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分業について
「カール・マルクスは、分業を社会経済が発展してゆく過程としてとらえた・・と、たしか、マルクスは書いていたはずだと思うのですが、どうなのでしょうか。まちがっているでしょうか。
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- hirosi3
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●『国富論』から「分業について」● アダム・スミスが『国富論』で分業についてどのように書いているか、一部を引用しましょう。 <<分業について==分業には作業の分割と職業の分化があり、それらは労働の生産力を増進させる最大の原因である>> 労働の生産力における最大の改善と、どの方向にであれ労働をふりむけたりする場合の熟練、技能、判断力の大部分は、分業の結果であったように思われる。 社会全般の仕事に対する分業の高価を比較的容易に理解するには、どれか、特定の製造業(マニュファクチャー)をとって、そこで分業がどんなふうに行われているかを考察してみるのがよいだろう。世間では、分業がいちばん進んでいるのは、いくつかの、まったくとるにたりない小さな製造業だということになっている。これはおそらく、こういった製造業のほうが、もっと重要度の高い他の製造業に比べて、実際に分業の度合いが進んでいるかたではなく、これらのとるにたりない小さい製造業は、ごく少数の人々のわずかな欲求を満たすためにものであって、従業員の総数もとうぜん少なく、さまざまな部門の仕事に従事している人々を同一の作業場に集めているので、見る者の一望のもとにおくことが可能だからであろう。これに反して、大規模の製造業は、大多数の人々の巨大な欲望を満たすためにある。そこでは、さまざまな部門の仕事にどれも多数の従業員が働いているので、これらの人々を同一の作業場に集めることは不可能である。単一の部門で働いている従業員は見えても、その部門以外の人々をも同時に見ることは滅多にないというわけである。それゆえ、この種の製造業では、それよりも小規模な製造業に比べて、たとえ作業は実際上はるかに多数の部分い分割されていても、その分割は、それほど目立つことがないので、したがってまた、観察されることもずっと少なかったのである。 そこで、ここに一例として、とるにたりない小さな製造業ではあるけれど、その分業がしばしば世人の注目を集めたピン作りの仕事をとってみよう。この仕事(分業にとってそれは1つの独立の職業となった。)のための教育を受けておらず、またそこで使用される機械類(その発明を引き起こしたのも、同じくこの分業であろう)の使用法にも通じていない職人は、精いっぱい働いても、おそらく1日に1本のピンを作ることもできなかろうし、20本を作ることなど、まずありえないであろう。ところが、現在、この仕事が行われている仕方をみると、作業全体が1つの特殊な職業であるばかりでなく、多くの部門に分割されていて、その大部分も同じように特殊な職業なのである。ある者は針金を引き伸ばし、次の者はそれをまっすぐにし、3人目がこれを切り、4人目がそれをとがらせ、5人目は頭部をつけるためにその先端を磨く、頭部を作るにも、2つか3つの別々の作業が必要で、それを取り付けるのも特別の仕事であるし、ピンを白く光らせるのも、また別の仕事である。ピンを紙に包むのさえ、それだけで1つの職業なのである。このようにして、ピン作りという重要な仕事は、約18の別々の作業に分割されていて、ある仕事場では、そうした作業がすべて別々の人手によって行われる。もっとも、他の仕事場ではそれらの2つか3つを、同一人が行うこともある。私はこの種の小さい仕事場を見たことがあるが、そこではわずか10人が仕事に従事しているだけで、したがって、そのうち幾人かは、2つか3つの別の作業を兼ねていた。彼らはたいへん貧しくて、必要な機械類も不十分にしか用意されていなかった。それでも精出して働けば、1日に約12ポンドのピンを全員で作ることができた。1ポンドのピンといえば、中型のもので4千本以上になる。してみると、これらの10人は、1日に4万8千本以上のピンを自分たちで製造でくたわけである。つまり各人は、4万8千本のピンの10分の1を作るとして、1人あたり1日4800本のピンを作るものとみてさしつかえない。だが、もしかれら全員がそれぞれ別々に働き、まただれも、この特別の仕事のための訓練を受けていなかったならば、かれらは1人あたり1日に20本のピンどころか、1本のピンさえも作ることはできなかったであろう。言い換えると彼らは、さまざまな作業の適切な分割と結合によって現在達成できる量の240分の1はおろか、その4800分の1さえも、まず作り得なかったであろう。 『国富論』アダム・スミス 大河内一男訳 中央公論社 1978.4.10 9P <Of the Division of Labour>から引用
- tanuki4u
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生産段階における分業を論じたのが スミスで 国富論。 社会的分業がマルクスだと思います。
お礼
御回答有り難うがざいます。あまり難しいことは考えないようにしました。
お礼
以前、同じような内容が書かれた本を読んだことがあります。その本の一部も「国富論」を念頭において書かれてものだったのでしょうね。「国富論」は今だに読んでいません。何だか、もうパワー不足を感じて・・あまりにも読んでいないものが多すぎるものですから。 詳しい内容を書いていただき有り難うございました。社会的分業については調べてみます。