それぞれの学問は自分の学問の独自性を強調します。心理学は19世紀後半に誕生しましたが「心とは?」という疑問は心理学以前の哲学の文脈においてずーと考察の対象となっていました。しかし哲学で「心とは何か?」を考えるときには,哲学者はあれこれと自分なりの主観的な仮説を主張して,その論理性を根拠にして仮説が妥当であるかどうかを検討しました。
さて心理学で「科学的」という言葉が使われる場合はしばしば「客観的」と同義とされます。先に述べたように哲学者は,主として「自分の経験」から仮説を述べます。しかし「私の心は○○だ!」と主張したとしても,「それはあなただけであって,私の場合は別だ!」という風に反論されてしまう可能性があります。「科学」を標榜する場合には「誰もが一定の手続を踏み,誰もが納得できる知識を構築する」という要素を満たさなければなりません。そのため「自分だけ」というのは「誰もが」という部分に反してしまうので,心理学誕生期の心理学者はどうやって心に「科学的に」アプローチするか,その方法論で四苦八苦しました。
この辺は「ヴントの構成主義/内観法」,その批判からでてきた「ワトソンの行動主義」「ウェルトハイマーのゲシュタルト心理学」「フロイトの精神分析学」などのキーワードを辞書などでしらべながらまとめてください。
結局,「心は目に見えないから,それをデータとして扱ってしまっては納得しないものがでてしまう」として,心ではなく,誰もが観察可能であり客観的な「行動」を対象としようとするワトソンの行動主義が20世紀前半の心理学界をりーどしていくことになります。最も今では,ワトソンの行き過ぎた行動主義の反省から,一定の手続きをとれば「心」の中身に踏み込んでも構わない,とする認知主義が主流になっています。しかしその場合でも「誰もが納得できる」という客観性の精神が重視される点では同様でしょう。
お礼
どうもありがとうございます! とても参考になりました!! フロイトをキーワードに自分でも少し調べてみます!