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幕末の一揆

「ええじゃないか」一揆って何なのでしょうか。あと、同時期なぜこんなに世直し一揆が起こったのか教えていただきたいです。よろしくお願いします。

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回答No.3

「ええじゃないか」は、一種の念仏踊りで「打ちこわし」などの民衆蜂起的な一揆とはかなり違うでしょうね。 まあ、世情不安から生まれた民衆運動という意味では共通していますが。したがって、「ええじゃないか」は世直し一揆とは言えません。 一口に一揆と言っても、農民が武装して暴れる攻撃的なものもあれば、農民たちが集団でその土地を去る(夜逃げ)一揆もあります。 それから、打ちこわしなどの武装一揆は近年の研究で以外と少なかったことがわかってきています。 余談ですが、江戸時代中期以降(宝暦年間あたりから)江戸庶民たちは比較的、自由に旅行や外出していました。そのほとんどが、伊勢参りや富士講などお参り旅行ですが、近場なら伊香保や箱根に湯治に出かけたりしていました。 有名な「東海道中膝栗毛」などを見れば、庶民の旅行の様子が詳しく書かれています。 移動の制限があったのは庶民よりも、旗本などの武士のほうです。江戸詰めの武士は将軍の護衛がたてまえだったので公務以外の外泊は原則認められていまいせんでした。

copio
質問者

お礼

興味深いお話をどうもありがとうございました。参考にさせていただきます。

その他の回答 (2)

noname#41852
noname#41852
回答No.2

一揆の周期性というのは、農業生産高と租税の関係から相関があります。この時期は、外国資本の流入で日本経済が疲弊しつつあった、物価高騰がおこった。税率を高くした。ゆえに農民一揆が頻発した。

copio
質問者

お礼

物価高騰が原因なんですね。ありがとうございました。

  • mouryou
  • ベストアンサー率27% (229/826)
回答No.1

 江戸時代は通常、庶民は旅行というものはなかなか出来ず(経済的にも身分制度でも)生まれた土地からそう離れることはありませんでした。一つの例外としてお伊勢参りはお蔭参りなどといわれて黙認されていました。  江戸時代末期になるど政情不安(外国からの圧迫と政権のゆるぎ)によりストレスのたまった民衆がストレスの解消のために行った運動といえるでしょう。漠然とした不安が攻撃の対象であるので何かに対して訴えることもできず、民衆に許されていた許されていたお伊勢参りに仮託してみんなで騒いだ壮大なガス抜きといえます。

copio
質問者

お礼

なるほど。納得しました。ありがとうございました。

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