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源氏と平氏のおもしろい話を教えてください。
教科書に載ってないような源氏と平氏のおもしろい話があったら教えてください。 一応下関出身ですが、源氏と平氏の話をあまり知りません。大河ドラマの義経も見てません。 宜しくお願いします。
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源平合戦最後の勝利者は平氏だったてことかな 桓武平氏は壇ノ浦で壊滅しますが、それ以外の平氏は面白い行動をしています。 桓武平氏の一門である北条家及び熊谷家は、源氏について平氏打倒に協力しました。 平氏滅亡後、北条家は清和源氏を滅亡させ、承久の乱で叛旗を翻した源氏系御家人を殲滅(彼らは落人となって山奥に隠れ住む結果となった。平家の落人村といわれる村のほとんどが源氏の落人村だそうです)、平家は我が世の春を謳歌しました。これが滅びるのが1333年の鎌倉幕府滅亡です。
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- oahiopwh
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天皇の庶子の家系が数代経た場合、源や平の氏を賜り臣籍に降下しました。 家系の始祖となる天皇の名前をとって、XX源氏等といわれます。 しかし、清和源氏の始祖は清和天皇の一代後の陽成天皇ではないかと言われています。 その根拠は、源義家が奉納した起請文にあります。 起請文には、義家の7代前より清和源氏ははじまったと記されています。 しかし、7代前の天皇は陽成天皇なのです。 では、なぜ後の世では陽成天皇を始祖としなかったのか? これは、粗暴で評判の悪かった陽成天皇を始祖とするのを嫌ったためではないかといわれています。
お礼
なるほど、源や平の氏はそういう理由があったんですね。ちょっと話がそれますが、以前、遺伝子のことについて話してる時、天皇家の遺伝子はかなりホモ化されてるんじゃないかと、友人と話していたんですが(顔があまりにも皆同じなので)、そのときの話で、色んな血が混じってヘテロ化されてるはず、でなければこんなに続くわけない、という話でまとまりました。 もっと話がずれて、宮様は臣籍に降下した場合、どういう風に名乗るんでしょう?(これは特に質問って訳ではないです) 陽成天皇は暴君だったんですね。なぞが解けました。 有難うございます。
- Tacosan
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#3 の回答に対するお礼について: 清和源氏の始祖は清和天皇ではなくその子の陽成天皇だったような....
お礼
回答有難うございます。 それじゃあ清和源氏じゃなくて、陽成源氏なんですね。 どうして清和源氏になったのか、なぞがあっておもしろいですね。
No.1さんのつけたりですが、 平家の武者も那須与一の弓の腕前によって、踊りだしたものがいるのです。 しかし義経は、与一に命じて、その老武者を射殺させた・・・ そんな話が実は平家物語にあります。 (この場面は平家物語絵巻にもあります) 結構興ざめですけどね
お礼
回答有り難うございます。 那須与一って存在は結構気に入ってるんですけどねぇ。
- DT50
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No.1です。 ちょっぴり脱線するネタ。 平家の落ち武者の子孫が福島県の(多分)桧枝岐村(ひのえまたむら)にいるという話を聞いたことがあるんですが、そこでたまたま地元の高校生と話をしたうちの父親が、その高校生の発音があまりにきれいで驚いたって話してました。福島弁のなまりがなかったそうです。 「やっぱり、都の人の血を受け継いでんだなぁ。」って感心していました。 ホントに余談でしたm(__)m。
お礼
お父様はおもしろい方ですね。「都の人の血」って言い方に思わず笑っちゃいました。 今時の地方の高校生って標準語でもちゃんと話せる子多いですよね。 やっぱりTVの影響でしょうか。 地方に行って、高校生が方言で話してるの聞くとホッとします。
- oahiopwh
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清和源氏の始祖は清和天皇ではない。 関東には、平将門の頃から桓武平氏の一族が土地所有者として勢力を持っていました。 平清盛らの平氏は、伊勢平氏であり関東の平氏とは別系統ですので、 鎌倉幕府成立後も勢力を保っています。 北条氏もそうですし、千葉氏も大きな勢力を持っていました。 鎌倉幕府や足利幕府の下で、源氏の一門が西国に所領を得るケースがありました。 そして、西国の所領に移住し勢力を築くことも珍しくありませんでした。
お礼
回答有り難うございます。清和源氏は清和天皇の血を受け継いでないってことですね。 源氏という名をもらっと解釈してもいいでしょうか? 源氏の系列は枝分かれがすごいですね。分けが分からなくなります。
- pyon1956
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いろいろありますが・・・・ たとえば源平というときの源氏・平氏は清和源氏と桓武平氏だが、実際は源氏というものはその直接の祖先の最後の天皇の名で呼ばれるもので他に村上源氏、嵯峨源氏、仁明源氏・・・・などなどたくさんあり、また嵯峨源氏も兄弟が同時に源氏になっているので家はいくつもある、とか、同様に平氏も桓武平氏が有名だが他にも仁明平氏とか文徳平氏とかあり、また桓武平氏もおおまかに6つの家があって、さらにそれが細分化されている、という話。結局あれは桓武平氏清盛流と、それ以外の有力武士の戦いで、実際平氏の中には北条一族(れっきとした桓武平氏です)もいた。 http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/clan_index.htm また、清和源氏がそれら源氏や平氏などいわゆる皇別氏族のなかで最も有力になったのは実は足利義満以降であり、その後も必ずしも「源氏長者」にはなれなかった事。むしろ公家の村上源氏の方が家格は上、と考えられていた事。 一応徳川氏は清和源氏末流であると主張し、公的には認められていた事(事実は・・・まあね)。 一方織田信長は平氏を名乗っていたこと。このため状況によっては「平氏」の征夷大将軍が生まれていたかもしれない事。
お礼
回答ありがとうございます。源氏と平氏にも流派のようなものがあるんですね。 よく「東国の源氏、西国の平氏」と言われますが、私は出身が下関ですが源氏の系統の方が山口、島根、九州にいます。でも熊本の五家荘に平家落人の隠れ里があったらしいので、九州には平家の子孫が多いかもしれませんね。 流されたり、隠れたりで、平家の子孫は全国にちらばってるんでしょうね。
- DT50
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本当だかわかりませんが、那須与一が扇の的を弓で射落としたとき、それを見ていた敵の平氏も、船の側面を拍手するようにバシバシ叩いて称賛したとか。
お礼
早速の回答有難うございます。弓の名手ですよね。 でも、ありえそうな話だと思います。
お礼
おもしろい話ですね。鎌倉幕府崩壊へのシナリオは壇ノ浦の戦いで以降、少しづつ出来ていったんでしょうね。 しかし、日本の歴史に、北条氏の存在は大きいですね。