれ、海兵隊北部司令部がキブエに置かれ、海兵隊南部司令部がギコンゴロに設けられました。海兵1個中隊がゴマ近辺に置かれ、ギコンゴロに海兵1個中隊、その北西に迫撃砲中隊、さらに北に海兵1個中隊が配置されました。 外人部隊の3個中隊は、難民保護地域の西部、ザイール寄りの地域に展開し、シャンググに司令部を設置しています。 海兵隊は進攻してきたFPR(ルワンダ愛国戦線)と戦闘になり、これを撃退しています。 外人部隊は保護地域での難民キャンプの治安維持・安全確保に奔走しました。また医療活動もしており、ゴマとシャンググに設置された病院ではフランス人医師が難民に対し外科手術を691件行い、負傷を手当てした数は7万5千人にもなりました。 この地域に流入した難民は100万人を超えました。虐殺から逃れて来た難民の中には自衛の為に武器を持っている者がいました。また虐殺を行った民兵や政府軍兵士も、FPRに敗北し難民となって逃れてきており、これも武器を所持していました。その為、外人部隊はこれらの武器を押収しています。しかし、数百人で100万人を完全に管理できる筈もなく、武装解除は完璧とはいかなかったようです。 しかし、フランス軍により、一応の安全が確保された為、これにより国際人道援助が可能になりました。 しかし、あまりに難民の数が多すぎました。国連難民高等弁務官事務所は7月22日に、100万人以上いる難民を援助しきれないと悲鳴をあげています。またこの他に、ザイールに逃れた難民が170万人、ブルンジに逃れた難民が110万人、タンザニアに逃れた難民が40万人に達しているとの発表がありました。 2004年7月にルワンダで開催された追悼式典で、カガメ大統領は「ターコイズ作戦でフランス人は犠牲者を保護するのではなく、殺人者を救助しようとした」と発言していますが、フランス政府はこれを「事実に反する」と批判しています。 難民の中に、虐殺を行った者達がいた事は事実であり、他国へ逃れた者がいた事も事実です。しかし、膨大な難民の人数を考えれば、2500人のフランス軍部隊に何ができたでしょう。膨大な数の難民の中から、虐殺を行った者達を見分け、適当な処置をとるのは難しかったのではないかと思います。指名手配の顔写真がある訳でもないのですから。 そもそも、現政府が内戦後に逮捕した虐殺犯は10万人を超えています。 それだけ虐殺を行った者が多かったのです。一国の力ならともかく、一部隊には荷が重い案件でしょう。 (3)虐殺を行った政府はFPR(ルワンダ愛国戦線)に倒されました。そして現在の政府ができました。現在の大統領のカガメ氏はFPRで部隊を率いて戦っていた人です。 (4)当時、ルワンダには「国連ルワンダ支援団」の2500の兵力がおり、この部隊は政府とFPRの停戦を監視していました。また、政府とFPRの合意によりツチ族から5人が政権に入閣する事になっており、「国連ルワンダ支援団」の兵士が、反大統領派の閣僚を護衛していました。 そこに内戦と虐殺が始まります。しかし、兵力があまりに少なく、当時、首都にいる外国人を保護するので精一杯になりました。 政府軍は民兵と合わせて3万人(一説によると5万人)の兵力だったのです。 そうした中で反大統領派の閣僚4人と護衛のベルギー軍兵士10人は、政府軍に射殺されます。 「国連ルワンダ支援団」は国際空港を何とか確保し応援を待ちます。そしてフランスやベルギーの空挺部隊が到着し、「国連ルワンダ支援団」と協力して、外国人を避難させます。避難させた後はフランスとベルギーの空挺部隊は引き上げました。また、「国連ルワンダ支援団」所属のベルギー軍部隊も、これ以上の犠牲は出せないと引き上げています。 国連も部隊の縮小を決めルワンダに残ったのは270人でした。しかし、この人数では虐殺を止める事などできよう筈もありませんでした。 国連は政府とRPFの双方に対して停戦を呼び掛け、4月14日から停戦交渉にこぎつけます。しかし、思うようには進まず、虐殺が全土に拡大していきました。 国連は当時、世界各地17地域に7万人の平和維持軍を派遣しており、手一杯で余裕がなく、ルワンダに対する介入の動きが鈍かったとも、ソマリアでの失敗の二の舞を恐れ、動きが鈍かったとも言われます。また、当時は国連はボスニアでの活動に主要な注意を向けていたからだとも言われています。 アメリカはソマリアの失敗から、明確な国益が無い場合は介入しない方針を固めていた為、動かなかったと言われています。 アフリカ統一機構は、6月15日に首脳会談をチュニスで開いていましたが、そこでルワンダの停戦を求めるコミュニケを採択しています。 そうした中でフランスが虐殺を止める為の独自の軍事介入案を国連に提案し承認され、ターコイズ作戦を発動します。 このターコイズ作戦はフランス軍だけではなく、アフリカ諸国の軍隊が参加しました。 6月23日には第一陣としてセネガルが300人の兵士を派遣しています。8月に作戦が終了するまでの間に、さらにセネガルが243人、モーリタニアが10人、エジプトが7人、ギニアが35人、チャドが132人、コンゴが40人、ナイジェリアが43人の兵士を派遣し、作戦に参加しています。 そして、8月にようやく「国連第二次ルワンダ支援団」が到着し、フランス軍は撤退しました。「国連第二次ルワンダ支援団」には他のアフリカ諸国も参加しています。 ちなみにアメリカは虐殺の責任を追及するという理由で、7月15日にワシントンのルワンダ大使館を閉鎖しています。
お礼
ありがとうございます!めっちゃ参考になりました。ターコイズ作戦ではフランスもだいぶ混乱していたようですね。あとひとつ国際法的な質問なのですが、フランスに虐殺犯罪者を逮捕する義務はなかったのですか??
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知っていることだけ回答します。 あとはご自分で調べてください。 (3) 現在では虐殺される側であったツチ族が政権を握っています。 つまり立場が逆転したわけです。 もっともこの民族間の対立は歴史的に繰り返されてきたことなんです。 かってマイノリティーであるツチ族が政治的・経済的に優位に立っていた時代には、フツ族はかなり差別されていたということで溜まっていた恨み辛みが爆発した結果の出来事でした。 (4) 何故か? 一言でいえば無関心ということになるんでしょうね。 アメリカの国務省(たぶん)は割と早い段階で実情を知っていたが、国益にならないと判断しました。 ソマリア内戦への介入で失敗した国連やアメリカが人道的介入を避け、そのことが国際的な対処を遅れさせ被害を拡大させてしまったという見方が強いです。 こういう悲劇は何もルワンダだけではなくてコソボや東ティモールやエルサルバドルなど世界中で起こっていたが、政治的な思惑もあって無関心を決め込んだわけです。 映画「ホテル・ルワンダ」は、その辺の事情が描かれています。
お礼
ありがとうございます。いい勉強になりました。 ホテル・ルワンダも見てみようと思います。
お礼
ありがとう御座います。本当に参考になりました!引き続き調べていきたいと思います。