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こんな短歌つくりました。
ブノーという異国の地名をふと聞きて、地図を開けばしかとありける。 これは最近、私が作った短歌ですが、私がどういうことに感動して、この歌をつくったか、読み手に通じるかどうかと思い、ここに書きました。みなさんに通じたでしょうか?できれば添削もお願いします。
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「ブノー?そんな所本当にあるの!?本当かなぁ?どれどれ、・・・・!!!本当にあったのね。世界は広いなあ・・(しみじみ)」 と、こんな感動。かな? 専門家でも短歌に精通しているわけでもないので、 添削はできません。すみません。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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余言: 韻文は不識 日常という偉大な流れが流れている。中、誰もがふとありうる思いの何気ない行為。 大衆的俗な自分は、大家の、傑作という評価があるものでないと、いやみな感じを先にとるが、まぁそれがない。陶磁器もいっぱい展覧会などがあるが、奇抜で、多様な技術を駆使しているのが多く、作者の自己主張がうるさい。そういうのは傍にいることを拒否したいものだ。いいというのは、どうも私には邪魔にならない、空気やせいぜいそよ風みたいですね。 あまり過大には持ち上げたくないが、平凡なのがいい。平凡はすきなことばではないが。かわりものの奇人の此身は。 ANo.2様のいうこともそうです。深読みすればそういう、そういう行動教訓みたいのもあろうが、自分はそこまでは経験をしていないし、連関させていなかった。仰ることは凄く大事なことだ。大事すぎることだ。ANo.2さんのいうことは。それもあって、繋がらなかった。
お礼
丁寧な批評ありがとうございます。これからも奇をてらわずに、平凡な感じの作風をめざしたいと思います。
いい感じですね。 短歌とも格言ともとれます。(もっとも私の解釈ですが) 自分の知っていることが全てではない。自分の知らないところにも真実がある。というような意味にとらえました。 とかく人は自分を基準に物事を考えがちです。いかに客観的に、そして他人を自分のように理解し、人生を過ごしていくことが出来るか。 この歌、後生に残していきたいですね。
お礼
実は私の思いはこうでした。自分がブノという地名を聞き、それをしらべようと思ったのは、偶然がいくつも重なったことだったのです。そのきわめて確率の低い偶然がなければ、この地名の件で、この地図帳にお世話になることはなっかたのです。なのに、この地図帳はしっかり、この有名でもない町の名を載せて自分を待っていてくれた。ちょうど、「モンゴル料理を作ってくれ」などとは、まず頼まれそうもなくても、その作り方を覚えている主婦のような、ひたむきさを感じたわけです。短歌については全くのしろうとです。おほめの言葉をいただき、恐悦しごくです。
お礼
ありがとうございます。自分の言おうとしていることの半分くらいは、通じたようです。残りの半分は次の人のお礼にかきます。