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質問を否定する心理

いま、ざっと徘徊したのですが、結構、質問者自身を皮肉交じりに否定して、そのくせ何にも質問に答えないやからって多いんですね。たとえ、あおりのような質問でも、私はこういう姿勢はよろしくないと感じます。これは、管理者の領分ですね。質問に答える以外のことを平気でやろうとすることや、とにかく自分の価値観に会わない質問者を否定しようと躍起になるというのは、どういう心理なのでしょうか? たとえば、~~するのは知能が低いからですか?とかいう質問に、ずいぶん知能が低い質問ですねとかなんとかいう、そういう皮肉屋の心理です。皮肉屋というより、否定屋かな?なにか、道徳的に問題ありそうかな~と思っても、ちょっと発想を柔軟に価値観を広げて回答してみようかな~とならないものでしょうかね?そのほうが、面白いと思うんですけど。道徳規範を並べ立てるほうが面白い人が多いのかな? と思いました。

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回答No.9

とても道徳規範に満ち溢れた質問ですね。自分の思考をを柔軟にしようとせず回答者をただ否定して全責任を押し付けるそのかたくなな発想こそが答えそのものなのですがこう書いたとしても理解は出来ないのでしょうね。やはり他人を否定するのが楽しいからですね。だから否定的な解答は不要であり常に他者を柔軟な発想の出来ない愚か者と見下し続けたいのですね。 さすが自分のことを馬鹿だと評価する人物ですね。でも自己分析は出来ないのですね。だから馬鹿なのですか。納得です。 どうせそれが解答ですといっても理解する気はないのでしょうからこれは補足要求です。あなたがそうやって他人を否定する真理を教えてください。それであなたに解答が出来るようになるかもしれません。

garcon2000
質問者

お礼

前の質問で「婉曲表現で回答したのがわからないのか」という指摘がありましたが、なるほど、あれはすごいもんですね。いわばメタ回答というか、質問回答の一段上に行かないと、答えは見えてこないという大文学者のような構成でした。回答者と質問者は類似しているもの並行的に考えても差し支えないという前提が必要になりましたが。で、今回はどうなのか。またも同じ構造をとっていますね。で、これから先を考察する前に前提がいるのですが、avrahamdarさんが正直者なのかうそつきなのかで分ける必要があります。まず正直な場合は、 >自分の思考をを柔軟にしようとせず質問者をただ否定して全責任を押し付けるそのかたくなな発想こそが答えそのものなのです >だから否定的な質問は不要であり常に他者(質問者)を柔軟な発想の出来ない愚か者と見下し続けたいのですね。 これは十分な答えです。 うそつきの場合は、本当のメタ回答(質問内容を実践している)になり、また信頼性があります。 ご回答のメタ構造を考えましょう。 まず、回答文にみられる非常な攻撃性は「素直さ」とは対極の姿勢ですね。私は前の質問のお礼で「すごく文学的な回答」といったでしょう?あれを本気だと思わなかったようですね。皮肉だと取ったので今回のこういう姿勢になっている。その「ひねくれ」姿勢があります。または、まったくのはったりで文学的表現などしたことはなかったのか?だから素直な賞賛に苛立ちを覚えたんですかね?で、質問に対する答えのようなものがぜんぜんありません(質問者回答者並列は否定的ですから) なので、この場合私が拾った回答としては、「ひねくれ屋がその場にそぐわないことを感情のままに出す行為」ということです。

garcon2000
質問者

補足

ちなみに、「うそつきだ」というような非礼な仮定をさせていただいたのは、私とて感情がありますから、こうも攻撃的な回答をされると、どうもそういう考えも浮かんでくるのですよ。あまりに人の感情に頓着しない発言はよろしくありません。それに、どうしてほめているのにこうも素直でないんだろうな~と、本当に疑問になりましたから。

その他の回答 (13)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

いつも興味ある視点でのご質問ありがとうございます。 あるテーマに基づく一連のご質問が続いているように思いますが、これは個別の例がないと回答の焦点が定まらない問題ではないかという気がします。 理由は、言葉(あるいは状況)の定義の難しさとでもいったことになるでしょうか。 今回のご質問で言えば、 >皮肉交じり >自分の価値観に合わない質問者を否定しようと躍起になる >発想を柔軟に価値観を広げて回答 >道徳規範を並べ立てる といったような状況は個々の主観によって案外大きく異なると思うのです。 皮肉・合わない・柔軟・道徳といったような語彙に対する感性というか、解釈が個人によって差があるのではないかということです。 その感性を問うということになるでしょうから、やはり具体例が必要になると思われます。 明らかに単純な揶揄や皮肉を目的にする人間の心理としては、自我が未発達なため相対的価値観によってより自己の存在基盤を確立できない人が、自らの弱点をさらけ出す質問者に対して、自らの抑圧をカタルシスとして発散できる絶好の対象とみなすという構図でしょう。 しかし、こういった極端な幼稚さに目くじらを立てていては身が持ちません。 「いなす度量」も必須です。 そのためには、ご承知の通りいわゆる自信が必要になるということでしょう。    

garcon2000
質問者

お礼

ほとんど似たような質問を続けてしまってすみません。どうも最近このことが気になってしまいました。たしかに具体例がないと不毛な議論になりがちな問題です。あくまで、常識範囲な質問になんでいやみや否定をされなければならないのだろうか?という、相対論でしかないです。 しかし、的確なご回答ありがとうございます。 後半にかかれていらっしゃること、実に納得しました。こういう心理なんだろうなとつくづく思います。

  • akira-45
  • ベストアンサー率15% (539/3495)
回答No.2

私のスポーツサークルでも否定形を使ったり、それくらい分かれよ と平気に言う人がいますが自分に人を伸ばす能力に欠けているのが分からないのかもしれません。そういう人かなと思います。

garcon2000
質問者

お礼

よくわかります!実に的確なご指摘ですね。 それくらい分かれよという言葉に、拒絶と侮蔑の気持ちがいやというほど入っていますね。

  • hatto_goo
  • ベストアンサー率17% (5/29)
回答No.1

鋭い指摘ですね。その考えは私も同感です。 そうした方が何となく賢そうですもの。 回答者は面白がってやる応えるというより、その質問に不愉快になりつつ(もしくは軽蔑?)も応えてやっているっていう感じなんでしょうか・・・。 不愉快になるなら応えなければいいのに、それを見逃す事も許せなくて回答する。そんな気がします。 ところで個人的にそういう事象は、実際生活上よりネットで見かける方が断然多いような気がするんですよね。 あまり回答になっていなかったらゴメンナサイ。

garcon2000
質問者

お礼

的確なご回答、ありがとうございます。私もまったく同感です。 なんとなく賢そうだからというポーズなんでしょうかね。 不愉快なのをほうっておけないという心理はよくわかるんですけどね、しかし、ここの趣旨に反してやるというのはどうかと思います。

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