• 締切済み

教えて下さい。

今の社会の進むべき正しい規範は何ですか?…何処に有りますか?…。 どうして社会は是を模索し見極め受け入れようとしないのですか?…。 現実に規範化してる物が有るとしたら?…マスコミ?…TV.ラジオ.本.雑誌.チラシ.新聞.ネット…が大部分を占めてませんか?…。 例えば!…です。 両親を殺された人が相手を心底恨み憎み… 是は普段からマスコミで正義の考えは悪い考えを退治する… そんなアニメやドラマ…見てたら、それが美徳.正義…と本能的に植え付けられます。 だから両親.人を殺す悪意は退治する!… 感情論からすれば理由や状況がどう有れ殺す事は無いだろ!…誰もがそう思い相手を恨み憎み…当然で有り、寧ろそんな感情すら持たない人を可笑しい奴!と成ります。 然し恨み憎み…は戦いを生み出し戦いは更に新たな恨み憎み…戦いを生み出し火災の火の手の様に次々と広がって行く可能性を秘めてます。 それを誰が望みますか?…。 両親を殺した相手は当然悪人!…厳しく断罪され罰せられて当然です。 然し一方で大切な両親を殺された人は相手が厳しく断罪され罰せられ刑に服して出て来たとしても、その恨み憎み…は憎悪と強く…自分が刑務所に入っても両親の仇を…と相手を殺そうとさえ考えます。 マスコミが植え付けた考え方ですが感情論としては当然で気持ちは良く良く解りますし否定しません。 然し両親を失った辛さの上に相手を恨み憎み…こんな感情を何時迄も心の傷を背負って生涯生きて行って楽しいですか?…何が価値観ですか?… 仇討ちに相手を殺して刑務所に入って…幸せで嬉しいですか?…。 恐らく幸福には成れないと思いますし殺された両親もそれは望んで無いでしょう…違いますか?…。 でも是が戦争なら平気で家族や人々を殺して喜んでる輩も居ます。 争いを無くす為にも平和な人生を有意義に価値的に過ごす為にも…両親を失った人がどうしたら恨みや憎しみを癒し、相手を悪意に落ちた醜く可哀想な人!…として救ってあげよう…そんな大境涯.仏心が出るのでしょうか?…。 是を国に置き換えたら、大変な事に成ってませんか?…。 生きるに必要な哲学的な規範はマスコミですか?…。 全人類が1つに成る地球家族…は国連を見ても絵に書いた餅、夢物語…でしょうか?…。 例え?…が解り難くてすみませんが皆様方々の御考えや御意見をお聞かせ下さい。 何卒、宜しく御願い致します。 *是は私個人の身の上相談では有りません。

みんなの回答

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

今の社会の進むべき正しい規範は何ですか?…何処に有りますか?…。 ○昔も今も同じですよ。それは「悪を押しとどめ、善を推し進める。」それだけで個人も国家も世界も良くなるのですよ。これは中国のちょうか禅師の言葉の一節ですが、それを聞いた白楽天は「そんなこと三つ子でも分かる。」と答えたのですね。それに対してちょうか禅師の言葉は「三つ子にでも分かることがよわい六十になってもできない。」と言ってますね。 つまり、正義を通すことは難しいと言ってるのですね。嘘と欺瞞の渦巻く世界の中で正義を貫く人が増えれば世界は一つになれるということですね。生きやすさや自信可愛さのあまり、メデイアであれば視聴率を取りたいがために正義を歪めてゆくから社会がまとまらないだけですね。 例えば、他人の持ち物を取れば泥棒ですね。小さな島を突如として俺のものだと言えば泥棒国家ですね。正義とは個人であれ国家であれ嘘は嘘、泥棒は泥棒とはっきり言う事なんですよ。良いことは互いに褒め、悪いことは悪いと言えるような世界を人類は目指しているのですよ。

jamamono2
質問者

お礼

仰る通りかも知れません。 御回答、本当に、ありがとうございました。

回答No.4

世界は迷いの中に生まれ、愛によって完結します。 宇宙(認識)とは、無の潜在としての認識可能性の“断面”の移動=自我仮説に対する、相補的な時空仮説として生じています。 そこにおいて、宇宙の膨張=不確定性(h)の収束という、異なる本質=異なる認識可能性を一つの軸(時系列化)にするところに時間性は依拠しており、過去の自分も、空間的広がりにおける他人も同じです。 宇宙は、別の認識可能性を自己同一視するという、ある種の精神異常として発生し、実は他人も共通であるという愛に向かって進むと言えます。 宇宙が認識に於いて生じるならば、生きるのは楽しむためです。 その「楽しみ」の原因をつくる欲求は、遺伝子によって発生し、また我々の生きた結果が、淘汰として遺伝子に刻まれていきます。 もし、楽しくなくてイヤイヤ生きるならば、その個体は活性が落ちて淘汰され、その状況でもイヤじゃない個体が増殖するだけです。 それは短絡的な快楽主義を意味するのではなく、生きるのに反したり、認識を低下させる欲求は、人生を通算した充足量の総和の最大化に反します。 人の「生き方」には、認識性の発達(より深い認識的な目標の達成による充実感)や社会生命性の発達(社会的行動=助け合いによる喜びor社会的価値(お金や出世)の取得による喜び)といった、二次的な要因があり、人生を通算した“喜びの最大化”には、工夫が必要になります(短絡的な快楽主義には帰結しない)。 宇宙の発生に、異なる認識可能性(h)の時系列化が必要であったように、その補完(時空仮説に対する無の射影)としての存在性に於ける認識可能性の他我化=愛こそが、生理的な認識性の最大化とその充足の最大化を両立させるのです。

jamamono2
質問者

お礼

御回答、本当に、ありがとうございました。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.3

明治維新や敗戦後の日本の、日本人の生死観を現代の人に求める必要がなくなっている。 形はとれなくても暗闇に天高く輝く星のように、明るい日中においても魂を照射し その影が共に生き続けてくれる。と思います。 鹿児島の「知覧」という町をご存知ですか? 特攻の最前線になった町で、隊員の遺書など保存している平和記念館もあります。←泣けます! その器量を買われ特攻隊員達の母となり、 戦後は進駐軍の母ともなった奇異な使命を背負った富屋食堂の「鳥浜とめさん」。の話 「お前たちだけを死なせはしない。必ず後に続く、靖国で逢おう」といって若い命を送り出し 戦争が終わって多くの指導的立場にあった人物は自決したりしたりしたのに、 周囲に罵倒され様々な抵抗を受けながらも戦後処理や 遺族の慰問を続け、犠牲者のために慰霊碑を立てたり、 当時の貴重な様子を日記に記録してくれた菅原道大司令官。 こういう事実を、こういう人物像のドラマを 教育現場やメディアでどんどん取り上げて欲しいものですね!! 上にあげた人たちは、感情を殺し、痛みに耐えることだけでも消耗しそうなのに 死ぬより辛い地獄を観ながら無私にして生を真っ当した聖人と呼べますが、 聖人が聖人たるには、 その他多くの名も残さず真っ当に生きてくれた人達の夢と 日の目に当たらずとも影なり支えた多くのご先祖様や生きた人達の存在があって、 過去から、はたまた遠い遠い地から、夢を叶えられるようにと 重苦しい現実に融合され育まれた結果なのだと思います。 宮沢賢治さんも云ってます。 「褒められもせず貶されもせず、そういう人に私はなりたい」と。 だから全ての人が聖人とか偽ることない真人になればいいともなりません。 本当に努力することが出来て優秀となれた偉大な人は 普通のことを極々普通にする人を「偉い!」と思ってくれてる、と妄想しておく。

jamamono2
質問者

お礼

全く予想もして無かった御回答、本当に、ありがとうございました。 知らない事ばかりで良い勉強に成りました。 本当に、ありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

”社会の進むべき正しい規範は何ですか”     ↑ そうやって、始めに規範ありきの考え方には疑問を感じます。 何が正しい、なんてのは時代や立ち位置によって変わる ものです。 始めにこうあるべきだ、で失敗したのが社会主義でした。 ”どうして社会は是を模索し見極め受け入れようとしないのですか”     ↑ そういう大上段に構えた考え方が間違っているからです。 何が正しいなどというのは、試行錯誤で決めていく しか無いのです。 当初から、これが正しいから、この方向に向かって邁進しよう という考え方は失敗します。 それは理性に基づいているからです。 人間の理性などはたいしたことがないのです。 何時も間違えるのが理性です。 理性などよりも、試行錯誤の結果である歴史や伝統の 方が信用できるのです。 ”恨み憎み…は戦いを生み出し戦いは更に新たな恨み憎み…戦いを生み出し火災の  火の手の様に次々と広がって行く可能性を秘めてます。”      ↑ そうやって人間は、地球に溢れるほど繁栄してきたのです。 原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦った。 その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き 力を養い、心と体を鍛え、 一面で道徳律を築き上げた。 その結果、文明が築かれ 文化が創られた。 ”それを誰が望みますか”     ↑ 望んでいる人が多いから争いが無くならないのではないですか。 ”恐らく幸福には成れないと思いますし殺された両親もそれは望んで無いでしょう”     ↑ 復讐できた、ということで幸福になれるかもしれませんよ。 幸福よりも復讐の方が価値がない、という根拠を示すべきです。 殺された両親のことなど、赤の他人に判るのでしょうか。 ”相手を悪意に落ちた醜く可哀想な人!…として救ってあげよう…  そんな大境涯.仏心が出るのでしょうか?…。”      ↑ そんな絵空事を言っているから、宗教はどんどん 力を失っていくのです。 現実の人間を見ないで、空理空論ばかりを言っている ところは、社会主義によく似ています。 人は、天国を造ろうとしては地獄を創ってきた歴史を 見て下さい。 ”全人類が1つに成る地球家族”     ↑ そうなったら、競争原理が喪失して、人類は衰退 滅亡に向かう可能性があります。 文化の多様性が失われ、文化的にも行き詰まるでしょう。

jamamono2
質問者

お礼

御回答、本当に、ありがとうございました。

回答No.1

まず正しい規範といいますが、なにをもって正しいかという定義がいると思いますがそれは置いておいて、社会規範というのは社会がどうあるべきか?ということなのですが、それはたかだか数十年生きただけの人間が決めようなんて思うことが間違ってはいないでしょうか。人は間違いを犯してしまうものだという前提において、さてどのように規範というのを定めるのかといいますと、どうやら歴史や伝統から学ばなければいけないでしょう。今まで先人が培ってきたものを理解してそれを現代に生きる自分たちの社会に適用していかねばなりません。 例に出されましたが、本来人間が人間を殺してはいけないなんて身体的な制約はありません、ですがこれを野放しにしておけば社会として成り立たないということで人を殺してはいけないということで教えられ、実行した人は罪として裁きを受ける。これが基本です。 このことから規範とは社会が存続するためのものでなければいけない、というひとつの性質が見えてきますね。そういった風に社会を形成する人々の常識、歴史、伝統から定められていくものが本来あるべき社会規範というものであるのでしょう。 最近のテレビ新聞はひどいものだとは思いますが、ああいう姿勢では長持ちはしないと思います。 仇討ちのこともありましたが、記憶が正しければ江戸時代ごろの法律では親の仇討ちは合法と認められていました。そのことから先に親を殺された人間の気持ちも汲み取っての立法だったのでしょう。 さきほどもいいましたが社会規範というのは人々の常識、歴史、伝統からくるもので、地球規模では民族ごとにその常識や歴史、伝統はもちろんのこと主義主張宗教もそれぞれ違ってきてひとつの規律にしばりつけるのは無理があるのでしょう。もししばりつけようものならすぐさま価値観の違いから暴動が起き独立してしまうと予想できます。 ですからそうした価値観を尊重しあいながら各々を認め合うといった形が世界のありかたとして理想なのではないでしょうか?ですが、理想と現実は違ってくるものです。経済的な戦略や共産主義圏の拡大などいろいろな策略がありましょう。その現実と向き合って各々の国と民族のために努力していかなければ生存できないのです。危機的な状況の際はその国や民族の存続のために命を張ることも厭わない。 あたりまえのことですね。 ですが、この国益のために、生存のためにができなかった戦後の歴史がある日本が異常といえましょう。日本人としての意識や誇りを取っ払って骨抜きにしてしまった結果今のような社会に見られる危機的な末路なのではないでしょうか。平成になってからはそれはもうひどい有様ですね。しかし、それを感じてか一部のひとびとはメディアのいんちきや平和憲法のありかたに疑問を感じて立ち上がろうとする流れも徐々に増えてきているように思えます。私たちの代で決着をつけたいものですね。

jamamono2
質問者

お礼

御回答、本当に、ありがとうございました。 私としては虐め問題、中国反日問題…要は暴力無しで人や国同士が相手を恨み憎み嫌い軽視し馬鹿にし…そうした醜い関係から脱却し御互いが尊敬と感謝と誠心誠意…そうした良好な人間関係を構築し行く規範が有れば今の問題も解決出来ない物かと思います。 その為には恨み憎み…の感情を如何に克服するか?… 是は物凄く至難な事に思います。 でも争いは無関係な方々に迄も巻き添えにします。 愚かな指導者に率いられた民衆程、哀れな者は無い…と私は思います。 だからと言って感情を捨てる訳にも行きません。どうしましょう?…なのです。 正しい規範は正しい教育を生み出し人格形成に大きく関与します。 今はそれがマスコミ、ゲーム…キャラクターが殺されてもリセットすれば生き返る…現実は?…無理だと感情的に理解出来ないから困ってます。 恨み憎み嫌い軽視し馬鹿にしそうした醜い生命に蝕まれた方々を可哀想だから救ってあげよう…そんな大境涯、仏心は普通に出ません。 出すには社会的な正しい規範と教育が必要と私は思います。 御回答者様の仰る通り伝統や歴史や先人が作り上げて来られた知的財産に学ぶべきだとも思います。 本当に、ありがとうございました。

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