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源氏、平氏

 たまたま歴史の小説を読んでいて、疑問に思ったのですが・・ 小説の中で武田太郎源朝臣晴信とありました。確かに武田家は河内源氏を汲む家柄なのでそうかなと思いましたが、平朝臣ってのも使われていたんでしょうか?  江戸時代の時は徳川宗家、御三家あたりまで使われていたんでしょうか?それとも一門あたりまででしょうか?他大名はほとんど平氏?  源朝臣と使う場合ってどんな時なんでしょうか?詳しい方は是非教えて下さい!

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  • kjr1390
  • ベストアンサー率42% (6/14)
回答No.6

江戸期は勉強してませんので、室町幕府発給文書から少しコメントします。 朝臣は五位以上に叙任(自称ではなく)された人が称することが出来ましたが、普段発行する文書には、実名、若しくは官途名だけを書きました。 源朝臣・平朝臣・神宿禰、三善朝臣などと署名しているのは、不特定多数に命ずる文書の場合が殆どのようです。(禁制など) 永禄五~十年前後の奉行人奉書では 不特定多数に対する禁制(寺院宛て)や、個人に対して各地関所を無条件に通行できるよう証明書を発行する場合は、 前大和守三善朝臣(花押)   (飯尾尭連) 備前守源朝臣(花押)     (中澤光俊) 丹後守平朝臣(花押)     (松田藤弘) 信濃守神宿禰(花押)     (諏訪晴長) 身分の有る個人に対しては 前大和守(花押) 備前守(花押) 丹後守(花押) 信濃守(花押) 同位若しくは下位の個人や団体に宛ての文書では 尭連(花押) 光俊(花押) 藤弘(花押) 晴長(花押) というように署名しています。 飯尾、中澤、松田、諏訪、等の姓は文書に署名しません。彼ら奉行人は鎌倉時代からの武家官僚の子孫で、三善氏、源氏、平氏、神氏、として、公家や武家の間で「由緒正しい人」として認識されていました。江戸期のアヤシゲな家系ではありません。(笑) これらの文書は畳まれて、上包みがあったようで、そこには、○○殿  ○○□□守と署名されていたようです。 署名方法の違いについては、私の主観的な見方ですので、先生方からツッコミが入るかもしれません。(笑) 室町幕府文書集成 奉行人奉書篇(上下) 今谷明・高橋康夫共編 思文閣出版 が大学や県立レベルの図書館にあります。ゆっくり眺めて下さい。

その他の回答 (5)

noname#189881
noname#189881
回答No.5

No. 1の方が言及されている「征夷大将軍になれるのは源氏のみという不文律ができた」というのは認識違いのようですね。 実際、藤原氏、親王の将軍宣下が史実としてありますし、平氏を称していた信長に対し、勅使が将軍を含む3つの官位宣下を示唆しています。

Impacto-Profundo
質問者

お礼

 アドバイスありがとうです!確かに関白・太政大臣・将軍職の3つを示唆してましたね。ありがとうございました

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

上杉謙信が 従五位下弾正少弼に任官したときには 平朝臣のはず、長尾氏なので。

Impacto-Profundo
質問者

お礼

 回答ありがとうです!謙信は平氏ですか・・ ありがとうございました

  • sunset2nd
  • ベストアンサー率10% (4/39)
回答No.3

補足ですが天皇からの宣旨を受けた場合、公式文書では源朝臣晴信と書かれていたようです。甲斐守源朝臣晴信が妥当ですね。 源氏20流に対して平氏は4流と少なかったため平氏を名乗る人は少なかったのですが信長は平信長を名乗っています。徳川は新田源氏の末裔ということになっていますので徳川、松平は源氏でした。源氏名乗る前は藤原氏でしたが。秀吉は姓がなかったため新たに豊臣の姓を受けています。後に清和源氏(陽成源氏)の末裔と言うのが武家、大名にとって一種のステータスでしたから徳川氏のように系図を譲り受け無理やり源氏を名乗る大名が多かったようです。

回答No.2

日本には古くから「源平藤橘」思想があり、源氏は嵯峨源氏が初めで、 最初32名が源朝臣を賜りましたが、詳しくは下記にあります。 http://humanzu.hp.infoseek.co.jp/genron/genpei-koutai.html

Impacto-Profundo
質問者

お礼

 アドバイス意見ありがとう!

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.1

源氏も平氏も皇族が臣籍降下して称した姓です。その中の清和源氏の末裔である源頼朝が征夷大将軍を下賜され、平氏の北条がこれを補佐するという体制を鎌倉幕府が確立したため、征夷大将軍になれるのは源氏のみという不文律ができたのです。ですから北条氏は滅亡まで執権の地位に甘んじ、将軍を称することはありませんでした。後世の朝廷と武家社会はこの不文律を頑なに守り続けたのです。  しかし、細川や吉良などの少ない例外を除いて戦国大名の生き残りの多くは土豪から成上がったものが多く、源氏、平氏を称していてもそれは系図を買ったか、捏造したかして勝手に源平を称しているだけの大名が多く、徳川もその一つで、源氏とは何の縁もなさそうなのです。

Impacto-Profundo
質問者

お礼

 家康は確か源氏を勝手に名乗ったと聞いた事があります。買ったか、捏造したものなんですね・・  ある意味、凄いですね。回答ありがとうございます!

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