「惚れたが負けか」ーー夕鶴と太宰の「カチカチ山」
閲覧くださりありがとうございます。
お聞きしたい事の気分としてはライフカテゴリですが、
元のネタがこちらのカテゴリですし、
この言葉をかけてくださったのもこちらのカテゴリでよくお見かけする方ですので、
こちらのカテゴリにて失礼致します。
元ネタはこちら。
http://okwave.jp/qa/q6291643.html「夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか」
人様のご質問へ投稿した拙文が発端です。
一度退会しておりますのでnoname#122427となっております、#4の回答です。
この勝手気ままな私の投稿に対して、#5の方に「太宰のカチカチ山を思い出した」と言って頂きました。
この後、図書館にて太宰治「御伽草子」の「カチカチ山」を取り寄せ、読んでみました。
大した事の無い、未熟な夫婦の日々のいざこざですし、
結局はなんやかんやと元の鞘、なのですが、やはり繰り返します。
螺旋階段のように、ゆるゆると互いの変化(成長だと良いのですが)は年々見出だしておりますが、
何か「抜け落ちている視点」が、掛けてくださった言葉にあるように思えております。
太宰さんの作品自体は、なかなかに活発な発想の転換があり、
その語り口調は、相変わらず私の苦手意識を強めてくれたように思います。(苦笑
そして、愚鈍な私の頭では「私が寄せた回答」からこの物語へ連想させた要因が掴めませんでした。
私が投稿した些細で未熟な夫婦喧嘩の様が、どのようにして「カチカチ山」に結びついていったのか?が掴めません。
お分かりの方、いらっしゃいましたら教えて頂けませんでしょうか?
そして、該当質問#5にて回答されていらっしゃる方、
もしこの質問にお気づきでしたらその連想の理由を教えて頂きたく思います。
該当質問の質問者様、勝手にご質問をお借りする失礼をお許しください。
私の前回の退会時にお礼を終えぬまま放置としてしまった質問に回答頂いていた方々様、
ご不快な思いをさせてしまいました事、お詫び申し上げます。
よろしくお願いします。