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期待に添えない自分

誰かの期待に沿うために生きているわけではないのだものそんな時だって多々ある。でも、そんな自分に少し無力感、寂寥感、うなづけない そんな誰かは、自分にとってそんなに大きい人なのだろうか。 自分で自分を肯定できない、一歩外に出ると他人と比較しなければ幸せなはずなのに落ち着けないときもある。 どう論理展開すればゆれないでいられるのでしょうか。

みんなの回答

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.3

比較するのをやめることです。その愚かさをバートランド・ラッセルは エッセイの中で書いています。

noname#31972
質問者

お礼

時間を見つけてよんでみますね。ありがとうございました。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.2

他人の期待が大きければ、それに答えられる自分には大きな満足がある。 誰かの期待に沿うことが出来る自分に期待している。 結局、期待しているのは他人ではなく自分じゃないでしょうか。

noname#31972
質問者

お礼

期待に添えない自分も笑って受け入れられるし、あきらめるわけでもなくつきあっていける。 でも、ときに開き直っていないですね。 アドバイスありがとうございました。

noname#194289
noname#194289
回答No.1

まず心から興味が持てるものに出会いそれを大切に育てることから始めたらどうでしょう。

noname#31972
質問者

お礼

何かの本に、希望はどんなときでも形を変えてまた持つことができるみたいなことがかかれてましたが、 うつろだとゆれるのでしょうか。 アドバイスありがとうございました。

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