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なぜ頼朝は助命されたのか
本日の大河ドラマに描かれていたように,謀反人の嫡子である源頼朝が平清盛に助命されたのは,清盛の義母である池禅尼の懇願によるものだという説が有力です。 しかし,よく考えると,海千山千の清盛が,いくら義母の懇願によるものといえ,将来の禍根を残すとは思えません。 私個人としては,「政治的理由」((1)河内源氏以外の他の源氏等に配慮したもの,(2)どっちみち反平氏(平家)勢力は,頼朝以外の源氏を「お神輿」にするので,別に頼朝を処刑する必要はない,等)により,助命したと思うのですが,この件に関する最近の「通説」はどのようになっているのでしょうか。 お教えいただければ幸いです。
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以前に似たような質問で回答したままですが、元木泰雄『平清盛と後白河院』(角川選書 2012年)では次のような理解で記述されています。 ・頼朝が後白河院に側近としていた関係から、後白河(姉の上西門院も)が近臣に温情をかけて、母待賢門院に仕えていた院近臣家出身の池禅尼(平家家長代行)を通じて働きかけた。 ・当時、池禅尼の子頼盛は嫡流清盛に対抗しうる武力を持っていた。 ・平清盛も平治の乱直後はまだ政治を主導するほどの権限を得ていなかった。 ・平治の乱は反信西派が信西派を滅ぼし、信西殺害後分裂した反信西派を帰京した清盛が(二条天皇を擁することで)鎮圧したという捉え方。 平治の乱=源平の戦いではないということですから、政治的な権勢を持っていなかった当時の清盛にとって、そもそも平氏に対する源氏の反乱などということは想定外だったのではないでしょうか。
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- kuroneko3
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池禅尼の懇願によるものというのが通説だと思います。 池禅尼は,単に清盛の義母であったというだけでなく,保元の乱では平氏一族を清盛側にまとめる立役者であったため,清盛といえども粗略に扱うことはできず,池禅尼が頼朝助命のために断食まで始めたため,清盛も仕方なく頼朝の助命を認めたようです。池禅尼の息子・頼盛は,この縁で頼朝に優遇され,幕府御家人の一人となっています。
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早々のご回答,有難うございました。 やはり劇やドラマ通りでよく使われるものが,通説なのですね。 確かにそのほうが因果応報的で日本人向きですよね。 参考になりました。
お礼
早々のご回答,有難うございました。 また何度をお手数をおかけし,失礼いたしました。 「そもそも平氏に対する源氏の反乱などということは想定外だったのではないでしょうか」 確かに,武士だけではなく,公家等反平氏勢力があるのですから,「源氏対平氏」という構図で捉えるのは,後世の「後付け」の理屈になるかもしれません。 参考になりました。