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日本での金貨と銀貨の質の違い
通貨制度が整備されてきた近世で、銀貨は重さで、金貨は額面で取引するというシステムを作ったのは、どういう理由なのでしょうか?金のほうは、悪貨発行の余地を残すということでしょうか?
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銀本位制度では、外国への支払いは、銀貨で行うのが普通だったからです。実際には、おっしゃる通り、金銀複本位制です。 また、通貨は重さで交換されるのが慣例でしたので、 1ドル銀貨=一分銀程度の長崎貿易は、 1ドル銀貨の重さ=一分銀3枚へと変わります。 >金貨は額面で取引 日本では、金貨を本位貨幣と決定します。 金1.5gを1円と定めます。 金本位制度(兌換制度)であったらしいです。 一分銀は実質の価値の1/3程度の重さであったらしいです。 1両小判とは、小判の中に1両分の金がある。 こう言う意味なのですが、 金貨は慶長小判の金の含有率は84%です。 幕末の小判では重さは慶長小判の1/5。含有率50%程度になります。 実質は、経済崩壊寸前であったようです。 明治政府が大きな銀貨を作成したのは対外貿易の為です。 銀(金)本位制度→管理通貨制度へと移行します。
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- hirosi3
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●荻原重秀・田沼意次・幕末の金貨流出● 日本で、金銀銅の三貨制度が確立したのは江戸時代です。江戸時代には初期から、幕末まで多くの出来事がありました。ポイントは、(1)荻原重秀の貨幣改鋳、(2)田沼意次の明和南鐐二朱判の発行、(3)幕末の金貨流出、だと考えます。これらに関して短くまとめるのはとても時間がかかりそうなので、参考になるリンク先を書きます。 日本銀行金融研究所 貨幣博物館 わが国の貨幣史 http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history.htm
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どうもありがとうございます。 金融博物館は勉強になりますよ。
- buchi-dog
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なかなか鋭い問題提起ですね。 私見ですが、幕府は確かに「金貨は額面で取引するというシステム」を官主導で作りました。なお、江戸時代後期には「南瞭ニ朱銀」など、「額面金貨に擬装した銀貨」が発行され、ごく普通に流通していました。幕府の通貨通用力の意外な強さが分かります。 一方、大坂を中心とする銀遣いのシステムは市場によって江戸時代以前の経済システムからの連続性の中で作り出されたのではないでしょうか。銀を受け渡しする際はいちいち重さを測り、純度も様々な方法で調べて遺漏なきを期したようです。ただ、さすがに煩わしいので、品位の確かな銀貨を公的機関(銀座)や両替商が検査して紙で包んで封印し、封印の信用力で包んだものが流通する「包銀」のしくみが成立したようです。 金遣いの経済圏では幕府の権威が強いため官製システムが機能し、それ以外の銀遣いの経済圏ではそうは行かなかった、日本全体としては銀図解の経済圏の方が優位だった、ということになるように思います。
お礼
江戸時代に、通過システム的には、まだ全国統一がなされたとはいえないということが、なんとも意外なことです。両替商の繁盛です。幕府権力は限界性がありましたね。
お礼
ありがとうございます。 銀本位制から、金本位制には外国勢力がかかわっていました。