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人間関係に疲れた時に数学 でも 数学人との付き合いは困難
私はあまり友達もいません。思ったことをずばっと言うタイプなので、真実を伝えることに価値を感じる私ですが、聞く側には、取り扱い困難な人物に見えるのでしょう。 あまりにしんどい時は、数学の本を読みます。これは、人付き合いから逃げていることを 認識した上での行動です。数学は苦手でも、根気よくノートにつけたりして、何回も読み直します。なぜか、どうしてなのか、自分の言葉で説明できるまで。 最近は確率に凝っています。 周囲には、やはり数学好きな人がいますが、共通点は、彼らも友達が少ないことです。ものすごく、不器用で、ある意味、純粋な人物たちです。 時として 乱暴な言葉つかいをするので、周囲を驚かせますし、こちらとしては迷惑です。 変な上下関係意識があるようで、知識があることにすごく価値を置いているようです。自分の意見が否定されると、自分の人格まで否定されたかのように感じているのがありありと分かります。 心は純粋な人達なので、こういった人達とどのように付き合っていけばいいでしょうか。
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褒められたので、気を良くして・・・。 じつは昨日、現在通っている大学に(サラリーマンなのに通ってるんです)、そのすじでは高名な大先生が来たので、セミナーに出ました。学究達を除けば、社会人は自分一人でした。 大先生は気さくな良い人でした。聞けば、小中高と数学はまるで出来ず、大学の学士課程の内容は難しくてしようがなかったし、卒業して開放されて、ほっとしたとのこと。その後、修士,博士,助教授と進んだが(才能はあった)、その間一度も自分を数学者だと思ったことはなかった、と言ってました。この人は、知識偏重の人ではないと思います。 こういう人は少ないと思います。セミナーを主催した教授もそういう人だったので(安全と思えたので)、セミナーにも出ました。安全な教授,助教授を、自分はこの2人しか知りません。 > そのような環境に長くいて、それが普通状態になってしまったのでしょうか?? そうだと思います。というのは、自分は公的事業の実験業務に関わっていたので、大学の教授や官僚のお偉いさんと、さしで話すこともありました。ふつうの反応は、 > 意見を否定すると激高します(こちらも仕事がかかっているので、真っ向否定します・・・ああっ、失敗) ですよ。先日ウェーバーを引き合いに出しましたが、彼はこうも言っています(職業としての学問より)。 学問は、全ての価値判断,倫理感から自由である。 故に、学問をやる人は、三昧の境地を知らねばならない。 ただしウェーバーという人は、信条倫理と結果責任倫理の区別を提唱し、職業としての政治も書いた人なので、過激にバランスがとれています。でも過激にならざる得ないのかなぁ~?、というのが正直な感想です。 いちごびびえすは、見てみます・・・。
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まぁ、「気にしない」という手はあると思います。つまり、わかって付き合う。 > 変な上下関係意識があるようで、知識があることにすごく価値を置いているようです。自分の意見が否定されると、自分の人格まで否定されたかのように感じているのがありありと分かります。 ↑さえ無視すれば、けっこう世話好きないい奴だったりします(世話好きに、上下関係意識が反映されるのは確かですが)。 私の好きな言葉に、社会学者マックス・ウーェバーの言葉があります。彼が「学問価値自由論」の中で次のように言ったのには、大きな時代背景があって、そのまま受け取ると、今では少々危なくも聞こえますが・・・。 学問は、全ての価値判断,倫理感から自由である。 それが証拠に、学問の知識体系は、人生について何も教えてくれない。 もちろん学問を行う行為によって、人生を知る事はあると思いますが、その知識体系はそうでないという事です。数学だって、所詮は特殊技術。訓練と努力次第で、誰でも身に着けれます。野球だってサッカーだって、ゲーム技術だってそれだけでは特殊技術です。でもそれぞれ少しずつ必要とされています。土木現場の労務者のやってる事もそうです(私は土木出身です)。そう考えれば、腹も立ちません。
補足
とても洗練された回答内容です。よかったら あと1、2回お願いしたいのですが。 知識量大=自分より上位の人 知識量小=自分より下の人 という方程式の世界で、その数学好きの人達が 周囲に接している状況を何度も見ています。私か論拠をもって彼らの意見を否定すると(というよりは、正しい意見はこうこうである、という表現を使います、真っ向から否定しません)、激高します。 彼らは、そのような環境に長くいて、それが普通状態になってしまったのでしょうか?? そのような彼らに 一泡吹かせてやりたい気持ちが私の心に6割、もっと謙虚に毎日を生きればすばらしいことに気づいてもらいたい気持ちが4割です。 だから、6割の方は、我慢しますが、4割の方を実現するメソッドやアプローチが知りたいのです。 他人の人生なので、おせっかいなのかもしれません。 いちごびびえす、 という名前の掲示板サイトがありますが、そこの経済のタブをクリックすると、いわゆる学者の卵のような人達が、非常に特殊なものの考え方をされていて、こちらの気分悪くするような反応をもらいました。 かれら知識優位星に生きる人達に ぎゃふん と言わせたい(笑)。
- einart
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僕は数学科の学生なので、一人でいる数学好きと接したことがありません。 学校では生徒は勿論、教授もとても人柄がよく居心地が良いです。 とはいえ僕もgood23さんのようなことが無かったわけではなく、数学に逃げることでお世話になったこともあります。 その時期、ある数学科の友人から「ちょっとこれ教えてくれ」と言われたことがありました。 そしてそれに対して答えたときに妙な嬉しさがあったことを覚えています。 自分でも不思議なくらい嬉しかったです。 学生といえど4年目ともなると専門は一人一人違うので、あいつは何が得意だから、というようなことも分かります。 その友人からは僕は、解析が得意なヤツ、というように見られていてルベーグ積分など、そのつど聞いてくるので、最近は僕の高校時代の面白かった数学や最近の興味深い数学などよく話してやります。 そいつは代数が得意ですが、数学的考え全般に興味があって喜んでくれます。 まぁ1年の頃は嫌いなヤツだったですがねw
補足
それはいいことなのですが、妙に他人を馬鹿にしているような感じで大勢と接している人を多くみます。きっとパターンなのでしょう。そして往々にして、自信過剰で、自分が失敗しないと拙速さを理解しないようです。 人に上下をつけたがり、その基準が知識の量 というものが上位にあるようです。 ○○大学出身、などというものにいつまでもしがみついていて、滑稽です。 計算式のように 答えはひとつしかないようなものの言い方で、多面性に欠けます。 そして数学ばかりに時間を費やしているせいなのか、他の面の成熟度がかなり遅く、人間的にはアンバランスです。 自分を大切にすることはよいのですが、自分の知識量に自分で惚れ始めると もう危険信号だと思います。 いつも謙虚で すこし 怯えているくらいの方が 人間的にはすばらしいと思うのです。
- motochan7185
- ベストアンサー率18% (6/32)
この本を読んでみてはいかがでしょうか。 「心は孤独な数学者」 http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E3%81%AF%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AA%E6%95%B0%E5%AD%A6%E8%80%85-%E8%97%A4%E5%8E%9F-%E6%AD%A3%E5%BD%A6/dp/4101248060/ref=pd_bbs_sr_1/249-2424664-8497947?ie=UTF8&s=books&qid=1181635187&sr=8-1
お礼
ありがとうございます。 でも その本の内容は、いま 知りたいこと、今 解決したいことではありませんでした。 知識量を自慢するような人物に、謙虚さをもたらして よい人間に改善する方法を知りたいのです。
お礼
国際経済専門の大学院時代に、教授の部屋で3名くらいの院生に混じって発表したのですが、教授の意見にあわない部分について私が賛成側であると、「カーン(ゴングの音)、いまから君と戦いだなあ」とまで、その教授に言われました。夜は眠れなかったし、憎い存在でした。論理構成をしっかりしていても、若者に挑戦されていて負けるのが恥じ であると感じているようで、必要以上の猛攻撃をかけてきます とても勘違いしている人がいます。東京大学? 私は全然興味がありません。 でも勤務先には、いまでもそれをほこらしげにして 依存している人がいて(48歳くらい)、同学の卒業者を 露骨に優遇しています、このように非常に単純な人達なのです。 あるいみものすごく純粋ですが、そもそも人の意見をきかない、自分の意見を通す、論拠でなくて大声などで、 そして そのような手段で 会社の方針が決定されてしまうような勤務環境です。 回答者2の方が、ご自身の専門領域について記載されていますが、どこか誇らしげな文章にみえます。大変失礼かもしれませんが、ナルシスト的な感じがしますね。もっと謙虚な心でいられたら、もっと素晴らしい人生があるだろうに。人に教えることができる瞬間、役に立っているなと自覚できる瞬間の喜びについては、同意します、理解できます。 今年、数学の世界で賞をもらったロシア人がいますが、彼は受賞がきまったら、身を隠したそうです、そういう派手なことが嫌い、そんなことよりも純粋に数学の中で生きて、彼の考え方が受賞しようがしまいが、他人による よい評価を求めない。こういう学者は、非常に カッコいいなと思います。自慢行為に興味がないのです。 自慢する人達を見ていると、子供ぽくて、笑ってしまいますし、非常に不快な気持ちを抱いてしまうのです、とくに 私に迷惑が及ぶ時は、だから何か彼ら流の納得の行く形で ぎゃふんと いわせたいのですね。 彼ら流にあえて表現すると、彼らは 私の語学力について 自分たちを私よりも下に置いているようなのです こんなことを書くのは私は大変はずかしいですが。 自分が上であっても まったくもって 不愉快。 なんて幼稚な世界に彼らは生きているのか。 大抵は、結婚していないか、結婚していても相手はかなり年上の女性です、そんな共通点がある 生き物なのです(失礼な表現ですが)。