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義経の「一の谷の逆落とし」の場所はどこ?

 一ノ谷 【現、兵庫県神戸市須磨区西南端の須磨浦公園】の合戦で義経の率いる騎馬隊が、平家軍をめがけて背後の峻険な山を駆け下りて奇襲をかけた有名な話ですが、地元に生まれ育ち幼い頃から当所の地形を知るものとして出来るわけがないと疑問に思い続けていました。  一方「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」と言う言い方も耳にした事もありますが、ただ「鵯越」というのは一ノ谷の北東約2キロメートルの現、長田区の山中に位置し「背後の峻険な山を駆け下りて奇襲をかけた」というには地理的に離れすぎているような気がします。  図書館に足を運び私の調べた範囲では場所を特定したものは見つかりませんでした。

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noname#8602
noname#8602
回答No.1

鉄拐山を下り降りて一ノ谷を攻めたのではなく、藍那を通って、今の鵯越あたりから、会下山を奇襲したという私見を記したWebサイトを参考URLに示しておきます。 一ノ谷は、明らかに平家の陣地の最西端でしょうから、会下山から攻め込まれて西へ西へ逃げたと考えると、盛俊・忠度・知章・敦盛などの死に場所(すべて伝承地には行きました)の説明がつきやすいように思います。 ちなみに、御所通・雪御所町・腕塚町などをはじめ、平家をしのぶ地名も神戸には少し残されています。 http://www1.ocn.ne.jp/~tkykt/sub2sub32_nagata-historical.htm #ちなみに、私は鵯越に住んでいます。

参考URL:
http://homepage3.nifty.com/sakaihiro/06hiyodorigoe.htm
mmc
質問者

お礼

 見事な回答をありがとうございました。 物心ついてからの長年の疑問に終止符を打てたといった感じで、感激はひとしおでした。  「一ノ谷の合戦」という言い方から須磨浦周辺での戦とばかり思っていましたが実際にはかなり広範囲の戦であったようで再認識いたしました。

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