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ルワンダ紛争で疑問に思ったこと
このカテゴリーでいいのかと悩みましたが質問します。「ホテル・ルワンダ」というルワンダ紛争を題材にした映画を見て、6つの疑問が出てきました。 1つ目は、映画では、フツ民兵(インテラハムエ)は、「高い木を切れ」という合図の言葉で、蜂起するとありましたが、本当ですか?やはり映画だけの話ですか? 2つ目は、フツの大統領ハビャリマナは、ツチ反乱軍(ルワンダ愛国戦線)に殺されたとラジオで言っていましたが、本当ですか? 3つ目は、ルワンダに駐留していた国連軍は、銃を撃つことを禁止されていて、虐殺を止めませんでした。なぜですか? 4つ目は、フランスは、虐殺を起こした政府軍(フツ軍)に武器の援助をしていたそうですが、なぜですか? 5つ目は、ツチ反乱軍(ルワンダ愛国戦線)は、どうして政府軍に勝つことができたのですか?やはりツチ反乱軍のほうが政府軍より数が多かったからですか? 6つ目は、フツ民兵組織(インテラハムエ)は、誰が作ったのですか? あまりにも多くの質問ですが答えられるのだけでも教えてください。
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NO.3です。補足の質問があったようなので・・・ そうです。同じものです。アカズはハビャリマナ大統領の親族やその出身地であるギセイニ州の有力者で構成されていたと言われます。 ただ、現在においてもその正確な構成メンバーは判明しておらず、研究者によってメンバーとされる人物には多少の違いがあります。だいたいのところは判明していますが。 なお、インテラハムエの創設についてはアカズの関与はそれほどなかったのではないかという説もあります。 インテラハムエの創設者の一人とされるNgirumpatse氏は法務大臣やMRNDの中央委員を務めていた人ではありましたが、アカズのメンバーではなく、他に創設に加わったとされる人物にしても、MRNDの幹部ではあったけれど、アカズのメンバーではない人物もいるそうです。 確実に言えるのは、インテラハムエの創設にMRNDが関わっていた事は間違いないようです。 余計な事をついでに書けば、ルワンダの虐殺に大きく関わった組織に「ゼロ・ネットワーク」というグループがありました。これも対ツチ強硬派で、この構成メンバーの中には軍のトップである参謀総長や主要部隊の指揮官やアカズの中にもメンバーがいました。 アカズのメンバーではあっても、ゼロ・ネットワークのメンバーではなく、ゼロ・ネットワークのメンバーであっても、アカズのメンバーではない人物もいます。 特に軍部の主要部隊の指揮官はゼロ・ネットワークのメンバーではあるけれどアカズではない人物が多かったようです。 アカズは権力を用いて経済的にも甘い汁を吸い、ゼロ・ネットワークはツチ族を弾圧という構図があったようです。
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- DieMeute
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(1)わかりませんが、ホテルマンのポール氏の実話を映画化したものなので、本当の話かもしれません。映画の中で、ポール氏がその合言葉を聞くシーンがありましたよね・・・ (2)フランスが6年にわたる調査の結果、2004年に公表した事実では、ルワンダ愛国戦線が犯人とされています。ポール・カガメ司令官が指令を出し、それを受けたカヨンガ将軍が部下のンジサ少尉に命令し実行したとなっています。 現在、ポール・カガメ司令官は、ルワンダの大統領となり、カヨンガ将軍は大統領府国防顧問となり、ンジサ少尉は大統領護衛団長を務めています。 ただし、このフランスの発表をカガメ大統領は否定しています。 なお以前から、犯人はハビャリマナ大統領のツチ族への融和政策を不満とするフツ族過激派が、ルワンダ愛国戦線に罪をきせようとして決行したとする説もあり、この説も有力視されていました。 (3)国連はルワンダ政府とルワンダ愛国戦線に停戦を呼び掛け停戦交渉を行おうとしており、武器の使用に慎重になっていました。 また、ルワンダ政府軍及び民兵組織への軍事行動は、ルワンダに駐留する国連軍にとって自殺行為になる可能性が高かったのです。 当時、ルワンダには2500人の国連軍しかいませんでした。それに対しルワンダ政府軍及び民兵組織は3万人から5万人の兵力を有していると見られていました。もし、現地の国連軍が積極的に敵対していたら全滅していた可能性も否定できませんでした。 また、国連としては当時、世界17地域に7万人の平和維持軍を展開している状況でもあり、すぐには大規模な部隊をルワンダへ差し向ける余裕もありませんでした。そして、当時はボスニアでの活動に主要な注意を向けていた為、ルワンダに対する反応が鈍かったとも言われます。 大国アメリカはソマリアでの治安活動に失敗した経験から、アメリカの明確な国益が無い場合は介入しない方針をとっており、手を出しませんでした。 とりあえず急ぎ行われたのは、ルワンダにいる外国民間人の保護と退去の為の作戦で、フランスやベルギーが小規模な軍を派遣しますが、作戦が終了すると速やかに撤退します。 ベルギーなどは、ルワンダの国連軍に参加していた部隊も撤退させました。これは既に紛争の巻き添えを食い、兵士10人が亡くなっていた為で、これ以上、犠牲者が出るのを嫌った為と言われています。 結局、その後ルワンダに残された国連部隊はわずか270人で、虐殺を止めれるような力は持っていなかったのです。 (4)フランスはルワンダとの貿易拡大を狙って軍事協定を1975年に結びます。それ以来の関係であり友好国です。フランスからルワンダへの武器援助は「治安維持」の為でした。武器援助をして政府軍をしっかりしたものにしておけば、ルワンダ国内での大規模な紛争を未然に防げるだろうという思惑が、フランスにあったと言われています。そして、ルワンダが安定していれば安心して貿易もできるという訳です。 また、ルワンダと友好国になった当時からルワンダの大統領はハビャリマナ大統領でした、その時から10数年の間、ハビャリマナ大統領が軍に対し大規模な虐殺命令を出した事などもありません。 ただ、紛争が起こる直前、在ルワンダ武官からフランス政府に対し、虐殺が起こる兆候があるという報告が上がっていたようですが、無視されたようです。 これには当時のミッテラン大統領とその息子(大統領府のアフリカ担当室の一員)が、ハビャリマナ大統領と個人的に親しかった為だとか、不法な利益を提供されていたからだと言われています。 (5)政府軍及び民兵の兵力は3万から5万人で、ルワンダ愛国戦線の兵力は約2万5000人と言われていました。だから兵力で言えば政府軍の方が上でした。 ただルワンダ愛国戦線は数は少なくても、よく訓練され士気は高かったと言われています。ウガンダの支援もありました。さらに後に大統領になったポール・カガメ司令官の作戦指揮がうまかったとも言われています。2個旅団を率いて電撃作戦を行ったそうです。 それに比べ政府軍は給料の支給が遅れたりして、あまり士気は高くなく次々と撃破されたそうです。また、ルワンダ愛国戦線の進攻が始まっても、インテラハムエは虐殺行為に忙しかったそうです。 (6)ハビャリマナ大統領です。 ただ、これは許可を出しただけという説もあります。ハビャリマナ大統領が党首を務める政党MRNDの幹部のうち、対ツチ族強硬派(AKAZU)が組織し、ハビャリマナ大統領に認めさせたとも言われています。 だからインテラハムエはMRNDの青年グループを母体に創設されました。当初の目的はルワンダ愛国戦線の攻撃に対し、住民を自衛させる為の組織だったとも言われています。しかし、その組織が拡大するうちに犯罪者や失業者なども入り、組織の性格が変容していったとも、対ツチ強硬派によって虐殺に利用されるようになったとも、最初からツチ族虐殺の為に組織されたとも言われています。
補足
AKAZU(対ツチ族強硬派)は、やはりNO.2さんが教えてくれた特権階級アカズのことですか?
- Yelm
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1つ目:映画だけの話でしょう。ルワンダでの虐殺はある日突然起きたと言うわけではありませんから。 2つ目:ハビャリマナ大統領の死については事故死と暗殺の両方が言われていますが、原因は今もってハッキリとはしません。 3つ目:交戦を認められていなかったからです。当時、ルワンダは国連安保理事国であり、またソマリアの失敗で懲りた米国とルワンダの友好国であったフランスが介入に消極的であったため国連の動きは遅かったのです。 4つ目:当時のミッテラン大統領はハビャリマナ大統領と親交を結んでおり、フランスとルワンダは友好国だったからです。 5つ目:ルワンダ愛国戦線はあくまでも「反ハビャリマナ政権」の武装組織であって、ツチ族とフツ族の両方が参加していました。 つまり「政府対反政府」の戦いだったのです。 しかしこれをハビャリマナ政権が「ツチ族VSフツ族」にすりかえ、ツチ族への敵意を煽ると共にツチ族を弾圧したのが、後の虐殺へ向かう流れを産みます。 結局、ルワンダ愛国戦線がルワンダ内部に侵攻したとき、既にフツ族の住民の多くも政権を見限っており(フツ族過激派は歯止めを失い、同胞のフツ族へも暴行を繰り返していたからです)、劣勢に立たされた旧政府勢力は隣国ザイール(現コンゴ)に逃亡します。 6つ目:ハビャリマナ大統領とその取り巻きの特権階級「小さな家(アカズ)」です。 なおルワンダにおけるフツ族とツチ族は元々「農耕民(フツ族)と遊牧民(ツチ族)」の区分であり、民族的な違いではなく社会的な役割の違いを意味しており、両者間の婚姻も自由であり、その差は厳密なものではありませんでした。 ただルワンダは農耕に適さない地形の為、ツチ族が経済的に優位に立っており、このため王政時代はツチ族が政権を担っていました。 しかしベルギーによる植民地時代。ベルギーは分割統治の為に「白人の血を引くツチ族がフツ族を支配した」というでっち上げた歴史を広め、更に住民をフツ族・ツチ族に分けましたが、既に血統から両者を区別するのは不可能であり「家畜を何頭以上持っていればツチ族」「農作業に従事しているのでフツ族」と言ったいい加減な基準で分けられたのです。 ルワンダを含めたアフリカの大部分は歴史を文書にして残す習慣が無かったため、過去の歴史は殆ど分からず(ルワンダ王朝の初代国王の即位がいつだったかですら、研究者により200年ほど違っています)、このためベルギーの広めたでっち上げの歴史は、ルワンダの住民にすぐに浸透しました。 そして第二次大戦後フツ族はこの偽の歴史を逆手にとり「自分たちがルワンダの先住民なのだから、正当なルワンダ人はフツ族である」という思想を広め、結果として独立後両者の対立は深まるばかりとなり、これが後々の虐殺へと繋がります。 現在、ルワンダでは公共の場で民族の違いを論じるのは違法とされ、一応は民族対立は収束していますが、今後どうなるかはまだ未知数です。
お礼
ルワンダ愛国戦線にフツ族が参加していたとは知りませんでした。回答ありがとうございます。
- alpha123
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ルワンダの歴史と「ルワンダ紛争」と「ホテルルワンダ」とは直接には関係ありません。 ルワンダはもともとはドイツの植民地で後に(戦争でドイツが負けたので)ベルギー(プロテスタント)の植民地、1960年代に独立する。 少数派のツチ族(15%)が長くフツ族を支配した。国民に教育が浸透するとフツ族が政権握った。 エチオピアはアフリカでは例外的に植民地にならなかった。聖書の信仰ではいずれ黒いキリスト教徒が救援に来るという神話があった。当時はアフリカ北部以外は全部エチオピア扱いです(エチオピアはキリスト教国だから植民地に出来なかった。後に国としてのエチオピアの範囲は徐々に狭まる) キリスト教徒以外は野蛮、野獣扱いという信仰があったわけです。南米のインカではスペイン人が皇帝人質にして金銀供出すれば命助けるといったが結局は殺す(キリスト教に改宗させ殺した) ハワイを占領したキリスト教徒が女王をキリスト教に改宗させ妾にした(名目上は妻だったかも、自殺したはず) エチオピア以外のアフリカ人は奴隷にしてもいいとローマ教皇が許可した。西海岸まで時間と距離費やし逃げたアフリカ人は海岸部のアフリカ人(キリスト教に改宗)につかまり奴隷として出荷された(アフリカ人口の1/4、400万人がいなくなった。のちのアフリカ経済停滞の原因です) 白人やヨーロッパ人が反省せず済むのはビジネス(貿易しただけ)という理由です。白人が直接に奴隷捕まえるのはアフリカ北部のアラブ人を欧州に運んだときだけ、このときは白人が直に捕まえた。船舶の発達が奴隷貿易可能にする。 日本では豊臣秀吉と徳川家康が南蛮人(カトリック)の奴隷貿易禁止した(東南アジアに日本人女性が売られ、奴隷になる男がいた) 各地のキリシタン(大名や庄屋地主信者)はそれがビジネス(商売)だった。東北に残る神隠し伝説は多分海沿いの住民が山間部の住民を輸出した形跡です(密貿易含む)。 多数派のフツ族が政権握ったあと少数派だが特権維持したいツチ族は反乱起こす。戦争で人が死ぬのをどちらのせいにしてもしょうがない。15%しかいない側が政権に付くのもおかしい。 ミャンマなども同じです。植民地時代イギリスは少数派をキリスト教に改宗させ、治安警察やらせた(少数派が多数派を弾圧抑圧する)独立し国民は植民地的な名称も改めた(旧ビルマ) 生活必需品の1部が教会に行かないと手に入らない(キリスト教徒の独占販売)で現地人を従わせるわけです。 植民地時代に利益がある勢力は「民主主義」唱える。スーチーや少数部族が民主主義やった経験はないんですよ(汚職や弾圧はした) 連中はいまもビルマとほざく。 ホテルルワンダは現地にあった「高級ホテル」です。一般国民は利用しないからそこにいたということは当時の特権階級というだけです。 国連軍(フランス軍だとするとカトリックってわけ)が難民を治療し、食料与えるというのは親西欧キリスト教徒の繁殖が目的です。20年続ければ人口が増える。 その間、アフリカにエイズ広げれば治療受けられない側は死にます(総人口は同じでキリスト教徒の比率高まる) 日本人ならああいう状況でむやみに繁殖しないと思うが(^^) キリスト教のやることは理解不能です。 フツとツチは言語は同じです。ツチが支配する時代、ツチは高貴というガセ流してフツを差別した(鼻の形など少し違うことから人工的にフツとツチの区分けした)
補足
すみません。何を説明したいのか、わからないんですけど・・・
お礼
詳細な回答ありがとうございます。