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黒人のアメリカ大陸以外への広がりと歴史について

歴史的に黒人はヨーロッパや西アジア方面でも奴隷的な連行や迫害されたりしたのでしょうか? アメリカで行われたような奴隷貿易はヨーロッパなどでもあったのでしょうか? アメリカでの奴隷貿易以前からヨーロッパや西アジアには黒人がいたのでしょうか? 宜しくお願い致します。

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  • buchi-dog
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回答No.2

「銃・病原菌・鉄」(上下巻) http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30738623 と言う本に詳しく書いてありますが、南北アメリカ大陸とその付属する島々では、もともとの住民はヨーロッパ人の持ち込んだ様々な病原菌への耐性を持っていなかったため、大航海時代にヨーロッパ人がそれらの地域に接触すると疫病に罹って死ぬ人が続出し、人口が激減しました。 今の中南米・西インド諸島(キューバなど)の地域で、ヨーロッパ人が現地人を奴隷としてサトウキビ栽培や鉱山採掘に酷使して多数を殺したのは事実で、 インディアスの破壊についての簡潔な報告 岩波文庫 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=01836749 で、同時代人による報告が残っています。 しかし、実際は「酷使」より「疫病」による現地人現象の方が影響が大きく、1492年にコロンブスが新大陸に到達してから100年くらい経つと、現地人はヨーロッパ人と混血した者かヨーロッパ人が住めない空気希薄な高地に住む者くらいしか残らなくなりました。その空白を、アフリカから輸入された黒人奴隷が埋めたわけです。 黒人奴隷は、ヨーロッパ人から銃を買ったアフリカ人自身が他部族と戦争して獲得し、ヨーロッパ人に売り渡すと言う形で集められました。これも「銃・病原菌・鉄」に詳述されています。アメリカ大陸と太平洋を隔てて相対する西アフリカの多くの部族が、「他部族を攻撃して奴隷を捕まえ、ヨーロッパ人に売ること」を生活の糧とするようになりました。これによってどのくらいのアフリカ人がアメリカ大陸に送り出されたかは算定不能です。 さて、ヨーロッパやアジアでは、黒人奴隷の需要は基本的に存在しませんでした。なぜかというと、それらの地域の住民はヨーロッパ人の持つ病原菌に耐性を持っており、「伝染病で大量死する」ことがなかったからです。奴隷(的な低賃金労働者)が必要なら現地人で十分でした。仏領インドシナ、スペイン領フィリピン、蘭領東インド(インドネシア)等では、現地人を奴隷として使うプランテーション農業が確立しましたが、黒人奴隷の移入などは行なわれませんでした。 北アメリカの場合、現地人であるアメリカ・インディアンは、1600年を過ぎてイギリス人などが入植する前に、中南米にスペイン人等が持ち込んだ病原菌によって大きく人口を減らしていました。1600年代の北アメリカは、面積の割に非常に現地人の少ない大陸だったと言えます。 アメリカのバージニア州より南は、人手を大量に要する綿花栽培やサトウキビ栽培に向く気候でした。白人はこのような厳しい労働には耐えられません。インディアンも耐えられませんし、奴隷にするほどの数がいません。そのため、中南米同様に黒人奴隷を大量に輸入して使役することとなりました。 結論としては、南北アメリカ・西インド諸島と、それ以外の欧州諸国が植民地化した地域(仏領インドシナ、スペイン領フィリピン、蘭領東インド等)の違いは「それらの地域の原住民がヨーロッパ人の持ち込んだ病原菌に耐えられたか」です。それによって、前者には黒人奴隷が大量に輸入され、後者では現地人が奴隷化されるという違いが生じました。

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  • DieMeute
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回答No.4

アメリカでの奴隷貿易以前からヨーロッパには、黒人奴隷が存在しました。 ヨーロッパで一早くアフリカに進出したのはポルトガルとスペインでした。両国は早くから奴隷を連れ帰っています。まだ、アメリカ大陸も発見されていない1444年に、ポルトガルのリスボンで西アフリカから連れてこられた奴隷が売られていたそうです。 1486年には、ポルトガルが奴隷局という部署を設置し、奴隷貿易許可証を発行し、奴隷貿易の独占を試みています。 16世紀中頃には、リスボンの人口のうち10%が奴隷だったそうです。 同じ頃のスペインのセビリャでは人口の8%が奴隷だったそうです。 後に西インド諸島やアメリカ大陸が発見され、植民地が作られるとともに労働力が不足した事から黒人奴隷がそちらに運ばれる事になったそうです。 大西洋奴隷貿易は、三角貿易とも言われるものでした。ヨーロッパで作られた金属製品、綿布、鉄砲などがアフリカに運ばれ、奴隷と交換されます。その奴隷が西インド諸島や南北アメリカに運ばれます。そして現地で奴隷を降ろした後、船には砂糖、綿花、煙草等の品が積まれ、ヨーロッパの母港に帰りました。イギリス、フランス、オランダ、スペイン、ポルトガル、デンマークなどの国々が、この貿易に参加し莫大な利益をあげたそうです。

  • nacam
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回答No.3

イスラム諸国では、家庭内の奴隷として黒人奴隷は重宝されていました。 主にスーダンやエチオピアなどが黒人奴隷の産地でした。 白人奴隷やトルコ系奴隷が、主に軍人として使われたのに対して、家庭内奴隷として使われた黒人奴隷は、歴史にはあまり顔をだしませんでしたので、あまり知られていません。 黒人女性は、家事や育児などを担当し、黒人男性は、主にハーレムなどでの女性管理(女性の世話役)を担当しました。 一般に黒人奴隷は、白人奴隷(トルコ系も含む)に比べ、高価でしたので、黒人奴隷を持てるのは裕福層に限られていました。 イスラム圏で出世するためには、有力者の奴隷となるのが一番の早道でしたので、白人奴隷のほとんどが自主的に奴隷となった人達でした。そのためわざわざ捕らえて来る黒人奴隷よりも安価に手に入れられました。

回答No.1

>歴史的に黒人はヨーロッパや西アジア方面でも奴隷的な連行や迫害されたりしたのでしょうか? 元々アフリカ系の、いわゆる黒人と呼ばれる人々は、住んでいたアフリカで奴隷狩りに遭い、主としてアメリカ大陸に労働力として輸出されたのです。 アメリカ大陸へのスペイン帝国の侵略以後、現地人を過酷な労働と伝染病で大量死させたため、その補充用として、連行したのが嚆矢です。 ですから、それ以前も、また、その他の地域でも、奴隷として、労働力として、搾取されてきました。 ただ、アジア・ヨーロッパでは、アメリカ大陸であったような大量殺戮・大量死が無かったので、労働力としての黒人の需要は少なかっただけの話です。 日本でも、織田信長に献上された黒人の話が残っています。