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アメリカの奴隷制がヨーロッパで実行されなかった理由
アメリカの開拓時代に発達した奴隷制を支えた黒人をヨーロッパで使うということがされなかった理由は何でしょうか。人権意識が少しでもあったら当時でもアメリカにおける奴隷制の実行は非難されたこともあったのでしょうか。
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未開の地(だと思ってヨーロッパから宗教的理由などで逃れてきたイギリスなどの人々)が、開拓するしかなかったから、そのための労働力として買ってきた。 すでに開拓ずみのヨーロッパの土地を農地転換する必要はなく、ヨーロッパはその役割を植民地でのプランテーションで賄っていただけだから、「ヨーロッパに奴隷は入る必要はなく、北米には奴隷を持ち込む必要があった」。
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- eroero4649
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質問の本旨からずれてしまう話になりますが、事実をきちんとする必要があると思いますのでそのことから書きますよ。運営の人も「質問に対する回答ではない」と削除しないように。 「戦国時代に多くの日本人奴隷がヨーロッパに連れてこられた」という話はなぜかここでは多く見かけるのですが、歴史好きの私もここでそういう話を聞くまで聞いたことがなかったのです。なんじゃらほいと思って調べてみると、「慶長遣欧使節の一行がローマ法王の元を訪れたときに日本人の奴隷を欧州へ連れて行く惨状を激しく抗議した」という話が出てきたのですね。でもね、考えてみると慶長遣欧使節ってのは親善使節なんですよ。日中友好のための中国から来た使節団が日本の首相と会ったときに南京虐殺の話をするかっていうと、絶対しないでしょう?親善使節が相手の気分を害するような話をするのはそりゃ人として失礼です。 で、その話はどこから出てきたのかと調べてみたら、戦前の人気作家であった徳富蘇峰が書いたものだった、というのが分かったのです。では徳富蘇峰は何を見てその話を書いたのか。調べたのですが、それはたどり着けませんでした。徳富蘇峰という人は日米開戦へと国民世論をリードした人なのです。だから戦後はほとんどいなくなった人扱いになってますけど、戦前はそれはそれは人気タレントだったんですよ。国民世論を動かすほどの影響力を持っていたのですからね。 というわけで、私はこの「ヨーロッパに送られた日本人奴隷」は、白人の悪逆さを演出するために徳富蘇峰が捏造した話だと今のところ結論しています。それに、ヨーロッパ人に日本人のDNAが残っているって話を聞いたことがないでしょう?もし本当に日本人奴隷をヨーロッパに連れて行ったなら、女に子供を孕ませた白人がいたでしょうからその「末裔」がどこかにいるはずです。白人のミトコンドリアにその痕跡が残る人がいるはずですよ。 ただ、豊臣秀吉や徳川家康は「日本人奴隷の売買禁止」を命じています。確かに日本人奴隷を外国人(白人)が買うということはあったんですね。しかしこれ、よく調べてみると実は「労働問題」であったのです。 当時、日本人奴隷というのはものすごい安い値段で買えたのです。白人もびっくりしたのですね、こんなに安いって。それで日本人奴隷を買ったらこんなトラブルが起きたのです。その日本人が「いつ年季は明けるんですか?」と聞いてきたのです。そう、日本人はあくまで「一時雇用」だと思っていたのです。年季の奉公だと思っていたのですね。だけど白人はいやお前は奴隷だから一生私のものだ、となります。日本人がいやそんな話は聞いていない、とトラブルになったんですね。これが政府(幕府)としても無視できないほど大きな問題になっていたので、秀吉や家康は日本人奴隷の売買を禁じたのです。当時の日本人には「奴隷」という概念がなかったのですね。これが真相です。 さて、本題です。南北アメリカに大量の黒人奴隷が送られたのは、アメリカで深刻な労働者不足が起きたからです。というのも、南北アメリカ大陸に渡ったヨーロッパ人がアメリカ大陸に「天然痘」を持ち込んだからです。それまでアメリカ大陸には天然痘は存在せず、ネイティブアメリカン(インディオ)は天然痘に対する耐性を持っていませんでした。天然痘はアメリカ大陸で猛威を振るい、ネイティブアメリカンは絶滅寸前になりました。ひどいところでは住民の90%が死んだというのですからエボラ出血熱級です。 現地のネイティブアメリカンが大量に死んで、深刻な労働者不足に陥りました。それで、大西洋を渡ったいってみれば「向こう岸」であるアフリカ大陸から奴隷を大量に連れてきたのです。 ではなぜヨーロッパには黒人奴隷を送らなかったのか。これには理由が二つあると思います。 ひとつは、「輸送コストがかかる」ことです。アフリカ大陸から南米大陸は、南大西洋があるとはいえ向こう岸とこっち岸の関係です。比較的コストはかからない。ところがヨーロッパに運ぶとなると、西アフリカをぐるっと回って連れてこなければならない。結構めんどいです。 もうひとつは、「ヨーロッパでは労働者が不足しておらず、むしろ人間は過剰状態だった」ということです。原因は、ジャガイモです。ジャガイモはアンデス原産で南米からヨーロッパに伝わった食べ物です。このジャガイモ、アンデス山脈を原産地に持つだけあって寒くて雨が少ないところが大好きときています。そしてご存知だと思いますがとりあえず植えておけばすぐ作れるほど栽培も簡単、おまけに1個の種イモから大量に増えて栄養も満点といういうことない「夢の食材」だったのですね。ジャガイモで腹が膨れたヨーロッパ人は何をしたかというと、子作りに励んだのです・笑。まあ貧乏人の楽しみはそれくらいです。アイルランドはジャガイモが伝わったおかげで人口がなんと8倍(!)にも増えました。しかしアイルランドはヨーロッパの中でも最貧国のひとつです。あの狭い島にバカみたいに人が増えたからアイルランドは人口過剰な状態に陥りました。そんな彼らが目指したのが新大陸、即ちアメリカでした。アメリカ人にアイルランド系が多いのは、そういう理由なのです。 つまり、当時のヨーロッパは人口過剰な状態でむしろ「輸出」したくてしょうがなかったというのがあったと思いますよ。
- 441moe
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追記 日本の奴隷輸出は 信玄公記、秀吉のバテレン追放令、伊達政宗遣欧使記録外、山ほどあります信玄は自ら奴隷市取り仕切っています。 ゴヤのポルトガル人が200人の奴隷追加注文した記録は出典忘れました。 今年の新聞記事ではポルトガルの教会で解放奴隷の日本人の結婚記録3組発見されています。 イギリスでは黒アフリカ人や中国人苦人を使っています。仲介人が金銭売買したようです。 多分今でも地下鉄運転手に黒アフリカ人多いと思いますが、石炭で動かしていた名残りです。 今言われる人権意識などほんの数十年前からです。 表向き有色人種の人権みとめられたらのは、南アフリカのアパルトヘイト廃止以降です。 現在の価値観で過去を判断するのは間違いです。客観的事実と思われる資料を元に当時を考えないと、間違った判断になります。 昔のアメリカ人はインデアン殺しまくり、黒人を奴隷にする事は正義と思っていました。 昭和33年までは売春は合法でした、慰安婦には日本人もいます。軍が強制連行しなければ、たんの売春婦です。また合法でした。 将来マクドのオネーサンが無理やり笑顔作らされたと訴えるかもしれません。
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今までほとんど関心を持たないまま来ました。大変為になるご教示でした。自分なりにもうすこし勉強してみたいと思います。
- hekiyu
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アメリカの開拓時代に発達した奴隷制を支えた黒人を ヨーロッパで使うということがされなかった理由は何でしょうか。 ↑ 米国には広大な綿花畑があったのに対し、 欧州にはそんなものはありませんでした。 つまり、必要性の違いです。 人権意識が少しでもあったら当時でもアメリカにおける 奴隷制の実行は非難されたこともあったのでしょうか。 ↑ ハイ、ありました。 国家分裂を阻止するため、南北戦争が起こりました。 この南北戦争で苦戦したリンカーンは、奴隷解放を 打ち出しました。 これにより、南は奴隷擁護だ、ということで 欧州の援助を得にくくなりました。
お礼
産業革命時のイギリスでの労働条件は奴隷よりひどかったようですが、実際に黒人が連れてこられたことはなかったのでしょうか。
- 441moe
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社会状況の違いです。 米国では大型農場、土木作業を中心に奴隷を使いました。 欧州では新規土木工事も少なく、大型農場も少ないです。 代わりに植民地で現地人を奴隷的に使っていますが、米国のように売買対象ではなかったようです。 むしろ、スラブ人を奴隷としてアラブ諸国に売っています。ユダヤ人が取り扱い業者で、ベニス中心に大儲けしたようです。 戦国時代は日本が最大の奴隷輸出国でした。 多くの日本人が奴隷として欧州にまで売られています。 欧米で有色人種を人間と認識したのは第2次大戦以降と新しいです。 米国では奴隷解放以降、苦力貿易や日本人移民など形変えて続いています。 欧州で奴隷制が非難される事はないでしょう。
お礼
戦国時代の日本の話には出典がありますか。北朝鮮の拉致と同じですね。産業革命時のイギリスでは子供までが過酷な労働を強いられていたようですが、奴隷をつれてくることはなかったのでしょうか。
- kenpiro3313
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当時、イギリスは先進国。 アメリカは大陸が発見されたばかりの後進国。 そこへイギリスの脱落者が移民してきた。 手法を選択する余地も無く、奴隷を使った。 そんな背景もありアングロサクソンアメリカ(北米)は成長しました。 ラテンアメリカ(南米)はいまだに発展途上。 黒人の貢献度を評価し、差別をなくしたい思いです。
お礼
形を変えた奴隷制は今でもどこかにはありそうですね。
お礼
下働きなどに黒人を使うというようなことはなかったのでしょうか。